入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

ぼくは日記を書かない。仕事の中に封じ込めた。あのとき何をしていたか、書いたものを読みながら辿っている。得意の日々もあったが、およそは苦闘、苦悶の日々だった。そうしたとき、これだけはと、執念を燃やして書き続けていた。月刊誌『工業英語』の巻頭言。1974年4月から1987年3月まで、13年間毎月、横組み1300字という制約の中で書いてきた。日本の技術者に言葉を与えよう、という高ぶった気概で書き出した。これを読んでくれれば、時事英語も商業英語も工業英語もおのずと習得できるはずだ、差別も公害も戦も無くなるはずだ――それはだって「魂」の問題じゃないか。そして今読み返してみると、同じことを呼びかけたくなった。翻訳者の皆さん、再掲、お許しのほどを。――「けれども、私は、信じている、この短編集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、君の眼に、君の胸に浸透していくにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。」これは太宰治の言葉だが未だに忘れられないでいる。

藤岡記

 
高潔必ずしも貧ならず……
藤岡啓介
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学識は豊か、人格は高潔、筋の通らぬことはしない、理由の分らぬ金銭の出入は認めない、といって清廉のきこえも高いまま生涯を全うした学者や政治家の話は多い。筋の通らぬこと、理由の判然としない金品を扱うことしばしばという俗世に生きているわれわれが、いまさら晋の時代の竹林の七賢にあやかって清談をたのしめるわけはないのだが、ひとつくらいは他の者の介入を許さない心のthreshold(閾)が保てるような余裕を持っていたいものと思う。それは、他人の言動に安易に嘴を容れることを控えることになり、権利・義務の建て前をいっそうと明確にしなくてはならず、凡庸の者にとってはなまなか余裕どころか、心苦しさにさいなまれることになるのだが……

十九世紀のアメリカを四分の三世紀生きた実業家Cyrus McCormick(1809~1884)は、草刈機(reaper)を発明し、百万長者となったが、その晩年においても、八ドル七十セントのために起こした裁判を争い続けていたということが伝えられている。高潔、正義を守り激しく生命力を燃やして挑めば、巨億の富をも築くことができたアメリカ十九世紀の話から、東洋流、高潔即清貧という図式が思い出される。

あるとき、マコーミックはニューヨークからワシントンへと旅立とうとした。妻子、召使たちを数従えて駅のホームに立ったのだが、切符を調べてみると、妻の荷物の料金が八ドル七十セント余分に支払われていた。彼は払い戻しの裏書きを車掌に要求したが、車掌は言を左右に、発車時刻が迫っていることを理由に、彼の要求に従わなかった。家族たちはすでに乗り込んでいたが、マコーミックは、彼らに荷物ともども降りるように命じて、旅行をやめてしまったという。

列車はマコーミックたちをホームに残したが、荷物の一部を運んでいってしまった。すぐとマコーミックは鉄道会社の社長あてに電報を打ってことの処置を訴えたが、行き違いが重なって、荷物はシカゴの倉庫にまで運ばれそこに保管されてしまう。運の悪いことに、今度は倉庫が落雷で火災を起こし、荷物もろとも灰となってしまった。マコーミックは損害賠償の訴訟を起こした。裁判は両者相譲らず、二十数年にわたって繰り返され、下級から最高裁へともつれ込んだ。世にいう、マコーミックのHoly War(聖戦)である。マコーミックはこの裁判に何万ドルも費やし、とうとう勝利を収めたが、すでにこの世にはなかった。彼の妻は息子にこう伝えた。“You see, your father’s course from first to last is……vindicated!”

マコーミックは時間と金の無駄をしたのだろうか。彼は百万長者だから、自分の正しさをvindicate(立証)できたのだろうか。それとも発明家の例にもれず、彼もまた裁判沙汰が好きだったのだろうか。彼の心の中の、閉ざされた閾の中のことを知るすべはない。同時代人は彼にnobilityという言葉を冠した。われわれは、高潔必ずしも貧ならず、という命題を知るべきであろう。

なお、マコーミックの若いとき、特許をめぐって争いがあった。相手方の弁護士の一人にAbraham Lincolnが立った。裁判でマコーミックは敗れ、リンカーンは千ドルの弁護料を依頼人から受け取った。やがて、リンカーンはそれを資金としてStephen Douglasと有名な政治論争シリーズを展開し、大統領となっていく……

(MAY 1975)