ぼくは日記を書かない。仕事の中に封じ込めた。あのとき何をしていたか、書いたものを読みながら辿っている。得意の日々もあったが、およそは苦闘、苦悶の日々だった。そうしたとき、これだけはと、執念を燃やして書き続けていた。月刊誌『工業英語』の巻頭言。1974年4月から1987年3月まで、13年間毎月、横組み1300字という制約の中で書いてきた。日本の技術者に言葉を与えよう、という高ぶった気概で書き出した。これを読んでくれれば、時事英語も商業英語も工業英語もおのずと習得できるはずだ、差別も公害も戦も無くなるはずだ――それはだって「魂」の問題じゃないか。そして今読み返してみると、同じことを呼びかけたくなった。翻訳者の皆さん、再掲、お許しのほどを。――「けれども、私は、信じている、この短編集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、君の眼に、君の胸に浸透していくにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。」これは太宰治の言葉だが未だに忘れられないでいる。
藤岡記
あるとき、外国ものの機械に魅入られたエンジニアが、それと同じものを作ろうとした。機械をばらし、図面をとり、材質を調べ、加工・組立の手順も工夫した。作っているうちに、かれは、機械の操作部分が、日本人にとって少し高い位置にあることに気がついた。これでは、床に踏台をおかなくては扱えない……。そこで、作っている途中から機械の脚部の寸法を何インチかつめて組立てた。出来上がったものは、オリジナルのものと、全く同じように作動した。歯車も、カムも、ねじ一本も、寸分と違わぬように作ったのだから、それは道理だった。
ところが、実際にものを取りつけて加工を始めると、自作の機械は、オリジナルものにはない不思議な震えを起こし、異常音を発生した。そこで、原因を調べるために分解し、再び組立ててみた。異常音は消えない。何度も同じことを試みたが、どこにも間違いはないように思えた。思いつめてみても良い思案は浮かばない。かれは機械を離れた。離れて歩きだしたとき、ふと原因に思い当った。
脚をつめたのがいけなかった。そのために、機械の見栄え、美しさを損ない、しかも機械全体の振動系をぶちこわしてしまったのだ。たった数インチの鋳物のために、かれは何ヶ月かの時間を浪費してしまった。いや浪費ではなかったかも知れない。完全と思われるものには、なにひとつ不必要なものはないし、理由のないものはつけ加えられていないという真理を発見したのだから。
性能、精度、耐久性、生産性のあらゆる観点からみて理想の形にでき上がっている機械――工作機械でいうなら、たとえばスイスのシップ社、ディキー社の治具ボーラ、マーグやライスハウエルの歯車機械、これらはどの角度から眺めても、まるでミロのヴィーナスと同様に美しい。芸術でも機械でも、最高の域に達したものは、凡庸のものにつけ入る余地を拒絶するなにものかがあるのだろう。
言葉の芸術である文学にも、「一語説」という理論がある。ひとつの事象を表現するのに、もっとも相応しい言葉は一語しかない。その言葉を探して文章を練り上げるのが文学であるというわけである。芸術至上主義、形にとらわれて内容をおろそかにする、の謗りもあるが、わが国伝統の剣の修業に似て、このような考えを思いつめていくと、殺気をすら感じて身震いをする。
名文であるものに猥褻な書物はない、といい切って、常に文を磨いたフローベルに、短編『エロディヤス』と結ぶとき、言葉につまり、大変な苦心をしたというエピソードがある。「……斯くて三人は、ヨオカナンの首を携へて、ガラリヤの方へ去りゆくのであった。その首が甚だ重かったので、三人は交る交る待ち合つた。」この文中の“交る交る”を表現する副詞alternativementがフローベルを数日にわたって悩ませた言葉であった。引用した訳文は、わが国仏文学の泰斗辰野隆のものである。この言葉の訳出に、交々(こもごも)、交(かは)り合って、交代しながら、順々に、あるいは、「交る交る、交る交る」と重ねたり、辰野先生もまた非常な苦心をしたと述懐されている。ちなみに、フローベルがalternativementを見出して筆を擱いたのは、1877年1月31日、水曜日の夜、10時10分であった、という。
(June, 1975)



























