入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:翻訳の現場から

待つオンナ

最所篤子
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「見ているお湯は沸かない」とかいうことわざを聞いたことがあるけれど、「待っているメール(手紙、電話、ファックス)は来ない」というほうが真理をついていると思う。お湯はいつかぜったいに沸くけれど、メールの類は物理の法則を当てはめることができないので、不確定要素が高い。よって待っている時間がとてつもなく長く感じられるのである。

そしてメールetc. を待っているのは圧倒的に女性が多く、待たせているのは男性が多い。「彼から返事が来なくて」という嘆きを何度悩める乙女たちから耳にしたことか。これは万国共通である。香港も韓国もロシアもイギリスもアメリカもイランも関係ない。そして大抵の乙女たちは、わたしが制止するのを振り切って、「白黒つけたいのよ」と言い、相手の紳士に鬼気迫るメールを送ってしまう。そしてもちろん、その結果は「黒」である。

どうも白黒つけたがるのは女性に多いような気がする。しかし実はその事態に陥る段階で状況は限りなく黒に近い灰色であり、ようはトドメを刺すか、あるいは灰色のままウヤムヤにするかの二者択一に過ぎず、どっちにしてもこちらの希望は叶えられないということだけが確かなのであるが、彼女らはそう言ってもまず納得をしない。わたしもそういえば女であるためその気持はよく分かる。世の紳士方に声を大にして言いたいけれど、待つというのは辛いものなのだ。

それは色恋に限ったことではない。2008年はわたしにとってまさに「来ない返事を待ち続ける1年間」であった。相手は誰かと言うと、神保町にある天下の社である。そもそもきっかけは2007年11月、ある純文学作品の版権の空きをアメリカの出版社に問い合わせたメールだった。担当者(女)は非常に親切で、打てばひびくような返事をくれ、しかも日本での取り扱いエージェンシーにわたしのメールを転送して連絡先を教えてくれるという、非の打ち所のない対応ぶりだった。目に浮かぶのは『プラダを着た悪魔』に鍛え上げられたアン・ハサウェイ似の美人編集者の姿である。しかもエージェンシーからほぼ同時にメールが入り、時差をもものともしないこの素晴らしい展開に頭がくらくらした。

くらくらしたまま、私は手元に原書もレジュメ(注:さすがに作成済)も用意しないままエージェンシーのメールにあった「社の電話番号」をすぐさまダイヤルした。

わたしは電話が苦手である。というより、ものごとを順序だてて説明するのが恐ろしく苦手である。レジュメを作るのがうまい、とよく褒めてもらうけれど、それではその秩序だったレジュメのように本の内容を口で説明してもらいましょう、と期待されると、それは確実に裏切られる。友人たちはわたしの脈絡のない話しぶりに慣れているけれど、知らない人は当然、慣れていないので、音声だけで意志を通じさせなければならない電話はわたしにとって非常にチャレンジングなツールである。

社の編集長さんは不審な電話に丁寧に対応してくださった。そして紆余曲折するストーリーをイキツモドリツ聞かされた挙句、「そういうわけで、感動するんです!」というわたしの力こぶに根負けし、「じゃあ、(よく分からないけど)とにかくレジュメを送ってください」とおっしゃってくださった。

このあと12月の半ばを過ぎて編集長さんから「いい作品だ」というFAXが届いたものの、その後3ヶ月ほど音沙汰がなくあきらめていたところに「版権がとれた」という連絡が入った。2008年4月1日のことである。何で憶えているかと言うと、プロフィールの写真のネルの誕生日だったことと、エイプリルフールなので、もしかすると編集長さんのイタズラではないだろうかとしばらく疑ったためである。素直に喜べばよかったのに(喜んだけれど)疑った罰が当たったのか、この作品はこの後、大波にもまれることになるのだ。

「純文学は売れない」という合言葉のもと、編集長は一計を案じ売れるための仕掛けを作ってくださった。電子版での連載配信をしてから本にしよう、という手立てである。しかし電子雑誌の編集長さんと三人でタイトルも考え、初回の連載分の校正が終わった段階でストップがかかった。「純文学は売れない」という懸念は、不況の出版界にあって「純文学は(何をやってもたぶん)売れない」という確信まで行ってしまっていたのだろう。

このストップがかかった頃が一番、連絡待ちが辛かった。状況が芳しくないのは分かっているし、ここで「どうしてくれるんですか」と凄んでみても、誰も救われない。みんなこの本を出したいのに状況がそれを許さないのだから、文句を言う相手はカミサマくらいにしておいたほうがいいことは分かっている。

それでもせつなかった。「わたしはいったいどうしたらいいんでしょう」というFAXを送った。編集長さんは忙しい合間をぬって説明にわざわざ出向いてくださり、わたしのレジュメと作品選びをほめてくださった。

人にノーというのは誰しも辛いものではないかと思う。白黒どっちかにしてくれと迫られて黒と答えるのは嫌なものであろう。嫌なことを引き受けた編集長さんを責めるつもりはなかったし、かえって、たかが一翻訳者にこんな誠実な対応をする編集長さんと社に感激した。「良い本があったらレジュメを書きます。見ていただけますか?」そう言うと、編集長さんはいつでも読みます、と答えてくださった。

そしてまもなくあるエージェントさんから「世界中で版権が売れてるのに、日本だけまだなのよ」という作品のレジュメ作成の依頼があった。ご自分で出版社を回るつもりだと聞いていたが、わたしは日本の読者にも売れそうな本なら社に持っていきたい、と思った。読んでみるとオーソドックスだけれど、面白い。イングランドとモロッコが舞台のミステリタッチの歴史恋愛小説である。

レジュメを送り、すぐに「面白いからちょっと社内で回してみる」という返事が届いた。それから全然じりじりしなかったというと嘘になるけれど、レジュメというものは手を離れてしまえば、もうなかったことにしないと次に行けない、というのがわたしのモットーなので提出してしまった後は割合と落ち着いていたように思う。

ところがあちこちから送られてくるレジュメ書きの仕事をこなしていると、編集長さんから「書店と営業の反応がいい」「版権がとれそう」「版権をとるよ」という連絡がぽつぽつと入ってきた。そうなると、最後の「翻訳をはじめてもいい」という知らせをどうしても受け取りたい。ここまで来てひっくり返ったら、と思うと、いてもたってもいられなくなってくる。しかしその電話がなかなか来ない。またしてもカミサマの奴が意地悪をしているのだろうか……。毎週、月曜日の朝は「今週こそ編集長さんから電話が来るに違いない」と晴れ晴れと起床するのだが、金曜日の夕方7時頃になると石でも入ったように心が重くなる。そのシーソーを何週間も繰り返すうちに体重がだいぶ減った。

我慢の限界にきて、10月、ついに電話をかけた。編集長さんはいなかったが、すぐに折り返してくれ、「今、電話しようと思ってたんですよ、あのね、版権とれましたよ。もう訳しはじめていいです。それから頑張って例の純文学の企画も復活させました。まだ予定は立ってないけどね。ほんとに良かった」

翻訳者にとって、乗り越えなければならない大変なことは数々ある。とくに持ち込みで仕事を得ようとするとき、作品探し、版権の確認、レジュメの作成、持ち込み先探し、と関門はいくつもある。そしてそのどれにも「待つこと」がつきもので、ひたすら不安な時間がぽっかりと口を開けている。レジュメを送って結果を待ってもだめかもしれない。むしろだめなことのほうがずっと多い。と言って、耐えられずに出版社に「どっちかにしてくれ」と怒鳴り込んだとしても仕事にはつながらない。それどころか、たいていの人はせかされることを嫌うので、編集者に敬遠されてしまうことすらあるかもしれない。待つしかないのである。多くの企画はうやむやになるであろう。願いが叶うのは僥倖である。でも翻訳をやりたいなら願うことをやめるわけにはいかない。

この苦しさは片思いに似ている。考えてみればレジュメは編集者宛のラブレターみたいなものなのだ。今回、私の社への片思いは実った、と思っていいのだと思うけれど、困ったことに人間相手の恋愛とちがって実ったところで浮かれているわけにはいかない。なぜなら、企画が決まったという段階で仕事が終わるのではなく、これからが本番、出発地点に立てたというだけにすぎないからだ。いざ作品との真剣勝負が始まるのである。

2009年3月9日号