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エッセイ:翻訳の現場から

フリア・アルバレスと闇の時代

山岡朋子
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1960年11月25日、ドミニカ共和国で三人の姉妹が殺害された。トルヒージョ独裁政権下、自由を希求する人々の間でマリポーサ(蝶)の愛称で親しまれ、反政府活動の象徴的存在となっていたミラバル姉妹だ。

同年8月、フリア・アルバレスは両親と共にアメリカに亡命した。父親が反政府活動に関わり、発覚する寸前での国外脱出だった。当時フリアは十歳、渡米して間もなく知った三姉妹の死が深く心に刻み込まれた。


“In The Time of The Butterflies”
by Julia Alvarez
( ペーパーバック版)

三十年あまり後、フリアは姉妹について綿密に調べ、一冊の本を書く。”In the Time of the Butterflies” (1994)。ミラバル姉妹は四人いた。神に仕える道を考えたほど敬虔な長女、弁護士を夢見た正義感の強い次女、現実的な考え方をする三女、美しくロマンチストな四女。皆それぞれ結婚し、家庭を築いていた。女性として生を全うすることもできただろうに、何が彼女たちを駆り立てたのか。ひとり生き残った三女は、他の三人が神格化されていく中、どのような心境で過ごしてきたのか。四人の心の軌跡を辿るべく、フリアは敢えて小説という形を選び、姉妹を一人ずつ描いていく。

少女時代の記述はやや〝少女小説〟的なきらいもあるが、読者の心をつかみ、ぐいぐいと引っ張っていくフリアの筆力は見事だ。

マリポーサたちの死は無駄にならなかった。翌61年5月30日、ついにトルヒージョが暗殺される。跡を継いだ長男は復讐と称し、反体制派と見なされた人々を片っ端から逮捕し拷問にかけた。逮捕者は7千人あまりに上った。だが、外国の圧力に耐えかね長男は国外に逃亡し、ドミニカでは31年ぶりに自由選挙が行われるのである。

トルヒージョの時代を扱った作品はもう一つある。”Before we were Free” (2002)。フリアの父は間一髪死を免れたが、祖国に残った叔父はトルヒージョの暗殺者たちをかくまい逮捕された。この作品では、12歳の少女アニータの目を通して、秘密警察の暗躍する日常が描かれる。祖国に自由をもたらすべく命をかけて闘った人々、早く大人にならざるを得なかった子どもたち、そして家族の強い絆──最後に残るのはさわやかな感動だ。ヤングアダルト向けに書かれたこの作品は、アメリカで数々の賞を受賞した。

日記を書くことだけを心のよすがとし、精神的に大きく成長していくアニータを、ラテンアメリカのアンネ・フランクとして創りだした、とフリアは後書きで記している。そう、これはドミニカに限った話ではない。ニカラグア、チリ、グアテマラ……多くの中南米諸国が、個人もしくは軍部の独裁による恐怖政治を経験している。反共の国々でも、革命キューバでも、秘密警察ににらまれたら拷問と死が待っているという状況は同じだった。1972年の時点で民主主義が機能していたのは、わずか3カ国だったという。アルゼンチンで秘密警察に連れ去られた〝行方不明者〟は2万人とも3万人とも言われている。当時の様子については、アルゼンチンの作家エルサ・オソリオが『ルス、闇を照らす者』(拙訳、ソニーマガジンズ)にて詳しく描き、アメリカの作家ネイサン・イングランダーもアルゼンチンのユダヤ人に焦点を当てた”The Ministry of Special Cases”(2007)を発表している。ホロコーストに関する本は数多いが、中南米の闇の歴史を扱った本は、日本ではあまり見かけない。筆者が知らないだけかもしれないが、関心を持つ人が少ないのは事実だろう。バルガス・リョサの作品は日本にいろいろ紹介されているが、彼が描いたトルヒージョ政権下のドミニカ ”La Fiesta del Chivo” (2000)は邦訳されていないようである。

フリア・アルバレスは上述の2点の他にも数多くの作品を発表している。亡命者の子女がアメリカナイズされていくさまを描いたもの、ラテンアメリカならではのキンセニェーラのお祝い(15歳になると女の子は一人前と見なされ、盛大なパーティーを開いてもらう。アメリカのsweet sixteenのようなもの)について等、日本人には縁のない話も多いが、ヒスパニック文学の第一人者と言われているフリアの作品で、邦訳されているのが児童書『ロラおばちゃんがやってきた』(神戸万知訳、講談社)一冊のみというのは少々悲しい。