ぼくは日記を書かない。仕事の中に封じ込めた。あのとき何をしていたか、書いたものを読みながら辿っている。得意の日々もあったが、およそは苦闘、苦悶の日々だった。そうしたとき、これだけはと、執念を燃やして書き続けていた。月刊誌『工業英語』の巻頭言。1974年4月から1987年3月まで、13年間毎月、横組み1300字という制約の中で書いてきた。日本の技術者に言葉を与えよう、という高ぶった気概で書き出した。これを読んでくれれば、時事英語も商業英語も工業英語もおのずと習得できるはずだ、差別も公害も戦も無くなるはずだ――それはだって「魂」の問題じゃないか。そして今読み返してみると、同じことを呼びかけたくなった。翻訳者の皆さん、再掲、お許しのほどを。――「けれども、私は、信じている、この短編集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、君の眼に、君の胸に浸透していくにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。」これは太宰治の言葉だが未だに忘れられないでいる。
藤岡記
犯人が跳んで、探偵が追う。ことの真相は作者だけが知っていて、もっともらしくしつらえた伏線に、読者は戸惑い、不明を恥じ、いや気がさした頃、急転直下、物語は大団円となる。作者は、どこまで読者に辛抱させるかを楽しむし、読者は作者の手腕を、自分が欺かれた度合いによって評価する。推理小説は、作者と読者が相対で行うゲームのようなものだ。だから、小説の舞台の地理的背景、人物の社会的関係、あるいは法律の条項について、いっそのことなにも知識がなく、作者の叙述に素直に従っていった方が、読んでいて楽しい。銀座みゆき通りで事件が起こるよりも、シカゴのミシガン通りの方が、本当に事件が起こりうるような気がするものだ。
欧米では、遺産相続が故人の遺言によって決定されたり、夫婦財産契約などというものがあって、妻が死んでも夫はその遺産に手が出せなかったり、あるいは宗教のおかげで離婚ができないなど、わが国と比べると、作者にとって、事件を起こしやすい状況がある。法律が個人の人格を重んじたものであるのと、最大公約数の常識を踏まえたものとの差異であるかも知れない。これは、彼我の住生活をみても容易に判断がつく。ふすまひとつで部屋の仕切りをして何世代かが同居するのと、壁とドアとカギのかかる個室に起居するのとでは、人格の扱いに大変なへだたりがあるのだから。もしもヨーロッパの生活に鍵の必要がなかったら……
十八世紀のイギリスに、Joseph Bramah(1748~1814)という発明家がいた。水洗便所を発明して街の話題をさらったかと思うと、矢つぎ早に、だれもあけることができないという回転錠を作り、特許をとった。ところが、この錠は、懸賞をつけて、その精妙さを誇ることはできても、ピンとみぞの細工が難しく、とても商品にはならなかった。そこでブラマーは、当時評判の高かった大工出身の機械職人Henry Maudslay(1771~1831)を傭い入れた。モーズレーは十八歳だった。彼はブラマーの錠を分解し、作動機構はそのままに部品の設計を改め、三種類の加工機械を工夫し、十二ヶ月たったとき、ブラマーが六年かかってもできなかった“patent lock”の商品化に成功した。
折しも、産業革命と呼ばれる世紀。精密さと堅牢さへの時代の要求は激しかった。木材を使った機械は全金属製に、そして「機械を作る機械」の工作機械が陸続と生みだされる。ブラマーの下で機械作りをして八年たったとき、妻子を抱えたモーズレーは、週三十三シリングという僅かな額の賃上げを要求したが、にべもなく拒否され、自分で店を構えることになる。旋盤の刃物台を、機械の親ねじに連動させて自動送りをさせ、精密ねじを作ることを可能とさせたslide rest(工具送り台)の大発明をし、歴史にモーズレーの名を永遠にとどめたのは、彼が三十三シリング故にブラマーと別れた後のことであった。
錠前を必要とする生活がなかったら、ポーを鼻祖とする推理小説のジャンルは、はたして確立されただろうか。“patent lock(特許錠)”でブラマーがモーズレーを招かなかったら、近代工作機械は、何十年もその誕生を遅くしたことだろう。なにがカギになって創り出されるか分からないところに、歴史の面白さがある。
なお、ブラマーの特許錠は、発明されてから七十七年たった一八五一年に、ようやく解錠されたという。五十一時間かかって成功したという記録が残っている。
(NOVEMBER 1975)



























