入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

書きたいことがあって書く、書くからには、エッセイという伝統を踏まえた文章を書きたい。その伝統とは何か――藤村や独歩、漱石のスケッチか、それとも、いやいやそんな議論ができるほどの教養はない、書く、一つのことを書く、そうだ、この話を聞いてほしい、読んで欲しい、と願って書く。たった一、二行ですむことを「文飾」する。「大事に育てていた小兎が、どうしたことだろう」、ヘンリーのことを書くのに、この冒頭がなかなかに出てこなかった。書き終えると、この冒頭だけが残った。うまかったな、と。『工業英語』(一九七四年創刊)の読者には、永いことぼくの自己満足にお付き合いいただいた。

藤岡記

 
舞台は変われど……
藤岡啓介
[ profile ]

大事に育てていた小兎が、どうしたことだろう、ある日のこと、とことことひとりで散歩へとしゃれ込んで、教会の方へいくではないか。追っていくと、兎は床下へと跳ねていってしまう。同じように、四つん這いになって、暗い床下へもぐり込んだ。入ってみると、くもの巣やら、しめった土や空気で、気味の良い所ではない。ひょいと隙き間を見つけて床を押しのけて頭を出すと、そこは、本が山と積まれた部屋だった。上がり込んで、手にとってみると、むずかしい教義の本もあれば、通俗的なロマンチックな物語もあった。兎のことは忘れて、見咎められないのを幸いに、読み始めた。それから毎日、床下を通って、書斎にかよった。ここで本を読むことを「発見」した。時計屋の小僧をしている十三歳のときのことだった。

メロドラマに憑(つ)かれて、うっかり役者になってみようかと思った。十四歳のときのこと。時計屋を勤めあげて田舎から都会に出ることになった。オールバニー(Albany、NY)の街は大きい、そして「グリーンストリート劇場」(Green Street Theater)の看板は、もっと大きく目に映った。どうにもたまらず、時の人ジョン・バーナードに頼み込んで、その劇団にもぐり込ませてもらった。役者になるのはなかなかのことだった。くる日もくる日も、かぼちゃの頭がカツラをつけたようなろくでなし(periwig-pated fellow)の仲間の中で、せっかくの情熱もずたずたにされる思いでいた。くさくさして稽古にもいかず転っていたとき、下宿のだれかが置いていった本を手にした。エミリーちゃんやキャロライン嬢が登場する問答式の科学入門書だった。

“You throw a stone or shoot an arrow into the air, ……しかし、どうしてねらった方向に向って一直線に飛んでいかないんだろうね。炎や煙もそうだよ、引っぱりも、押し上げもしないのに、どうして上へいくんだろうね”何日も芝居を休んで読みふけった。彼は十六歳になっていた。生涯における、これを「第二の発見」としている。

些細なことを容易に決しかねて迷ってしまうのが性分だった。靴の注文でもそうだ。つま先を角にすべきか丸にすべきか。毎日注文先の靴屋にいっては、角にしろ、丸にしろと注文を変えてしまう。どんな人の好い職人だって、これでは怒り狂ってしまう。日ならずして出来上がってきた靴は、つま先の片方が丸く、片方が角のものだった。

「第二の発見」で、新しく人生を考え始めていた時だったので、彼はこの深刻な事態をきわめて冷静に判断した。この靴をはいて劇場の舞台には立てない。だが、自分の立つべき舞台はある、それは、自然科学者のたつ舞台だ、と。

やがて、一人の偉大な学者、発明家が誕生する。一八三七年の春、ロンドンでチャールズ・ホイートストンやマイケル・ファラディーを前にして、熱電対を使った放電実験を行い、「電気が磁気が電気を生じないはずはない」という彼年来の研究テーマに結着をつけたのだった。ファラデイは
“Hurrah for the Yankee experiment! What in the world did you do!”
と叫んだと伝えられている。彼の名、Joseph Henry(1797~1878)は電気誘導係数の実用単位henryとして永遠に科学の舞台に残ることになった。
(上記ファラディーの言葉を訳してください。【この英文を訳す】

(DECEMBER 1975)

2008年10月27日号