入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

ぼくは日記を書かない。仕事の中に封じ込めた。あのとき何をしていたか、書いたものを読みながら辿っている。得意の日々もあったが、およそは苦闘、苦悶の日々だった。そうしたとき、これだけはと、執念を燃やして書き続けていた。月刊誌『工業英語』の巻頭言。1974年4月から1987年3月まで、13年間毎月、横組み1300字という制約の中で書いてきた。日本の技術者に言葉を与えよう、という高ぶった気概で書き出した。これを読んでくれれば、時事英語も商業英語も工業英語もおのずと習得できるはずだ、差別も公害も戦も無くなるはずだ――それはだって「魂」の問題じゃないか。そして今読み返してみると、同じことを呼びかけたくなった。翻訳者の皆さん、再掲、お許しのほどを。――「けれども、私は、信じている、この短編集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、君の眼に、君の胸に浸透していくにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。」これは太宰治の言葉だが未だに忘れられないでいる。

藤岡記

 
かの偉大なシェーレ……
藤岡啓介
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ここは花の都パリ。あるとき、小さな北の国から、たくさんの御家来衆をひきいて、立派なヒゲをはやした王様が、儀礼訪問とやらでやってきた。いく日もの間、ひきもきらず宴会があって、王様はすっかり退屈。乾杯の合い間にとろり、もてなしの歌舞音曲でもとろり。もう人と会っても話すことはなくなったというのに、高位高官の貴族や僧侶、将軍たちが挨拶を待っている。いやはや。王様は、一日一日を、どんなに長く感じたことか。

そうしたある日、とうとう学者たちが王様のお相手をする順番がやってきた。流れ星の計算とやらをする天文の博士、水や空気を分析するという、魔法でも心得ているような学者、馬の病気を直す世界一という医者も交ざって、王様はまるで別世界に連れてこられた思いがした。

王様の前に出ると、学者たちはまず、こんな挨拶をしたという。「王様、あなたはお幸せです。あなたの国は偉大です。かのシェーレがいるのですから」シェーレ?王様はシェーレを知らない。右を向いて大臣をみやっても、左を向いて侍従に目顔で訊ねても、彼らは首を横にふるばかり。かの者、将軍であったろうか、それとも役人の中に、あるいは父の代に仕えた者であったか。王様は、この遠くパリにまで高名なシェーレを、早速に見つけだし、それに適わしい名誉を与えねばならないと、深く深く心に決めて、雪と氷の国へと帰っていった。

国に帰るや、総理大臣を呼んで命令した。「シェーレに伯爵の位をただちに授けるように」

総理は、おそれ入って引きさがってきたものの、彼もまたシェーレが何者かは分からない。そこで密偵が登場、国中くまなく、「かの偉大なシェーレ」を捜しにとび出した。たいして手間はかからなかった。四十八時間は待った頃、足を棒にした密偵隊の隊長が、泡をとばせながら、それでも使命は果してきて、「閣下、シェーレこそは、砲兵隊中尉で、国手ともいうべき射手。しかもビリヤードでも一級の腕前とか」と報告した。砲兵中尉シェーレは、ただちに伯爵に封ぜられ…… これは、十八世紀にほんとうにあったというスウェーデンのおはなし。

シェーレとは、Karl Wilhelm Scheele(1742~86)のことで、ラザフォード、プリーストリーと並んだ近代化学の生みの親の一人である。そもそもは薬局の見習であったが、同じスウェーデンの化学の先達ベリマンに励まされて、酸素と窒素を製造したり、植物界に存在する酒石酸、クエン酸、あるいは動物界の乳酸、尿酸、また鉱物のモリブデン酸、亜ヒ酸などを発見している。これらの発見が、ただちに国の経済に影響を与えたり、政治の流れを変える時代であったなら、この王様の話もなかったのだが。

いま、われわれの時代は“The Era of the Engineer”と呼ばれている。かつてないほど、科学技術者は求められ、貴しとされているが、為政者と科学技術にたずさわる者の間のコミニュケーションは、十八世紀の昔と全く変ってしまった、はたしてそういえるだろうか。

(AUGUST, 1975)