入門翻訳勝ち抜き道場

編集部発:翻訳者インタビュー



水野 麻子
水野 麻子さん

今回は趣向を変えて、産業翻訳者さんのインタビューです。
水野麻子さんといえば、特許翻訳では知らない人がいないほどの有名人。この度、『語学力ゼロで8ヵ国語翻訳できるナゾ どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく』(講談社+α新書)を上梓されました。本の帯には、「専門知識、実務経験がなくてもプロになれる!」、「先入観と「できるわけがない」を捨てろ」、「短大卒、英検3級の「ずぶの素人」が特許翻訳者になり2年後に月収100万円超を実現!」など、興味津々の言葉がズラリ。この度は、本のことを中心にインタビューさせていただきました。

――『語学力ゼロで8ヵ国語翻訳できるナゾ』(講談社+α新書)を読みました。おもしろかった!出版の経緯をお話いただけますでしょうか。

直接的な動機はリーマンショックにあります。2008年の大晦日直前に信じられない数字の失業率が報道され、翻訳業界でも苦戦している人の声を耳にするようになりました。このため、少しでもそうした方々の助けになればと願って正月休みに原稿を書き、1月7日に某出版エージェントに企画書と原稿の検討を依頼しました。結果は「出版は難しい」として却下されましたが、そのときの評価に「(翻訳という)専門性以外の広がりを持つ一般的なテーマとしてまとめることができれば、ビジネス書として価値のあるものになるかもしれない」という主旨の言葉があったのです。このため、専門性の高い部分を少し削り、4月に別の出版支援サービスで約100社の出版社に企画書のオファーをしてもらいました。そのとき反応してきてくださった中から、最終的には講談社とご縁があったという流れです。

ただ、その原稿も読者が追体験しにくいと判断された部分は大幅カットになり、代わりに編集者さんのアドバイスに沿った加筆をしました。こうして何度か練り直しが入った末に出版に至っています。結果、翻訳業界だけでなくビジネス書としても高く評価して頂いたようで、発売3日で2刷、10日で3刷となりました。やりたいことがあるのならば、その道のプロからアドバイスを受けるのが早道――。「餅は餅屋」とは、ほんとうによく言ったものですね。

――持論にしてらっしゃる「どんなことでも実際に試してみるまで結果はわからない」ですが、浅葉和子先生の造形教室に小学生の頃通っていたことが大きいと書かれています。具体的に、どういったことがよかったのか、お話いただけますか?

この教室では、「できない」が禁句です。明示的に禁止されていたわけではないとはいえ、「どうすればできるか」を考える雰囲気がありました。また、自分の好きなことを職業にした卒業生がよく遊びにきていて、それがどんなことでも先生はいつも「すごい!!」とほめて応援します。また、先生自身も常に新しいことに果敢にチャンレジし、行政や国を巻き込んだ大きなイベントなども、ときどき企画しています。「できない」という言葉は、「本当はやりたくない」という意味だと分かったのも、浅葉先生や教え子たちと過ごした経験があるからだと思っています。

――23歳でフリーの特許翻訳者という選択は、従来の一般的な考え方ではなかなかないですよね。そのときも、「どんなことでも実際に試してみるまで結果はわからない」といった持論があったからでしょうか。

心の奥底にはあったのかもしれませんが、表面上はそんなに複雑なことは考えていませんでした。年齢的に、それが一般的かどうかを判断できるほど多くの人と接した経験があるわけでもないですし、仮に大人の半数以上が「一般的でない」と考えていることが統計か何かで明らかになったとしても、そのことと自分がどうするかは無関係ですよね。単純に、当時の自分にとって一番現実的な選択をしただけです。大事なのは障害があるかないか、あるいは大きいか小さいかではなく、「自分がどうしたいか」という、その一点に尽きます。障害を理由に躊躇するのは、じつはそれが本当にやりたいことではないからで、そのまま前進するといずれどこかで自分に無理を強いることになります。それよりも、自分自身がやりたいことを実現するための方法を考えるほうが、何倍も有意義でしょう。

――翻訳に関する本はたくさんお読みになっていらっしゃるのでしょうか。

独立した頃に読んだ「翻訳全般の」指南書は数冊程度です(ただし、自分の仕事に関連しそうな本であれば、相当な冊数を読んでいます)。昨年はじめて、翻訳者になりたい人のヒントになればと考えて、1950年以降に出版された翻訳関連の本にひととおり目を通しました。わたしのブログで、94年までは1年1記事で書誌と概要を列挙し、95年以降については1冊1記事で、目次も含めて紹介しています。もっとも、300冊以上あるので記事はなかなか進みませんけれど。

――翻訳以外でしたら、どんなジャンルの作品が好きですか?これまでに刺激を受けた、具体的な作品があれば作品名とその理由も教えてください。

ミステリーとホラー小説以外、ジャンルを問わず読みます。ただ、娯楽で本を読むことはほとんどなく、必要なときに必要な本に目を通します。社会人学生をしていたときは専攻していた心理学や家庭教育に関する本を時間が許すかぎり読み、自分が出版するときには出版業界の諸事情や書籍の作り方に関する本に、把握できた範囲ですべて目を通しました。あるいは、地域の小学校で授業サポートのボランティアを受けたら、小学校教育やPTAに関する本を読むといった具合に、そのときどきで自分が関与しているテーマで集められるだけ本を集めて多読します。そういう意味では、専門知識を持たずに高品質の特許翻訳をするための資料の読み方と、基本は同じだと思います。ソムリエ界の第一人者である田崎真也さんが同様の方法を採っているそうですので、業界を問わず何かで一定以上のレベルまで達する上で、かなり有効な本の読み方なのかもしれません。

また、最近ではブログの記事や書評を書くために本を読むこともよくあります。わたしは文章を書くのが好きですから、自分にとって楽しいことで多くの方と良質の情報をシェアできればという気持ちが背景にあります。

――「多くの方と良質の情報をシェア」といえば、『語学力ゼロで~』のリレー記事も実に読み応えがありました。

あれは楽しかったですね。もともと、本魂!というブログでの書評記事コンテストの対象書籍になり、わたしが優勝者を選びました。でも、参加者それぞれに個性的だったので、コンテストだけで終わりにしてしまうのは、もったいないと思ったのです。そこで、11日間連続のプラスαリレーを考え出しました。具体的には、もとの書評と本1冊を関連させて付加価値のある記事にし、なおかつその本を翌日の記事にも関連させる形を取ったのです。「ぶっつけ本番」のライブ生中継のようなもので、アクセスもかなり伸びました。この遊びに対する読者の感想として「よくそれだけネタ本が出てくる」という声が多かったのですが、わたしの場合は新しいことを始めるときに関連書を100冊くらい読むのは普通で、加えて日頃からいろいろなところに手を出しているため、結果として相当な量の本を読んできています。また、一見「関係なさそうな」ジャンルの本を同じジャンル扱いにすることも多いので、必然的に分野も多岐にわたります。

この「関連性」という点では、たとえば翻訳者になるというときに「翻訳全般の指南書」は、むしろ自分にとって必要な類に入らないのです。代わりに、ビジネス書や理工書、哲学関係、外国為替、金融経済、教育、芸術などに分類されるような本の中に、わたしにとっての「翻訳ジャンル」の本がたくさんあります。たとえば、リレーでも紹介した『感動をつくれますか?』など、高品質の翻訳をする上でのヒントやアイディアが、ぎっしり詰まっていますよ。

――昔から欧米が好きだったということですが、翻訳者になる前の英語学習歴と親しんできた欧米文化についてお話いただけますか?

母校の中高一貫校に「ペンフレンド同好会」という活動があって、中学2年のときに加入しました。全部で38名の文通相手と互いに写真や自国の雑貨など送り合っていたのですが、選択肢の中にあった相手国が欧米中心で、この時期に欧米がことさら好きになりました。どこまで伝わっていたのかも怪しい英語の手紙を、それなりにがんばって書いていたものです。こうして出会った友人とは年齢が上がるにつれて疎遠になった中、ひとりだけ今も文通が続いているドイツ人がいます。それもあるのか、街で見かけて「いいな」と感じる品物はドイツ製のことが多く、手帳も20年近くずっと同じドイツのメーカーのものを差し替えて使っています。

英語学習歴は、人と違うことをしたかった高校2年で国連英検B級、短大時代に商業英検3級を受けるために過去問題を解いていたのが、学校の授業以外での勉強らしい勉強です。あとは、勉強というよりは興味が向くままに英文を読んだり日本語にしてみたりしていた程度です。

――水野さんの文章はとてもなめらかで、読んでいて心地よく、ものすごい集中力で仕事に向き合ってらっしゃるにも関わらず、それでも読み手への威圧感がなく、あ、なんだか、私にでもできそう、と思わせるマジックを感じさせます。日本語力のために心がけていることはありますか?

「日本語力」として意識的に心がけていることは、特にありません。ただ、言語を問わず語彙や表現の点で高品質の成果物にするには、まずは良質の文章を大量に入力する必要があるとは思います。自分で書くか翻訳かという問題ではなく、インがないのにアウトだけ高品質というのは、考えにくいですから。

一方、威圧感云々は語彙や表現力の問題ではなく、書き手がどれだけ読者のほうを向いているかに左右されると思っています。翻訳をするときに、見知らぬエンドユーザーにまで思いを巡らせるのが不可欠なのと同じで、文章を書くときも想像力をフル活用して読者を想うようにしています。

――これからのお仕事の計画を教えてください。

無計画です(笑)。分かるのは、今までどおり「そのときどきで、自分のやりたいこと」をするだろうということだけですね。1ヶ月後とか1週間後とかいった近い将来でも、自分が何に関心を持っているかは予測不能ですし、周囲がわたしに何を求めるかも未知数です。ある日突然、強烈に興味を引かれる対象が出現すれば、それを仕事にする可能性は高いと思います。たとえば以前、米国最大手の出版社Scholasticから直輸入で英英辞典の販売をしていたのですが、その辞書の存在を知っていくらもしないうちに、直取引の契約をしていましたね。動機は「この辞書を日本に紹介したい」という、ただそれだけです。その後、Amazonの日本進出で直輸入の必要性を感じなくなってこの仕事は終わりにしましたが、通関手続きや関税のことなど勉強になることも多く、よい思い出です。あるいは、周囲がわたしに求めていることの中から、おもしろそうな仕事をチョイスすることもあります。

――本のサブタイトルとして「どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく」と書かれてあるように、仕事に対する姿勢は、産業翻訳であれ出版翻訳であれ同じだと思います。プロの翻訳者を目指している読者へのメッセージをお願いします

まずは、「翻訳」という大きなくくりではなく、自分が翻訳の「何に」引かれるのかを自問してみることをおすすめします。幼い子どもが何かに夢中になると、いつまでも飽きずに遊んでいるのと同じ。自分にとって寝食を忘れるほどワクワクして楽しいのは、「翻訳」のどの部分でしょうか。未知の事柄を徹底的に調べることに、好奇心をくすぐられますか?原文の情報を他の言語で表現することに、創造性を感じますか?こうして興味を引かれる部分が分かったら、そこに的を絞って「これだけは誰にも負けない」というくらいまで、スキルアップしてみましょう。楽しいことを選んでいますから、多少の壁は苦にならないはずです。何かひとつ同業者と圧倒的な差をつければ、それが強みになります。

最後に、翻訳でも他の仕事でも、一定以上のレベルで高い成果を上げるために必要なのは、「自分自身をよく知ること」だと思います。自分は何が得意で、何がそうでもないのか。何が好きで、何が嫌いなのか。何をやってもうまくいく「ように見える」人というのは、ごく一部の例外的な天才をのぞいて、潜在能力的には他の多くの人とそれほど違いません。唯一違うのは、自分にほとんど無理をせずに行動している点だけでしょう。

己と対話し、己を知る――。それは、世界中で自分自身にしかできないことです。

ぜひ、自分と正直に向き合ってみてください。きっと、すばらしい道が拓けると思います。陰ながら、応援しています。

(インタビューおしまい)

 私が特に興味を持ったのは、浅葉和子先生の造形教室での話です。「この教室では、「できない」が禁句です。明示的に禁止されていたわけではないとはいえ、「どうすればできるか」を考える雰囲気がありました」。この言葉を胸に、私も自分に課せられた責務をこなしていきたいな、と思いました。いや、わかっているつもりなんですが、つい、「そんなの無理」と思ってしまうんですよね。それは本当はやりたくないってことか…(笑)。
 出版不況と言われる昨今ですが、だからといって翻訳出版はむずかしいのでしょうか。それは捨てるべき先入観かもしれません。「己と対話し、己を知る」。そうして、「何かひとつ同業者と圧倒的な差をつければ、それが強みにな」る。水野さんの『語学力ゼロで8ヵ国語~』、是非、手にとってみてください。そして、水野さんのサイト、特にブログもおすすめですよ。(Y.H.)


2010年4月26日号
(第4巻154号)