日本にいながら英国生活 ベビーシッター奮闘記 その3
◆日々の生活から
普段の生活は、私が学校から帰るとたいていシャーロットたちも帰宅しており、私はアルバイトや学校の課題が忙しいとき以外は、よく彼女と遊んで過ごした。話すことばは違っても、女の子の遊びは洋の東西を問わないものらしく、彼女もままごと遊びが大好きだった。いつも彼女がお母さん役で、私が子供の役だった。「スープを飲みなさい」とか「ケーキをどうぞ」などと一人前のせりふを言ってはおもちゃのお皿やケーキを私の前に並べてくれた。
ベイカー夫妻は一人娘のシャーロットのしつけに非常に気を配っていたように思う。けして厳しすぎるという印象はなかったが、日々の生活習慣は厳格に守られていた。毎日たいてい六時半ごろまでには皆で夕食を済ませ、その後シャーロットはお風呂に入り、八時までにはベッドに入っていた。暮らし始めてしばらくすると寝る前の絵本の読みきかせを私もさせてもらえるようになったが、彼女は何があっても八時までには眠る習慣がついていた。絵本を読み始めて五分と経たないうちに吸い込まれるように眠りについてしまい、まったく手がかからなかった。これには驚いた。しかも彼女は広い寝室にひとりで眠り、両親が添い寝することなど、私が記憶する限り一度もなかった。してはいけないことも、その場ですぐ注意されていた。シャーロットが風邪をひいたとき、たまたま私のほうを向いたまま咳をした。するとミセス・ベイカーはすかさず「シズエのほうに向かって咳をしてはいけません。手で口を覆いなさい」と叱った。ときどき大人でも手を口にあてずにおおっぴらに咳やくしゃみをする人がいるが、このときの母子の姿を見せてあげたいものだ。
◆別世界YC&AC
ベイカー夫妻はスポーツが好きらしく、週末の夜はよく、YC&AC(Yokohama Country & Athletic Club:外国人を中心とした会員制のクラブ。スポーツ施設や図書館、レストランなどがある)で二人ともスカッシュをして汗を流していた。ミセス・ベイカーはグラス・ホッケーのチームにも入っていた。

創立は1868年(明治元年)という古い歴史を持つ
一度、YC&ACに連れていってもらって驚いた。広大な敷地に手入れの行き届いた青々とした芝生のグラウンドやテニスコートが広がり、日本の景色だとは思えなかった。ゆったりとしたレストランではいろんな国の人たちが始終出入りしては食事やお茶を楽しんでいた。まるで別世界へ入りこんだような気がして異様に緊張してしまった。ランチを食べるために白いクロスで覆われたテーブルについたが、メニューを見ても当時の私にはそれが何を示すのかわからず、かろうじてスパゲッティと書かれているのを見つけ、注文した。粗相のないようにとカチカチになりながらスパゲッティを食べた。緊張のせいか味は覚えていない。ちょっとリッチでスノッブな空気が漂う空間だった。
◆青い目のご近所さんたち
近所には欧米からの家族が何世帯か暮らしており、シャーロットと同じ年頃の子供たちも何人かいて、私もよく一緒に遊んだ。彼らは当然ながらみんな私よりはるかに英語が達者で、子供といえども私は真剣に相手をしていた。さすがに子供なので難しいことは言わないが、いわゆる幼児語は授業でも学ばないため、私にはさっぱりわからず手を焼くことが多かった。例えば、"wee-wee", "pooh-pooh"――「おしっこー」とか「うんちー」といった幼児語だが、最初は意味がわからず、何度も聞き返していた。あるとき、横できいていたミセス・ベイカーが「シズエにそんなことばを教えちゃいけません」と子供たちに注意した。私は子供たちにこんなことばを連発させていたわけだ。なんだか立場がなかった。
ときどきこれらご近所の家庭からも留守番を頼まれ、私は学校の課題や読みかけの本を持って先方の家に出かけていった。そうやっていろんなお家に行って感心したのは、各家のインテリアのセンスだった。シャンデリアが吊るされ、カーペットが敷きつめられ広々とした洋風の空間に、和風の物がさりげなく溶けこんでいる。火鉢のうえに円形のガラス板を乗せてコーヒーテーブルにしたり、華やかな柄の扇子をいくつか壁に貼り付けたり、着物の帯をテーブルランナーにしてマホガニーのテーブルの上に敷いたりと、洋家具と和風小物が無理なく調和していた。彼らの柔軟な発想に驚くとともに、いつかは自分もこんな空間に住みたい、とひそかに憧れた。
インテリアといえば、照明器具の使い方でちょっとしたできごとがあった。リビングで過ごすとき、ベイカー夫妻はいつも部屋の四隅にある大きなスタンドライトだけをつけていた。テレビを見るときも読書のときもそうしている二人を見ると、暗くはないのだろうかといつも不思議に思っていた。ある夕方、リビングでシャーロットと遊んでいた私は、こちらのほうが明るくていいやと思い、スタンドではなく天井についている蛍光灯のシーリングライトをつけた。しばらくするとそこへミスター・ベイカーがやってきて、何も言わずに部屋の四隅のスタンドライトをつけ、天井の照明を消してしまった。そんなに蛍光灯が嫌いなのか、とあ然とした。
その後何年か経って、欧米の家では天井に蛍光灯をつけて部屋全体を照らす照明はあまり使わず、白熱灯のスタンドなどを多用するということを知った。白っぽくて寒々しい蛍光灯はまるでオフィスにいるようであまり好まれないのだ、とも聞いた。煌々と天井から照りつける蛍光灯を見て、ミスター・ベイカーはさぞいやな気分になったことだろう。
◆ほんとうに怖かった魔女姿―ハロウィン

今でこそ日本でも十月になるとハロウィンのディスプレイが街のショーウィンドウを飾るようになったが、当時はまだまだ定着しているとはいえなかった。しかし、十月終わりのある日、私が帰るとシャーロットが黒いとんがり帽子に黒マントという魔女の姿ではしゃいでいた。幼稚園でハロウィンをやったのでその衣装のまま帰ってきたのだという。三歳の金髪青い目の女の子の魔女姿、本来ならかわいくないはずがないのだが、シャーロットの顔を見てぎょっとした。怖かったのだ。目じりや口元に太いどす黒い線でしわが何本も描きこまれている。お婆さんの魔女らしく見せたのだろう。西洋人と比べてのっぺりとしている日本の子供ならさほど怖い顔にならなかったかもしれない。しかしシャーロットは子供とはいえ顔の彫りが深いため、妙にリアルで、本当にお婆さんのような顔になってしまうのだ。ほんとうはとってもかわいい子なのに、なにもここまでしなくてもいいのに…と思いながらも「わあ、かわいいねー」と、とりあえずその場をつくろった。
その日シャーロットは夜まで魔女姿のまま過ごしていた。やがて近所の子供たちが"Trick or treat"を叫びながらやって来た。みんな思い思いの仮装をして楽しそうだ。ミセス・ベイカーが玄関に用意しておいたお菓子をみんなに配ると、彼らは帰っていった。その一部始終を見て、私は内心シャーロット以上にはしゃいでいた。生まれて初めて見る、本物のハロウィンだった。


























