入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:翻訳の現場から

新訳ブームに思う

山岡朋子
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The Little Prince
The Little Prince
Antoine de Saint-Exupery , Irene Testot-Ferry 訳
アマゾン価格:525円

Wikipedia で『星の王子さま』を見て驚いた。この本を訳している人がなんと十八人もいる。版権が切れたのが二〇〇五年一月だから、二年あまりのうちに十七人が新訳を出したのだ。わかるような気もする。

フランス語が読め、翻訳ができるのなら、「わたしの王子さま」を描いてみたくなるだろう。有名な作家が訳していれば、あの人の訳で読んでみたいということもある。新訳を読み比べているうちに、これ!と思う訳が見つかるかもしれない。選択肢が増えると、そんな楽しみがある。そういえば学生時代、第二外国語で Le Petit Prince を読んだっけ。ふと、また読み返してみたくなったが、あいにく原書がどこかに行ってしまった。それより、肝心のフランス語が蒸発してしまった……。サン・テグジュペリ、『星の王子さま』もいいが、『人間の土地』も好きだった。この本はまだ手元に残っているので、近いうちに読み返してみたい。もちろん邦訳で。

「新訳決定版」と出版社が謳ったある本を読んでみた。旧訳を読んでいないので、訳を比べるわけにはいかないのだが、やたらと括弧が多い。括弧で訳注をつけてしまうと、どうしてもそこで作品の流れが途切れてしまう。わかりやすくなければ売れないというのがあるのだろうが、わからない言葉が出てきても案外気にならず、その言葉を飛ばして読んでしまえるものだ。こんなふうに思うのは私だけだろうか。読者は作品として読んでいるのであり、解説書を読んでいるわけではない。訳注をつけるなら、できるだけ欄外か巻末にしたいと私は思う。この本、ご丁寧に会話の中にまで括弧をつけている。「……やつら(誰と誰)は……」といった具合。さすがに読む気が失せ、途中で放り出してしまった。わかりやすさを追求するのはいい。でも、読み手をばかにしちゃいかんでしょう、と言いたくなる。こんな新訳、滅多にないだろうけれど。

古典の新訳もどんどん出てきている。古典といえば岩波文庫、というのは過去の話になってしまったか。古典に親しめる機会が増えたのはうれしいものだ。不思議なもので、文章も装いも新たになった古典を見ると、今まで名前しか知らなかった作品でも、読んでみようかという気になる。パラフィン紙のカバーがついていた頃の岩波文庫がかもし出していた、少々とっつきにくそうだけれども格調ありそうな雰囲気がなつかしく思えたりもするのだが、ことばは時代と共に変わっていく。古典の新訳が出てくるのは当然の流れかもしれない。

他の人はどうやって本を選んでいるのだろう。『星の王子さま』は別格としても、たとえば『カラマーゾフの兄弟』は米川正夫訳の岩波、原卓也訳の新潮、亀山郁夫訳の光文社と、文庫で三種類出ている。訳文の読みやすさ、新しさ、活字の見やすさ、本の装丁、値段。比較の対象はいろいろある。ちなみにカラマーゾフの場合は光文社版がダントツに売れている。今現在、アマゾンのランキングで十五位だ。古典がこれほど売れるとは! 正直なところびっくりした。

先ほどの「新訳決定版」ではないが、新訳がすべて旧訳より良いとは限らない。多少ことばは古くても、旧訳の中には新訳には望めないような格調高く美しい文章のものもあり、読んでみるとリズムがあって、意外に読みやすかったりする。新訳になってやたらと平仮名が多くなり、文章もかえってまどろっこしく感じるものもある。逆に、和文解釈が必要だった作品が新訳のおかげで理解可能なものとしてよみがえることもある。新訳によって誤訳が正される場合もある。版権の問題があるため、新しい本は訳したもん勝ちとなってしまうが、そうでない作品はどんどん新訳が出てきたらおもしろい。そうなって初めて、訳のよしあしが取り沙汰されるようになるのではないか。

今はまだ、新しいもの=良いという意識が強いような気がする。翻訳の学校や通信教育がいくつもできた。出版翻訳に携わる人の数も増えた。翻訳者予備軍も大勢いる。だが、今までの書評を見てみると、作品内容についての論評が中心で、訳についてはよほどの瑕疵がない限り話題になっていないように感じる。読み手にしても、内容さえわかればというのがあるかもしれない。新訳がきっかけとなり、訳の質について、日本語の質について、みなの意識が高まっていったらと思う。他人の訳のあら探しをするのではなく、あくまでも、より良い翻訳を目指すという意味で。訳文のよしあしについては個人の好みが大きいのだが、良い訳は良いと認められるような状況になれば、翻訳者にも励みとなり、さらに精進を重ねていこうという気持ちになると思う。読み手にしても、せっかく本を買ったのに、訳がまずくて残念だったという思いはなるべく味わいたくない。

村上春樹氏のチャンドラー新訳が出た。田口俊樹氏の新訳も出るらしい。チャンドラー作品はいろいろな人がすでに手がけているが、清水俊二氏の訳で慣れ親しんでいる読者が多いのではないだろうか。フィリップ・マーロウのイメージがすでに出来上がってしまっているところに新訳を出すのは勇気がいる。すごいなあと思い、いいなあとも思う。できることなら「わたしのマーロウ」も世に出してみたいとひそかに念じている。でも、無名の翻訳者が訳したものなど、誰が読んでくれるだろう……?