The Oxford Book of Children’s Storiesシリーズより出題中
入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:ケアンズ便り

ケアンズ便り:その6

豪に入ってはOZ(オージー)に従え

熊谷美保
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ケアンズOL生活 VOL.1

三十代後半から始めたオーストラリアでの学生生活。一年間の通訳・翻訳コースへ入る前に三ヶ月通った語学学校では、クラスメートの殆どが高校を卒業したばかりのアジアからの留学生だった。自分の年齢の半分の子達とうまくやっていけるのだろうか。私の不安とは裏腹に、同じ留学生という仲間意識は年齢や国の差を越え、若い彼らとすぐに打ち解けることができた。毎日ランチにサンドイッチを食べている私に「お米を食べないと駄目だよ」と、ベトナム人のハンサムな二十歳の男の子がお弁当を作ってきてくれたことも有った。それまで日本の田舎でお局OLだった私にとっては、「人生にまた春がやって来た」まさにそんな感じだった。

その後二年間に渡る留学生活は、若いクラスメート達と一緒に図書館で調べ物をしたり試験勉強をしたり、勉強の大変さは予想以上だったものの、思っていた以上に楽しく充実したものだった。

が、しかし。留学生活だけに没頭し、謳歌するには私は年を取りすぎていた。自分と同年代の社会人達とも友達になりたい、もっとオーストラリア社会に溶け込みたい、そんな思いがふつふつと沸いてきた。オーストラリアでは留学生の学費は現地の学生より高く設定されており、オーストラリア社会から見れば、高額のお金を落としていく海外留学生は貴重なお客さんではあるものの、しょせん短期滞在の外国人にすぎない、ということが次第にわかってきた。現地の人達との触れ合いを増やしオーストラリア社会に入り込みたいと、アルバイトをしたり習い事をしたりしてみたが、「留学生」という肩書きはどうしても打ち破れなかった。

当時私は同年代のキャリアウーマンの女性のマンションに間借りをしていたのだが、彼女やその女友達と話していても、自分が「外国人」であることに加えて「学生」であるということで常に隔たりを感じていた。仕事の話しや会社の上司の話、日本のOL時代には私にとっても日常会話だった彼女達の話に入っていけないのが寂しかった。日本に居た頃は組織の歯車として働くことに嫌悪感を感じていたのに、オーストラリアではその歯車になれないことがもどかしかった。「オーストラリアの会社でオーストラリア人と対等に働いてみたい」いつからか切実にそう思うようになった。

ではオーストラリアで働くにはどうすればよいか。まず働けるビザを持っていることが大前提だが、実はここが一番の難関だ。働けるビザの代表的な物は永住権かビジネスビザだが、企業がスポンサーとなってビザの申請を行うビジネスビザは、その企業にも費用の負担や責任が大きいため、ビザスポンサーとなってくれる企業は数多くない。またスポンサーになってくれる企業の殆どは、日本人スタッフを必要とする日本食レストランや日系の旅行会社等に限られており、「オーストラリアの会社で働く」という私の希望からは外れてしまう。となると永住権を目指すしかないのだが、永住権を取るには年齢、職業、学歴、英語力、オーストラリア在住期間等の審査項目があり、その項目にパスするのは簡単ではない。暮らしやすいオーストラリアへの移住を希望する外国人の数は増える一方で、その人数を制限するため永住権の取得要件は年々厳しくなっている。私の場合は当初一年の予定だった留学期間を二年に延ばし、居住地をメルボルンからケアンズへ移すことで、なんとか暫定的な永住権を取ることが出来た。

ビザが確保できたら次はいよいよ仕事探しだ。オーストラリアでの就職活動は新聞かインターネットが一般的だ。こちらでは終身雇用の概念は無く、一つの会社で5年も働けば次のステップアップを目指して転職する人が多いので、仕事を探している人の層は幅広く、皆、就職活動に慣れている。新聞等で希望の仕事を見つけたら、履歴書(こちらではresumeよりもCVと言う事が多い)に添え書き(カバーレター)をつけて求人先へ送るのは日本と同じだが、日本と大きく違うのはカバーレターの重視のされ方。カバーレターが目を引かなければ履歴書そのものに目を通さないという人事担当者も多い。履歴書は日本のように市販の物があるわけではないので、求職者は各自趣向をこらして作り上げ、カバーレターと履歴書には、日本人なら顔が赤くなりそうなくらい自分の事を褒め称える。日本では美徳とされる謙虚、控えめといった態度では、オーストラリアでは仕事をゲットできない。面接でも「あなたを雇ったらうちの会社にとってどんなメリットがありますか?」という質問がよく聞かれるが、この質問にスラスラと答えられなければ、自己主張の強いオージーを相手に就職戦線に勝ち残ることは出来ない。また就職活動時に驚いたのは、オーストラリアは意外にもコネ社会だということ。もっともそのコネも縦社会の日本とは違い、応募先の企業に知り合いがいるとか友達が働いているといった横の繋がりなのだが、そういったカジュアルなコネが強力な威力を発揮する。

失業率4.5パーセント以下の今のオーストラリアでは職種を選ばなければ仕事にはありつくことは出来る。だが自分が望む職種につきたいと思うと、特に英語が母国語ではない私のような者にとってはまさに至難の業だ。ビザが発行されるのを待つ間、メルボルンの法律事務所で約6ヶ月間翻訳の仕事をしたが、その仕事を獲得する迄に送った履歴書の数は相当数に上る。「残念ながら今回は・・・」という通知が届くたびに、自分を必要としてくれる会社はどこにもないんだと自信を失い、人格までも否定された気分になったものだ。日本でもオーストラリアでも就職活動はラクではない。

その後ビザが発行され、メルボルンを出てケアンズに移ることになり、ケアンズでは縁有って地元の不動産会社に就職した。「オーストラリアの会社でオーストラリア人と働く」という当初の目標は達成した。オーストラリア社会にも学生の頃よりは少しだけ近づけた気がする。

こうして始まった私のケアンズOL生活。日本のOL生活とはやはり違う。かなり違う。次回は私が働いている不動産会社の様子等を紹介したいと思う