入門翻訳勝ち抜き道場

巻頭エッセイ

ぼくは日記を書かない。仕事の中に封じ込めた。あのとき何をしていたか、書いたものを読みながら辿っている。得意の日々もあったが、およそは苦闘、苦悶の日々だった。そうしたとき、これだけはと、執念を燃やして書き続けていた。月刊誌『工業英語』の巻頭言。1974年4月から1987年3月まで、13年間毎月、横組み1300字という制約の中で書いてきた。日本の技術者に言葉を与えよう、という高ぶった気概で書き出した。これを読んでくれれば、時事英語も商業英語も工業英語もおのずと習得できるはずだ、差別も公害も戦も無くなるはずだ――それはだって「魂」の問題じゃないか。そして今読み返してみると、同じことを呼びかけたくなった。翻訳者の皆さん、再掲、お許しのほどを。――「けれども、私は、信じている、この短編集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、君の眼に、君の胸に浸透していくにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。」これは太宰治の言葉だが未だに忘れられないでいる。

藤岡記

 
経験を科学へ……
藤岡啓介
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フランスの生理学者クロード・ベルナールは、十九世紀も半ばを過ぎた一八六五年、『実験医学研究序説』を著わした。それまでの医学が、経験的知識と勘に頼った技術であったものを、化学、物理ですでに行なわれている実験的方法を用いるならば、医学もまた科学たりうるのではないか、と主張したもので、当時の学界のみならず、社会的にも大変な反響を呼び起したものであるという。

作家のエミール・ゾラは、「医者という言葉を小説家という言葉で置き換えて」みればどのようになるか“実験”した。特異な神経病者の女性アデライド・フークを祖として、ゾラは三十一人の子、孫、曾孫などで構成されるルゴン・マッカール家の家系図を人工的に作り、それぞれを主人公とする小説を、若冠二十八歳から三十余年にわたる生涯をかけて、つぎつぎと創作していった。

家系の中には、居酒屋のジェルヴェーヌ・マッカール、女優ナナもいれば、獣人の機関士ジャック・ランチェもいる。ゾラはベルナールの実験医学を、実験小説として捉え、このような気狂い一家の個々の臨床例を追いつづけ、いわゆる自然主義文学を主唱していくようになった。

人間の恥部を抉(えぐ)り、仮借(かしゃく)なしに社会悪を追求するゾラの流派は、たちまちにして、良識ある、勢力のある層から激しい非難をあびるようになったが、そうしたとき、ゾラの作家としての天分を惜しんだ人が、「なぜ自然主義などと唱えるのですか?そんなことをいわなくても、あなたは立派に作家としてやっていけるのに」と問うたことがあった。ゾラは、「だれしも看板がいるでしょうに」と応えたという。

ひとつの発想があったとき、それをもっとも簡明に表現するのが、言葉であり、力をもったスローガンとなり、つまりは、ひとつの運動の看板となる。摩擦、摩耗、潤滑、軸受設計を対象とする工学は以前からそれぞれにあったが、資源、エネルギーを考慮に入れたglobalな、国際的な運動の中では、集合化され新しいtribology(トライボロジー、摩擦学)という看板が生まれる。加工形状の似たものを群としてまとめ、加工機能の似かよった機械群に送り込んで加工の能率を上げる。これは、現場の職長レベルで、コンピューターのない昔から日常的に行なってきたものだが、group technology(グループ・テクノロジー、群管理技術)というスローガンが与えられると、生き生きとした工学体系となって装いを改めてしまう。

近頃は工学で、terotechnology(テロテクノロジー)という新しい言葉も現われた。ギリシア語のtereoを語源として造った言葉で、to take careを意味するものという。保全保守の Preventive Maintenance(P.M)をシステマチックに設計にフィードバックして、より経済的なlife-cycle costsを設計する工学であるという。

ゾラは、新しく変化していく人々の魂の動きに追いつけずに、次第に陳腐化していこうとしていた写実主義小説に対して、ベルナールの方法論を借りて新しい小説の方法を創造したが、工学もまた、資源、エネルギー、環境、市場、すべてに途を閉ざされていく中で、現場的な経験を科学に、あるいは固有技術を総合化するなど、新しい皮袋を選んでいかなければならない。

経験を創造的な科学へ。これは古い言葉ではあるが、未来を約束する言葉として、座右の銘としておきたい。

(DECEMBER 1974)