入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:翻訳の現場から

体力・気力・好奇心

翻訳は、ただ字面を追っているだけでは、熟成しそこなったワインとチーズでしかない
斎藤静代
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翻訳家は体力・気力で勝負する——初めて訳書を出したときの率直な感想だ。インテリのちょっとスマートな頭脳労働者というイメージは、ものの見事に砕け散った。翻訳は、思いのほか、泥臭かった。二〇〇一年三月半ば、縁あって突然引き受けることになった本は、『プラシド・ドミンゴ オペラ62役を語る』(Helena Matheopoulos、PLACIDO DOMINGO My Operatic Roles)*。

納期1ヶ月半でドミンゴ!

PLACIDO DOMINGO My Operatic Roles)

とうぜんのことに、オペラの知識が必要な作品。しかも、このとき問題だったのは知識ではなく、実は締め切りだった。ドミンゴが来日する六月の初めには製本されていなければならなかった。

翻訳にかけられる時間は一ヵ月半。朝から晩まで、時には家族が寝静まった夜中も、土曜、日曜もなく、根を詰めてパソコンの前に座りつづけ、一章訳し終えるごとに編集部へ送信。お日様をいっぱい浴びて動きたいうららかな季節だというのに、ひたすら家にこもる日々が続いた。五月初めにすべてを送り終え、我に返って見回すと、パソコンの周りは英語の辞書だけではなく、ドイツ語、フランス語、イタリア語の辞書、音楽辞典からオペラのCDや資料など、足の踏み場もないくらいに散らかっていた。ため息しかでなかったことを覚えている。

一日二十四時間すべてを仕事に使うわけにはいかない。何時間かは家事にとられるし、寝る時間も確保しなければ。でも引き受けた以上は期日に間に合わせなければならない。

「時間がない? まだ睡眠時間があるだろう? 削ってでも締め切りは守らなくちゃ。プロだから」——師匠は厳しい。けれども最後の言葉が支えだった。プロであるとはそういうことなのだと、改めて肝に銘じた。

時間よ、止まれ、と祈る思いがあれば、アルファベットの羅列を恨むことも

翻訳していて気分がいいのは、英文を読んでいてそのまま日本語が頭の中に湧いてくるときである。とくに著者や登場人物と思考の波長があったとき、登場人物の心情がなぜか自分の感覚と一致したときは、時間よ、止まれ、と祈る。食事の支度も家族のことも放り出したい。次々と湧き上がる言葉を、だれにも邪魔されずに綴っていきたいからだ。そういうときは頭の中がまるで煮えるように熱い。きっと頭から湯気がたち、耳の穴、鼻の穴、口から蒸気が出ているんだろうな……、まるで蒸気機関車みたいに。充実した時間を実感するときだ。

ところがそれとは正反対に、英文を読んでもそれがアルファベットの羅列でしかなく、目の前にある単語や句読点にいちいち引っかかって、文全体、文章全体が流れないときがある(むしろこの方が多いのだが)。何度も席を立ってコーヒーを入れ、部屋の中を熊さんよろしく歩き回り、体操をし、ぶつぶつ独り言をいい、それでも頭は冷えたままでまったく日本語を生み出さない。一頁も訳せないで日が暮れる、ということもある。情けなくて、悔しくて、そして何よりも締め切りに間に合うかどうか不安になって、この仕事を選んだことを後悔する。

睡眠時間を削る体力的苦痛や言葉が出てこない苛立ちは、翻訳をやっていれば日常茶飯事である(私の場合)。でもどんなに苦しくても翻訳はやめられない。訳了したときの達成感——違うな、解放感だ、一種の恍惚感かもしれない。それが快感で、再び味わいたいと思ってしまうのだ。そしてもう一つ、翻訳をやめられない理由は、訳文を確かなものにするために証拠を集める「調べ学習する」ことの面白さ。資料を探して読んだり調べたりすることは、意外にワクワクする作業だ。

わたしにとってオードリーは「ユニセフ」だったが……

Audrey — Her Real Story

二〇〇二年、この年は『オードリー リアル・ストーリー』(Alexander Walker、Audrey — Her Real Story)**に没頭していた。大好きなオードリー・ヘップバーンの評伝なので、はりきって翻訳にかかったのだが、翻訳の神様はやさしくない。好きだけでは気分よく訳せないのだ。

「実話」であるためか、ことのほか難しかった。単語や語法、さまざまな表現につまずいた。まずは逐語的にと、辞書や文法書で説明されているとおりに訳しても、意味がよくわからない。何となくわかったとしても腑に落ちない。こういうことであろう、と何度か訳し変えてみる。すわりが悪い。活字にしてもらう自信がない。

辞書に出ていない単語や表現に出くわすこともあった。家には通常使用している辞書のほかに、大型の英和辞典三冊、用語用法辞典、英英辞典、英絵辞典、スラング辞典、その他いろいろな辞典が置いてあるが、どれを参照しても解決しない。インターネットでも調べた。近所の総合図書館にも通った。しかしダメだった。

辞書は必ずしもすべての単語や語法、表現を網羅しているわけではない。言葉は日々変化し、新しい表現が生まれている。普段使っている日本語でさえ、若者言葉や「ニュースな」言葉が生まれたり消えたりして惑わされるのだから、外国語となればなおのこと、馴染みのない表現に惑わされる。

悩まされたのは言葉だけではない。オードリーの物語は第二次世界大戦以前から始まり、現代まで続く。そして彼女の生きていたファッショナブルな世界。時代も空間も、私の生活圏の外にある。私の知らない世界がほとんどだった。

問題解決のために最初にしたことは、オードリー主演の映画を見ることだった。私がかつて見たオードリーの映画は『ローマの休日』だけ。彼女を好きになった理由は、ユニセフでの活動に人生を賭けている姿が印象的だったからで、必ずしも女優としてのオードリーに憧れたわけではなかった。だから他の映画は見ていない。ところが原書では映画の製作シーンがそこかしこで説明されている。おそらくこの本を読む人はオードリーが好きで彼女の映画をよく知っている人だろうから、いい加減な訳は許されない。そこで、近所のレンタルビデオ店で置いてあるだけのビデオを借りて、まさに正座して鑑賞した。

二ヶ月間で十五本。こういうハードな映画鑑賞は初めてだった。真剣に画面に向かうから、目は疲れるし肩も凝る。しかし百聞は一見に如かず。何ページにもわたる文字の羅列が、面白いことに次々と意味を持っていった。『パリの恋人』では、本屋の店員であるオードリーが背の高い梯子の上でぶるぶる震えている様子が、『尼僧物語』では、神に仕える尼僧のオードリーがドクターの色気に抗う意味が、映像に助けられてどんどん日本語になっていく。

ウォーカーさん有難うございました、ご冥福を祈ります

次にしたことは、すでに出版されているオードリー本を読むことだった。著者によって表現は異なるが、歴史的事実関係は変わらない。おおよその人間関係や事実の経過を知っておくことは、翻訳作業の半分を済ませたのと同じである。

そして仕上げ。ここで助け舟が現われた。調べきれない語法や表現、背景を著者のアレグザンダー・ウォーカー氏***に直接訊ねる機会を得たのである。私の解釈も書いて意見を求めた初めての質問書は、A四の用紙五十三枚。それに対しほとんど折り返しで、ウォーカー氏から次のような文言で始まる返事が届いた。

__I received your questionnaire this morning – and I was so impressed by all the careful annotation you had done that I sat down immediately and answered your enquiries. I really do congratulate you on the detail of your preparation for the translation of Audrey: Her Real Story. …

これを読んだときの嬉しさといったら、まさに天にも昇る気持ち。百万の味方を得たようなものだった。以後、半年間で六回、Q&Aが往復したが、このときの著者の丁寧な対応のおかげで、冷えて日本語を生み出さなかった頭が、温まって動き出したのである。

残念ながらアレグザンダー・ウォーカーさんはインターネットを使わなかった。Q&Aはもっぱらレターヘッドを用いた航空郵便で日本とイギリスを行き来した。今どき珍しい、なんとクラシックな人だろう、と思ったが、おかげで彼の直筆サイン入り資料が常に見られる形で残った。メールのやり取りではとうてい手に入らない宝物である。

翻訳作業から四年、当時の記憶が遠くなっていく中で、いまだに強く印象に残っている表現が二つある。いずれも著者のアドバイスに助けられたのだが、まず一つ目:

(原文)Heavy brocade, a royal sash and a hint of beribboned insignia, a tiara and white gloves---regulation wear for European royalty at this time---contrasted vividly with Audrey’s youth and innocence.Such Zenda-like regalia would be a perfect foil for the comic and wholly understandable reflex that causes the young princess to ease her high-heeled shoe off her tired foot and then …

ここは、映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンが演じる「アン王女」のいでたちを説明している部分だが、下線部「Zendaのような」のZendaが辞書に載っていない。そこで質問すると:

——A “Zenda-like” refers to a famous popular novel by Anthony Hope published early in the 20th century entitled The Prisoner of Zenda and set in a fictitious Middle European kingdom much like the Prussian Empire called “Ruritania”.Perhaps “Ruritanian” would be better known, or, if you prefer it “imperial”.

と回答。Ruritaniaは辞書に載っている! そこで:

アントニー・ホープの冒険小説『ゼンダ城の虜』に出てくる中部ヨーロッパの王国ルリタニアをヒントに、

と、原文に言葉を足して訳すことにした。「竜宮城」の乙姫さまみたいな発想なのだろうか。

そして二つ目:

(原文)Dilys Powell acknowledged that Natasha does not ‘mature’ but added sympathetically that this deficiency, though just, made it seem ‘as if the poor girl were some kind of port or cheese’.

これは『戦争と平和』に出演したオードリーを批評したものである。なんで突然ポートワインとチーズなの? そこで質問すると、次のような返事がきた。

——“port” is a kind of wine drunk with cheese in England.It is recommended that the wine should be “matured” and so should the cheese.The word “mature” applied to Natasha, the character in War and Peace, is used ironically by Dilys Powell to suggest that the critics thought she should possess some of the properties of the wine and the cheese.I suggest you substitute:as if the poor girl were some kind of port wine or cheese,food and drink that the English liked to consume when they had matured.

なんだ、日本酒やぬかみそと同じじゃないか(!) 日本の俳優・女優でも、若いときには頼りなくても、年齢を重ねると演技に深みが出て、見る者をうならせる人が多い。そういうことだったのだ。面白い! と思って、このことを「あとがき」に書いたら、別の師匠から、「自分の無知をさらけ出すようなことは、書いちゃダメ。もっと堂々としなさいな」と注意された。正直も難しい。

体力・気力・好奇心が続く限り、翻訳家でありつづけたいと思う

翻訳は、ただ字面を追っているだけでは、熟成しそこなったワインとチーズでしかない。「おいしい!」と読者をうならせるためには、言葉の背景も知らなければならない。そこで、例えば上に述べたように、映画・ビデオを見たり、関連する本を読んだり、詳しい人に質問したりして「お勉強」するのだが、ときにはこの「お勉強」の方が面白くなって、肝心の翻訳そっちのけで夢中になることもある。ロシアの神話を論じた教養書を訳したときには、ロシアの民俗学や神話学、さらには文学史などの本を「参考書」として買ってきたのだが、それがけっこう面白くて読み通してしまい、二、三日仕事にならなかった。しかしパソコンの周りにそういう「参考書」が積まれていくのも、快感である。

目の前にあるこの本もまた、知らなかったことを教えてくれる「参考書」だ。翻訳する中で、オードリーの両親がどのような人で、どのような歴史の中にいたかを初めて知ったし、それが彼女の結婚観や子育て観にどのように影響したかも知った。それから、ユニセフが有名人を大使として任命する意味も、初めて知った。知りたくなかったことを知らされるときもある。オードリーとジュリー・アンドリュースの間に『マイ・フェア・レディ』出演を巡って確執があった、という事実。オードリーもジュリー・アンドリュースも好きな私には、ショッキングな話だった。

翻訳作業は決して楽じゃない。でもやめられない。なるほど、そうなのか、それで? と次々とページを繰り、一冊の本を支えるために何冊もの本を積む。積まれた本を収納する場所を確保できるかどうか、という問題は未解決だが、体力・気力・好奇心が続く限り、翻訳家でありつづけたいと思う。


* アルファベータ、2001年刊
** アルファベータ、2003年刊
*** アレグザンダー・ウォーカー氏は、2003年7月に死去しました。日本語版が出版されて半年後のことで、思いもよらない訃報でした。
次回は3月26日号で、翻訳者の田中利子さんのエッセイ『希望と夢:カルトからの脱出、心から、わたしは翻訳者を志したことを喜ぶ』です。ご自分がカルトに囚われて、そこから必死の思いで脱出した田中さんが見出したのは…… ご期待ください。