The Oxford Book of Children’s Storiesシリーズより出題中
入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:翻訳の現場から

出版翻訳へのチャレンジ

下 隆全
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定年退職後の翻訳業

私が翻訳業を始めようと思い立ったのは、定年を前にした五十九歳のときでした。それまで三十数年勤めてきた会社(貿易商社)でのサラリーマン生活は、例えていえば大きな船の乗組員のようなもので、与えられた仕事をひたすらまじめに勤めてさえいれば、病気にでもならない限り、失業することもなく、安心して家族を養っていくことができました。特に、一九六〇年代からの高度成長時代は、働けば働くほど会社の業績向上に貢献し、それを反映して給料も増えていきました。誰もがひたすら会社のために働くことに生き甲斐を感じる時代でした。しかし、一九九〇年代になってからは日本全体がバブル崩壊に直面し、いずれの企業も生き残りのためのリストラを余儀なくされました。私の会社もその例外ではありませんでした。それまで三〇〇〇人いた従業員を六〇〇人にまで減らすという大方針が打ち出されたとき、一九九七年、私はインドのニューデリー出張所の所長でしたが、突然の帰国命令を受け、帰国後は退職予備軍の一員に加えられたのです。そして、自分が乗っている大きな船が沈没の危機にあることをはじめて実感したのです。それと同時に、それまでの私の人生は、いったい何だったのか。何のためにあくせく働いてきたのか、という思いに悔しさがこみあげてきたものです。

会社を辞める、あるいは辞めさせられるということは、何の手がかりも足がかりもない大海原に放り出されるようなものです。しかし、冷静に考えてみると、このような時こそ、素っ裸になった本来の自分を見直し、これからどう生きるべきかを考えるいい機会でもあったといえます。それまでの自分の経験と知識を生かしてできる仕事で、かつ一生(死ぬまで)続けてやれる仕事は何かを考えてゆくと、最後に行き着いたのが翻訳という仕事でした。そこで、過去の経験に少しでも関係のある契約書を中心とした法務・財務文書の実務翻訳の分野に的をしぼり、一年間、翻訳学校に通って若い人たちと一緒に翻訳の基礎を勉強しました。学校だけでなく、毎月二三回勉強会を開いたりして、楽しく勉強することができました。

想定外の実務翻訳

契約書翻訳という狭い範囲からスタートしましたが、実際の仕事は契約書に限定されることなくいろいろの分野の翻訳をしなければなりませんでした。会議議事録や会社定款、保険証書、就業規則、決算報告書などあらゆる種類の実務文書が対象となり、それぞれに異なる専門分野の知識が要求されたのです。言い換えれば、多くの場合が私にとって未経験の分野で、そのつど新しく勉強しながらの翻訳作業となったのです。これは、私にとって想定外のことでした。基礎さえ勉強すれば、会社勤務時代の経験や知識を生かして何とかやってゆけるだろうと思っていた当初のあてがはずれたのです。したがって、最初のうちは、朝から晩まで一生懸命やっても翻訳料は五千円にもならない状態でした。時給五百円にもならないときもありました。しかし、この経験は私にとって貴重なものとなりました。それは、翻訳という世界の奥深さと広がりを知ったことです。そして、たとえ未知の世界でも、果敢に攻略しようという積極的な姿勢がない限り良い翻訳はできないことに気付き、結果として新しい世界を次々と体験することに喜びを覚えることができたのです。

蛇足ながら、最初から報酬を意識し、作業効率を高めようと考えるのは邪道であることも思い知らされました。確かに、実務翻訳の場合、納期が厳しく、短期間に大量の翻訳をこなさなければならないことが多いのですが、量をこなすために品質を犠牲にしていいわけはありません。翻訳中に思いがけない難所にぶつかり、その背景調査などに多くの時間を使わねばならないことがありますが、それはエクストラとして予備の時間を十分に充当しなければなりません。

出版翻訳へのチャレンジ

実務翻訳をしながらも、時折(一年に一回程度)出版翻訳のお手伝いをする機会がありました。例えば、誰かの依頼で本の一部を下訳するとか、数人の訳者で一冊の本を共訳することでしたが、そのとき、実務翻訳にはない豊かな人間的な魅力が出版翻訳にあることを何となく感じていました。しかし、この時点では、具体的なアイデアがあったわけではなく、将来いつの日か出版翻訳の仕事ができればいいな、と夢想する程度でした。

私が本気で出版翻訳に取り組もうと考え始めたのは一昨年でした。その二月、次々と入ってくる実務翻訳の仕事に追われてついつい無理を重ねていたときのことです。突然、大動脈の一部に内部剥離が発生し、救急車で緊急入院することになりました。さらに、七月には心臓のバイパス手術を行うために再度入院するなどのアクシデントが続き、翻訳の仕事を中断せざるを得なくなりました。こうして長期間入院した病院のベッドで考えたことは、今後とも翻訳の仕事を続けてゆくべきかどうか、ということでした。そのとき、私の目にとまったのが、四月に「洋書の森」がオープンするという記事でした。日本でまだ翻訳出版の版権が確定していない洋書を集め、出版翻訳家を目指す人にチャレンジの機会を提供するというものです。さっそく病院の外出許可を得て、神楽坂にオープンしたばかりの洋書の森を訪問して会員登録をし、パーティーにも出席しました。私にとって夢のような存在であった出版翻訳が、今や目の前に具体的なチャンスとなって現われたような気がしました。しかし、それでも、実際にどうすれば出版翻訳の仕事ができるのか、具体的にイメージが湧いてきません。そこで創始者の藤岡先生に「実務翻訳とはかなり勝手が違うようで、とまどっています。どうすれば出版翻訳を実現することができるのでしょうか」とお聞きしたら、「どんどんプロポーザル(企画書)を提出することだ。テイク・アクションだ」と明快に言われたことが心に残っています。

「世界陰謀史事典」の発刊

そこで、手始めに取り上げたのが、英国のノンフィクション作家Joel Levyの「Secret History, that Shaped the Past」というタイトルのペーパーバックでした。230頁の手頃な厚さで、内容は、古代から現代まで誰もが知っている歴史上の戦争や出来事をいくつかとりあげ、それぞれの舞台裏で演じられた陰謀のかずかずを暴露するというものですが、私が興味を持ったのは、この本が通常の「とんでも本」に書かれているような陰謀論とは一線を画して、あくまでも客観的な事実に基づいた冷静な推理・判断を記述したものであることでした。藤岡先生やオフィス・カガの手引書を参考にしながら、私が手探りでトランスレーション・プロポーザルを作成したのが二〇〇七年の十二月でした。それを、エージェントの日本ユニ・エージェンシーに提出すると、すぐに出版社である柏書房に転送されました。

そして、今年の正月明けに、出版社から私宛に「プロポーザルを読み興味があるので、翻訳のお願いをしたい」という電話が直接かかってきました。まったく予期していなかったことなので、びっくりすると同時にどきどきしながら編集者と会ったところ、「多少きついが、三か月で翻訳完了して欲しい」といわれました。何しろ初めての経験なので、言われるままの条件で契約が成立しました。確かに厳しい納期でしたが、数回の分割納入の形をとり、納入のつど出版社の校正を受けながら適時打ち合わせを重ねた結果、今年の六月末に、邦題「世界陰謀史事典」としてめでたく出版することができました。ただ、「洋書の森」の一周年記念パーティーにはタッチの差で間に合わなかったのが残念です。

翻訳作業を進める中で、私が最も意識したことは、実務翻訳と違って読者が一般の人たちであるということです。そのため、契約書の翻訳のように専門用語や特殊用語をそのまま使えないことはもちろん、原文に忠実に訳そうとするあまりに、ぎこちない翻訳調にならないよう注意しました。時には原文から離れた意訳を余儀なくされる場合も少なくありませんでした。最終的には、著者の心の中に入りこみ、著者の意図を平易な日本語で読者に伝えること、読者から「翻訳を感じさせないわかりやすい文章ですね」と言われるような訳文にすることを目標としました。

無限の可能性を持つ出版翻訳

さて、出版翻訳といっても、小説、詩、絵本、漫画などの文芸分野から、政治、経済、宗教、社会問題、料理、ファッション、科学技術などのノンフィクションまで、幅広い分野が対象となります。その中のどれを選択するか、まだ決めていませんが、私の余生の自由時間をフルに使って、一冊でも多くの優れた洋書を見つけ出し、翻訳できればと思っています。

2009年5月11日号