ぼくは日記を書かない。仕事の中に封じ込めた。あのとき何をしていたか、書いたものを読みながら辿っている。得意の日々もあったが、およそは苦闘、苦悶の日々だった。そうしたとき、これだけはと、執念を燃やして書き続けていた。月刊誌『工業英語』の巻頭言。1974年4月から1987年3月まで、13年間毎月、横組み1300字という制約の中で書いてきた。日本の技術者に言葉を与えよう、という高ぶった気概で書き出した。これを読んでくれれば、時事英語も商業英語も工業英語もおのずと習得できるはずだ、差別も公害も戦も無くなるはずだ――それはだって「魂」の問題じゃないか。そして今読み返してみると、同じことを呼びかけたくなった。翻訳者の皆さん、再掲、お許しのほどを。――「けれども、私は、信じている、この短編集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、君の眼に、君の胸に浸透していくにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。」これは太宰治の言葉だが未だに忘れられないでいる。
藤岡記
伝説とは、真実と異なるものが多いが、真実に増した真実を伝えることもある。ヘンリー・フォードが自動車の組立にコンベアラインを導入することを思いついたのは、シカゴの肉工場で、鎖式のコンベアに下げられた牛、豚を作業者が持場々々で割当てられた作業を果たしながらつぎつぎと解体しているさまを見て、解体の逆、組立をすれば良いと思いついたのだ、と本人が語っている。ところがこれは事実とは違っていて、フォードが、後に人々に組立の自動化を説明しやすく語るために、彼が創りだした伝説であったようだ。しかし、工業製品をコンベアで組立てるという、世界で初めての構想を解説するのに、この解体と組立の話は、きわめて真実である。
こんな話もある。十八世紀のアメリカで、数多くの発明家を輩出させたことで名高いEngineering Dynasty(技術王朝)スティーヴンス家のジョンは、エンジン、ボイラーの発明に余念がなかったが、ある朝、ベッドの中でひらめきをみた。隣りで寝ている妻の背中に、思いついた機構をスケッチし始めた。目覚めて動こうとする妻に“Hold still! Don’t you know what figure I am making?”(動かないで!分るかい、いまたいへんな図を書いているんだよ)というと、美人で聡明で名高い妻のレイチェル、応えて曰く、“Yes, Mr. Stevens―the figure of a fool.”(えゝ、スティーヴンスさん――おバカさんの図でしょ)、と。
モールス記号で名高いモールスは、フランスから大西洋を渡ってアメリカへ帰るスレー号の船中で、スタイラスを使って、ツートン、ツートンと電流を切るアイデアを得た。彼は船長をつかまえて、“When you hear at the magnetic telegraph, remember it was invented on your ship”(磁気電信について耳にしたら、いいですか、それはあなたの船で発明されたんですよ)、と。
ニュートンの万有引力の法則発見についてのエピソードは、こうした伝説の中でも、もっとも有名なものだ。リンゴの木のそばで実の落ちるのを見ているニュートンの姿は、世界中の子供たちが知っている。しかし、これは「そうであっただろう」という推測から、後世の人がつくりだしたものである。一六六五年、Bachelor of Artsとなったニュートンは、ベストで閉鎖された大学を離れて、生家のあるウルスソープに帰り、そこに十八ヶ月留まった。この十八ヶ月が、科学の歴史を書きかえる偉大な創造の日々となるのだが、われわれの知っているエピソードはなかったという。当時のことを語って、ニュートンはこういっている。
“I keep the subject constantly before me and wait till the first dawning open little by little into the full light.”(わたしは、たえず問題を目の前におき、待つのです。朝あけのきざしが、少しずつ明るさを増し、やがてあたり一面を明らかに照らし出すまで、待つのです)、と。
これが、伝説ならぬ真実であるのだろう。じっと待つことのできる者と、できぬ者とで、歴史はつくられていく……
(OCTOBER 1974)



























