ぼくは日記を書かない。仕事の中に封じ込めた。あのとき何をしていたか、書いたものを読みながら辿っている。得意の日々もあったが、およそは苦闘、苦悶の日々だった。そうしたとき、これだけはと、執念を燃やして書き続けていた。月刊誌『工業英語』の巻頭言。1974年4月から1987年3月まで、13年間毎月、横組み1300字という制約の中で書いてきた。日本の技術者に言葉を与えよう、という高ぶった気概で書き出した。これを読んでくれれば、時事英語も商業英語も工業英語もおのずと習得できるはずだ、差別も公害も戦も無くなるはずだ――それはだって「魂」の問題じゃないか。そして今読み返してみると、同じことを呼びかけたくなった。翻訳者の皆さん、再掲、お許しのほどを。――「けれども、私は、信じている、この短編集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、君の眼に、君の胸に浸透していくにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。」これは太宰治の言葉だが未だに忘れられないでいる。
藤岡記
フランスのとある片田舎、鉄砲鍛冶のル・ブランのところへ、ひとりのアメリカ紳士が訪れてきた。時は一七八五年、アメリカの独立戦争からすでに九年たっていた。用件はもちろん銃を買いつけることであったが、この客人がそこに見たものは、完成された銃ではなかった。五十挺分のマスキット銃が、部品ごとにばらばらに並べられていたのである。
手当たり次第に、彼は部品を手にとって、自分で組み立ててみた。素人でも美事に組み立てられるではないか。ル・ブランは説明した。これは自分が考案した「道具」で作ったもので、製作時間を短くするし、コストも普通の市販品よりも安くできる・・・・・・。
そして、アメリカ紳士は考えた。このように精度のよい部品で組立てられるのなら、修理にも都合がよいのではないか。アメリカは建国したばかりで新しく、広い。先進国からの移民と原住民、自然と野獣との闘いが待ち受けている。このような銃こそ、この銃を作る技術(jig、治具の利用)こそ、いまのアメリカに必要なのではないか。彼はただちにこれらの見聞と驚きを伝えるべく政府に手紙を書いた。
鉄砲鍛冶ル・ブランを訪れ、今日でいう治具をもちいる「部品の互換性(interchangeability)」に刮目したアメリカ人は、当時フランス公使であったトーマス・ジェファーソン、アメリカの「独立宣言」の起草者、そして第三代大統領その人である。
このジェファーソンの「発見」は、後にエリー・ホイットニーによって近代的な工作機械と治具の使用による互換性のある部品の生産――すなわち、アメリカがヨーロッパ技術から完全に乳離れして、近代的な、アメリカ的大量生産への途を拓くにいたる生産方式の導入へと通じるのである。
わが国の政治家では、島津斉彬や勝海舟がこのエピソードに似たものを持っているが、世の中をどのように変革するか、それを何によって行うかが政治から技術へのアプローチの視点となっていよう。したがって、ロシア革命の後のソビエト建国時に、レーニンがアメリカのテーラーが提唱した生産管理理論に非常に強い関心を持ったのも当然のことといえる。
政治から技術へのインターチェンジがあれば、一方で技術から政治へのそれもなくてはなるまい。近ごろ手元にきたアメリカのある技術団体の理事選挙のアッピールをみると、五つの椅子をめぐる十二人の候補を紹介したあとに、指名委員長はつぎのようなコメントをつけている。「ウォーターゲートの陰謀家はおりません。事務所から放り出すような悪漢もいません(There are no Watergate conspirators ; there are no rascals to be thrown out of office.)」。
これもインターチェンジのひとつの形ではあろう。その声に猛々しさはないが・・・・・・。
(May、1974)



























