ぼくは日記を書かない。仕事の中に封じ込めた。あのとき何をしていたか、書いたものを読みながら辿っている。得意の日々もあったが、およそは苦闘、苦悶の日々だった。そうしたとき、これだけはと、執念を燃やして書き続けていた。月刊誌『工業英語』の巻頭言。1974年4月から1987年3月まで、13年間毎月、横組み1300字という制約の中で書いてきた。日本の技術者に言葉を与えよう、という高ぶった気概で書き出した。これを読んでくれれば、時事英語も商業英語も工業英語もおのずと習得できるはずだ、差別も公害も戦も無くなるはずだ――それはだって「魂」の問題じゃないか。そして今読み返してみると、同じことを呼びかけたくなった。翻訳者の皆さん、再掲、お許しのほどを。――「けれども、私は、信じている、この短編集、『晩年』は、年々歳々、いよいよ色濃く、君の眼に、君の胸に浸透していくにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生れた。」これは太宰治の言葉だが未だに忘れられないでいる。
藤岡記
紀元前1200年頃のミケーネ期の竪穴噴墓で発見された木製の鉢がある。よくみると、底の浅い鉢のフチの形や、中心穴があることなどから、それが道具を使って旋削加工したものであることがはっきりと分かるという。当時すでに旋削加工が行なわれていたと推定されるわけだが、それから千年ほど経った頃のケルト人が残したものをみると、もはや旋削機械の存在したことは疑う余地がなく、加工物を心間に挟んで旋回させ、ときにはマンドリルを使い、手持ちの刃物をそれに押し当てて削ったものと考えられている。イギリスのモーズレーが、固定された工具を自動送りさせるスライド・レストというメカニズムを発明して、近代的な工作機械を創り、歴史を急転換させたのは、それから2000年の後のことである。
技術の歴史は、こうしてみると、途方もなく古く、そして途方もなく蓄積された人間の知恵の結果であるように思える。そして、近代18世紀の産業革命以降の今日に至る発展ぶりは、それが一気に迸り出たかのような観があるが・・・・・・
言葉にも、同様なことがいえる。生まれたばかりの赤ん坊が、2、3才になると、それまで吸収した情報を持ちこたえられなくなったかのように、突然に上手に喋り出す。職場で英語のみを使わせていたら、しばらくは意思の疎通がうまくいかず、仕事も滞りがちであったものが、ある時、「突然」にうまく話せるようになったという話を聞く。1ヶ月たってのことか、1年たってのことであるかはともかく、それに徹底すればするだけ早いはずである。
ガリレオやケプラーは自分の業績を公表したり、保護するために、しばしば「手紙」を利用したというし、ワットはことのほかwritingを重んじて、自分で複写機までも発明したほどであった(そのため、今日でもワットの詳しい記録を知ることができる)。逆に、ニュートンは微積分法の発見をしても公表しなかったがために、後年ライプニッツとトラブルがあった。
書くことは幸運を齎しもするし、不幸を招くこともあり、あるいは恥を「かく」ことでもあり、いつの世でも煩わしいことではあるが、ことは書かなくては始まらない。
旋回する加工物に手持ちの工具を当ててものを作る。この工具を持つのが自国語を使うこととするならば、スライド・レストを使うのは、国際語である英語を使うことになるのではあるまいか。
APRIL1974(『工業英語』創刊号)



























