1968の年のデトロイト、空港でチャーターバスに乗り込んだら「ミスター・フジオカ?」と呼びかけられた。黒人男性の声だった。運転手の脇にある椅子に大きな男が坐って、視線を宙に、返事を求めている様子だった。ミスター・オーウェル。ぼくの声で、ぼくの現われたのを知ったのだった。前の年、彼の運転で数日デトロイトを走りまわった。その彼が、盲目で現れた。日本人の妻をもつ彼を「日本通」だからと、同僚の黒人ドライバーがアシスタントに推薦したという。Black is beautiful! が叫ばれていた。騎馬巡査が二人組になって物騒な町をパトロールし、見本市会場では、警備員が拳銃をむき出しで腰に差している、それが格別におそろしいものに思えなかったとき、オバマ登場40年前のことだった。月刊誌『工業英語』の巻頭言には、こうした番外がいくつか積み残されている。
藤岡記
「寸鉄、人を殺す」という言葉がある。あるとき、まさに時を得て放たれる言葉が、刃物のようにひるがえり、ひとの肺腑(はいふ)をつき、為政者をも震懼(しんかん)させる。ひとつの警句が、寸言が、ひとりひとりの懸命に生きるこころにも、活力を与えたり、死にも導く。
文を生業(なりわい)とするならば、そのような寸鉄を身につけておきたく思うし、また、そのような、卑小な己れのこころに刻み込み活かし続けていく言葉を、求めたいものと思う。
昭和三年、社会運動に関わりがあるとのことで京大を追われた頃のこと、河上肇博士は、経済学の基本文献である大冊『資本論』訳出を手がけながら、つぎのような文を残している。「自分は紙に字を書いて一生を過ごす特殊な紙魚(しみ)である。坐って物を書くことが一番好きだし、得意でもある。臂力の弱い自分は……ただ筆を持つことにおいてのみ人後に落ちずして済む。」
博士は、自分を「特殊な紙魚」という。この言葉を目にして、とりたてて世にことを構えられずに凡々と日を送り、ただペンをとり紙に向うことでは同じことでいる紙魚は、まさに肺腑に剣を突きたてられた思いがした。博士は、「特殊」を、なにも特に秀れた、凡庸でない、ということでいっているのではない。どのような時節であっても、どのような、心身の状態であっても、ペンで考え、ペンで自己を表わしつづける執念のある、拭っても、日にさらしても、薬品をもってしても、決して紙からは離れ得ぬ紙魚と、そういうことでいわれたものと思う。
だから、「さて丁度今、機械の所にぶつかっているのですが、slide rest (Drehbank schlitten) というのはどんなものか、よく分らぬので、もし簡単に教えて頂くことが出来れば……」と知人宛に問い合わせの手紙を出している。「片山氏の字典には『旋盤の滑り台』としてありますが、それだけでは素人に分かり兼ねるのです」。イギリスのHenry Maudslay (1771-1831)の発明した機構であるslide-restであるので、マルクスはドイツ語の原文でも、英文字で入れ、カッコで対応ドイツ語をおぎなっている。そして、このスライド・レストの発明によって、近代的な工作機械、加工機械が生れ、歴史は資本主義的な大工業時代へと入っていくことを説いているのだ。この一語が、具体的に分らなければ、つまり河上肇に飲み込めぬならば、読者にも分かろうはずがないので正しい解説を求めたのであろう。
もし、このとき京大を追われていなかったなら、博士は『ブリタニカ大百科』にでも当たられて、ことの事情をよく会得されたであろうに。大学で購入していた『ブリタニカ9版』をみると、モーズレーが、旋盤の工具送り台(slide-rest)を、機械の主軸の動きに連動させて、自動式に(self-acting)、容易に正しいピッチのねじを作ることができる仕掛けを発明したことが図入りで詳しく述べられている。“特殊な紙魚”である河上博士のことである。「滑り台」の訳語で満足できなかったのだから、訳注でもほどこして、著者のいわんとしている“機械が社会経済に対して持つ意味合い”を、さらに補足したことであったろう。
その後『資本論』は訳者を変えながら、大正八年の高畠基之の翻訳以来半世紀以上昭和四八年の鈴木鴻一郎訳まで数種出版されている。しかし、このslide-restは、工作機械(Werkzeugmaschine=
machine tool)を「道具機」としたままなぜか改めようとしないように、旋盤滑止、滑り台、回転装置、往復滑台、旋盤滑台、となっている。“特殊な紙魚”は、二人とはいなかったようである。専門語辞典、便覧の類をいつでも見ることができる時代である。そして、そこでは、機械を扱う者ならだれもが知っている日本語「工具送り台」を容易に探すことができるというのに。嗟々!
(NOVEMBER 1976)




























