日本にいながら英国生活 ベビーシッター奮闘記 その5
◆ミスター・ベイカーのこと
ふりかえってみると、日常生活でミスター・ベイカーとじっくり話をする機会はあまりなかった。仕事が遅くなって夕食の席にいないこともままあったし、一緒に食事をしていてもそんなにぺらぺらとおしゃべりする人ではなく、どちらかというともの静かな人だったように思う。しかし一人娘のシャーロットを心から愛している優しい父親だったし、私に対しても優しく接してくれた。

ある日の夜、ミセス・ベイカーとシャーロットと私の三人で夕食を済ませ、シャーロットはいつも通りお風呂に入り、絵本を聞きながら眠りについた。やがてミスターが帰宅すると、ミセスが二階へ上がってきて眠っていたシャーロットを起こし、私も階下にくるよう呼ばれた。ミスターは、ねぼけまなこで母親に抱かれてダイニング・キッチンに入ってくる娘を見て「寝ていたのに起こすことないだろう」と怪訝そうな表情だった。するとミセスがどこからかケーキを持ってきてテーブルに置き、シャーロットをケーキの横に立たせてこう言った。
「今日はパパの誕生日よ。お祝いの歌を歌ってあげて」
まだ目が覚めきらないシャーロットは、母親に身体を支えられながら、けんめいに"Happy birthday to you…"と歌いだした。ミスターはダイニングの椅子から身を乗り出し、目を細めてその姿を見つめている。歌が終わると、ミスターは娘をぎゅっと抱きしめ、くしゃくしゃの笑顔で「ありがとう! シャーロット」とほおにキスをした。そのときのミスター・ベイカーの嬉しそうな表情といったら、まさにとろけそうだった。
日常生活はすべて英語で通していたが、あるとき私はミスター・ベイカーが非常に流暢な日本語を話すことができることを知った。いつも自分の車で通勤していたミスターがめずらしくタクシーで帰宅したことがあった。ちょうど私の部屋の窓の下辺りにタクシーが止まったらしく、運転手さんとの会話が聞こえてきた。内容は覚えていないが、会話の声の一方は明らかにミスター・ベイカー、しかも非常になめらかな日本語なのだ。私は驚いて、思わず玄関に出て行った。
「おかえりなさい。い、今日本語でお話してましたよね?」
ミスターに問いただすような聞き方をしてしまった。
「うん、そうだよ」
とミスター。
「す、すごく上手でしたね。日本にどのくらい住んでるんですか?」
「結婚前から六年くらいかな」
「そ、そうだったんですか」
なぜ今まで私には日本語で話さなかったんですか、という質問がのどまで出かかっていたけれどやめた。日本語で話してもらっていたら私の勉強にならないではないか。ミスターが私に配慮して日本語を使わなかったのかどうかは結局わからなかったが、これ以後も彼は私に対して日本語で話すことはなかった。ミセス・ベイカーが日本語はほとんど話せないようだったから当然といえば当然なのだが。あまりよく知らなかったミスターの一面を知った気がした。
私の不注意でミセス・ベイカーを怒らせてしまい、ミスター・ベイカーが仲裁のようなことをしてくれたことがあった。ある日曜日の朝八時ごろ、その日サークルの用事で出かける予定になっていた私宛にサークルの友人から電話がかかってきたのだ。私はもう起きていたが、前日遅くまで出かけていた夫妻はまだ寝ていた。電話は一階の廊下のほかに夫妻の寝室にもあった。眠っていたミスターが電話にでて、私を呼んでくれた。
「シズエ、電話だよ」
日曜日の朝なのにまずいなあ、と思いつつ一階で電話をとった。待ち合わせの時間か何かで、やや急ぎの内容だったと思うが、こんな早朝から電話をしてきた友人を心のなかで恨んだ。受話器を置いて、ふと、確認し忘れたことがあることに気づき、今度は私から友人に電話をかけ直した。そして再び受話器を置くと、ミセス・ベイカーが険しい形相で二階から降りてきた。
「こんなに朝早くから電話なんて困るわ! 友達にもよく言っておいてちょうだい!」
「す、すみません。気をつけます」
謝るしかなかった。ミセス・ベイカーがこんなに怒りをあらわにしたことはなかった。
すっかり落ちこんで、キッチンで味のしない朝食をぼそぼそと食べていたところへミスター・ベイカーがやってきて、穏やかな口調で説明してくれた。
「一階で受話器を取ったり置いたりするたびに、二階の電話も『チン、チン』って鳴っちゃうんだよ。それでリズも怒ってしまったんだけど、大丈夫だから気にしないで」
「そうだったんですか。わかりました、どうもすみません」
ミスターのことばにだいぶ救われた気になった私はさっさと朝食を片付けると立ち上がった。するとミセス・ベイカーが来て、ミスター・ベイカーと同じことを説明してくれたが、そのときはいつもの彼女の表情に戻っていた。ふたたび謝ると、もういいのよ、と笑顔が返ってきた。ミセス・ベイカーがいつまでも根に持つタイプの女性でなくてよかったとほっとすると同時に、ミスター・ベイカーのこまやかな気遣いに深く感謝したできごとだった。
◆痛恨のお別れ
短大の一年の夏休み前から始まった私のベビーシッター生活も一年が経とうとしていた。ある日、ベイカー一家がイギリスへ帰ることになった、という話を聞かされ、大きなショックを受けた。ベイカー一家がいなくなる、ということは私もこの家を出てふたたびアパート暮らしをしなければならない。アパート暮らしがいやというわけではないが、ベビーシッターの生活にすっかり慣れてこの生活を楽しんでいた私は、ベイカー夫妻に、ベビーシッターを欲しがっている人がいないかどうか探してみてはくれないかと相談してみた。
夫妻はYC&ACに掲示を出してみる、と約束してくれた。
それからまもなく、同じ本牧地区に住むアメリカ人家庭が私を雇いたいと言ってきてくれた。先方の夫婦が私に会いに来て、いろいろと話した結果、彼らが私を住みこみベビーシッターとして雇うことに決まった。ただし今住んでいる家では私の個室を用意できないから別の家に引っ越すというのだ。私のために引越しまでしてもらうなんて申し訳ないと思った。
先方が帰ったあと、私はベイカー夫婦に、いい家庭を見つけてくれたことのお礼を言った。同時に、もうすぐお別れなんだという寂しさもあふれてきた。
私はベイカー一家がイギリスへ帰ること、そして今度はアメリカ人家庭で暮らすことを実家の母に連絡した。すると母は、お世話になったお礼にと、子供用の浴衣と帯、下駄一式を送ってきてくれた。色は群青色に近い青。浴衣の着せ方などわからなかったが、なんとか着せてみた。鮮やかな浴衣が色白のシャーロットによく似合っていた。
ベイカー夫妻から、近いうちに自宅で友人知人を招いてお別れパーティを開きたいから当日は私にも手伝ってほしいと言われた。家で開くパーティってどんな感じなんだろう、とわくわくしながらその日を待った。当日は全部で三十人くらいのお客さんが来たと記憶している。いつもシャーロットと私が追いかけっこをしていたリビングはシックなパーティ会場に姿を変え、大勢の大人たちであふれた。私はおつまみなどをトレイに乗せて人々にすすめて回った。お客さんたちはみな私よりはるかに長身だったから、高い壁に囲まれているようで方向がわからなくなりそうだった。夢中で回っていると、ときどきミセス・ベイカーが声をかけてくれた。
「シズエ、いい感じよ、その調子でお願いね」
ベイカー一家もあと十日ほどでこの家を引き払うというある日、私は新しい家、マホード一家の待つ家に引っ越すことになった。マホード家には一歳二ヶ月になる男の子がいるという話だった。ベイカー一家と別れる寂しさと、新しい家族との生活への期待と不安に包まれながら、荷物を運び出した。
荷物を積み終わり、玄関先でベイカー夫婦、シャーロットと別れた。といってもこれでお別れというわけではなく、ベイカー一家の出発前にもう一度ベビーシッターを頼みたい日があるので、その日に私がこちらに来て、一晩留守番をして、お別れということになったため、お別れのあいさつはそのときにね、ということで、この日は比較的あっさりと別れた。しかしこれを最後に二度とベイカー一家に会うことはかなわなかった。
マホード家に着くと、私を待っていたのはご主人のマーティン、奥さんのドロレス、そしてシャーロットよりひとまわり小さなショーン坊やだった。私のために引っ越してくれたという家はぴかぴかの新築で、浴室が二つあり、そのうちの一つを私とショーンで使うことになった。「ほとんどシズエ専用ね」というドロレスのことばに私も舞いあがった。
やや設備が古かったベイカー家と違って、なにもかも最新設備のこの家は、冷房も家全体をいっきに冷やす方式になっていた。この冷房が夜間も強力に効いていたおかげで、私は引越して早々風邪を引いてしまった。そしていよいよベイカーさんたちとお別れという日、熱を出してしまった私は、ベイカー家に行くことができなくなってしまった。電話でミセス・ベイカーに謝ったが、電話の向こうの声は憮然としていた。
「困ったわ。用事で出かけるのに来てもらえないんじゃ…」
「ほんとにすみません…」
「誰か探してみるわ、それじゃあね」
これで終わってしまった。本来なら今日は最後の一晩をシャーロットと過ごして、ベイカー夫婦ときちんとお別れの挨拶をするはずだったのに。イギリスでの新住所も教えてもらいたかったのに。今思い出しても痛恨の別れだった。這ってでも行けばよかったかもしれないと思う。だけど風邪を引いたままシャーロットに会うなんてできなかった。
私の英国家庭でのベビーシッター生活は最後の最後に悔いの残る終わり方をしてしまった。あんなによくしてもらったのに、あんなに楽しく、新しい発見に満ちた毎日だったのに。
◆つらかった新生活
新しい住みこみ先のマホード家では、子供がまだ小さく、夜泣きやおむつ替えなどたいへんなことが多かった。それにご主人は帰りが遅く、奥さんのドロレスがほとんど毎晩出かける人で、私は家庭教師の日以外、ほとんど夜間に外出することができなくなってしまった。用事がぶつかる日は友人に代わりに来てもらってもいいかとたずねると、ドロレスからは、それは困るという答えが返ってきた。まだ子供が小さいから心配だという理由だ。
無理もない話だった。ショーンはとてもかわいい男の子で私になついてくれたが、結局、マホード家での生活は三ヶ月ほどで私が音をあげてしまい、あと五ヶ月ほどで卒業、就職後は社員寮に入ることが決まっていた私は、都内に住む姉のアパートでしばらく暮らすことにした。学校までは片道1時間半以上かかったが、あと数ヶ月の辛抱だと妥協した。ベイカー家での生活があまりに恵まれすぎていて、新しい家庭でも同じように暮らせると思っていた私が甘かったのだ。
◆輝くような時間だった
日本にいながら海外のような生活ができて英語力も向上する、との憧れと勢いだけで飛びこんだ住みこみベビーシッター生活は実にいろんなことを私に教えてくれた。子供の純真さを知り、自分とはまったく異なる考え方を知った。それまで映画などでしか知らなかったイギリスやアメリカの家庭の様子や文化の一面もかいま見た。一日一日新しい発見があったし、最後には自分の考えの甘さも思い知った。ベイカーさんたちとちゃんとお別れできなかったこと、マホード家の人たちとうまくやっていけなかったことは悔やんでも悔やみきれないが、それでもあの日々は夢のような毎日だった。あんな経験は学生時代でなければ、そして横浜のような特殊な土地でなければなかなかできるものではないだろう。
もはやシャーロットにもベイカー夫妻にも会うことはできないが、今頃どうしているだろう。シャーロットは今二十三か二十四歳になっているはずだ。横浜のあの家で暮らしたことを少しは覚えているだろうか。そして私のことも少しは記憶のどこかに残っているだろうか。あれから横浜の地を離れたけれど、今でも本牧通りから少し入ったあの住宅街の一画の家は、憧れていた西洋のムードがたっぷり詰まったドールハウスのように、私の記憶の中にたたずんでいる。


























