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エッセイ:ケアンズ便り

ケアンズ便り:その4

豪に入ってはOZ(オージー)に従え

熊谷美保
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メルボルン交通事情

「時間通りに電車が来るんだよ。本当に時間通りに来るんだ」日本へ行ったことが有るオージーが、行った事が無いオージーに日本について話している時によく出てくるフレーズである。「先進国であるオーストラリアに住んでいて、どうしてそんな当たり前なことに驚くの?」こちらに来てすぐの頃はそう思っていた。でも日本の「当たり前」がオーストラリアでは「当たり前でない」ということに気付くまで、そんなに時間はかからなかった。

メルボルンでは鉄道、バス、それからトラムと呼ばれる路面電車が街を縦横に走っている。それぞれ運行会社が違うにもかかわらず、購入したチケットの有効期限、距離内であれば、一枚のチケットで全ての交通機関に何度でも乗ることが出来、乗り継ぎの度にチケットを買い換える必要がない。時間帯も早朝から夜遅くまで運行されており、かなり便利な公共交通機関のシステムだと言える。もっともそれは、きちんと運行されればの話。オーストラリアの交通機関、そう甘くはない。

始発の駅から列車に乗ろうとした時のこと。次の列車の発車時刻を知らせる電光掲示板が「○○行き 発車まであと29分」となっていた。どうやら前の列車が出たばかりのようだ。私は掲示板が見えるベンチに座り、本を読んで時間を潰すことにした。

「発車まであと20分」

「・・・あと12分」

「・・・あと6分」。

掲示板が「発車まであと3分」に変わったところで本を鞄にしまい乗車口に並ぼうとしたその時、私の乗る予定の列車が掲示板から突如として消えた。

「××行き 発車まであと14分」別の行き先の列車の発車時刻が代わって表示されている。

「え?どういうこと?」発車ホームが変わるとか、発車が遅れるといった放送案内も何も無い。この列車に乗らなければ大切な約束に遅れてしまう。私はプラットフォームの上の階の切符売り場へ走った。

「2時45分発の○○行きの列車はどうしたの?どうして掲示板から突然消えたの?」

切符売り場のインド系の女性は面倒臭そうにどこかに電話をかけ、受話器を置くとこう言った。

「運転手がいないからキャンセルになったみたいね」

運転手がいない?発車時刻になってそんな理由でキャンセルされるなんて納得できない。

「運転手がいないってどういうこと?病気になったの?急にいなくなったの?それともシフト上のミスなの?」

すると窓口の女性は両手を大きく広げてこう答えた。

「そんなこと知らないわよ。私が知っているのは運転手がいないから列車が走れないってこと。運転手無しには列車は走れないでしょ?」

こんなこと、日本でだったら有り得ない。

バスだって負けてはいない。

家からメルボルンの中心街に行くにはいつもバスを使っていた。その日の運転手はとても愛想の良い人で、運転席のすぐ後ろに座った乗客と、昨夜行われたフットボールの試合の話に興じていた。

「あれ?いつもと通る道が違う」

見慣れない外の景色を不思議に思ったが、運転手も他の乗客も何も言わない。路線工事のため運行路線が変わったか、私が間違って違う経由のバスに乗ってしまったのだろう。どちらにしても終点はメルボルン中心街なのだからまぁいいや、と気にしないことにした。

それから五分も走っただろうか。突然、運転手が奇声を上げた。

「シット!」

運転手は道の真ん中でバスを大きくユーターンさせると、来た道を戻り始めた。

どうやら話に夢中になりすぎて、道を間違えたらしい。

停留所でいつも以上に長くバスを待っていたお客さんから「今日はえらく遅かったわね」と言われると、「いやぁ、バスが道に迷ってね」と運転手はニヤニヤしながら答えていた。

こんなこと、日本でだったら有り得ない。

トラムだって信用できない。車両の故障、電線に問題が発生といった理由で、途中で立ち往生することは日常茶飯事。

「故障したようでこれ以上動きません。降りて歩いてください」。

運転手のアナウンスに申し訳ないといったニュアンスは無く、乗客も慣れっこになっているからか文句一つ言うわけでもない。皆黙ってトラムを降りてサッサと歩き始める。

「勤務中のトラムの女性運転手が、トラムを止めて車両に乗客を残し、マクドナルドへハンバーガーを買いに行った」地元の新聞が運転手の怠慢振りを報道したことも有った。

こんなこと、日本でだったら有り得ない。


tram:メルボルン市民にとって欠かせない足である路面電車(トラム)。

日本では有り得ない、このいい加減なメルボルンの交通機関にホトホトうんざりしていたある夜のこと。私はバイト帰りの疲れた身体をトラムのシートに埋めていた。ウトウトしていたと思う。どこからかビートルズのナンバーが聞こえてきた。ふと見ると前のほうの座席で誰かがギターを弾いていた。上手な演奏ではなかったが心地良い響きだった。曲が終わると周りの乗客何人かが拍手を始めた。

すると「Let it be, please」という声が車内に響いた。運転手が車内のマイクを使って曲のリクエストをしたのだ。

車内にLet it beが流れ始めた。私はぼんやりと車内の様子を見つめていた。前のほうの座席では、ブロンドのドレッドへヤーの男の子が、曲に合わせて身体を揺らしながらハミングしていた。私の真正面に座っていた白髪の白人カップルは、曲を聴いているのかいないのか、お互いの手を握り、目を見詰め合い微笑み合っていた。通路を挟んだ座席では、黒人の女性がスヤスヤと眠った赤ちゃんを胸に抱え、頭を優しく撫でていた。後ろのほうの座席では、中国人の若い女の子が、携帯電話に向かって中国語で何かまくしたてていた。私はなんだか映画のワンシーンでも見ているような気分になった。誰もがトラムの中に自分の空間を作り上げていた。自分の居場所を持っていた。誰に遠慮することなく、トラムの中で自分の時間を楽しんでいた。

こんなこと、日本でだったら有り得ない。

平成十七年四月に尼崎市で起きた悲惨な列車事故のニュースは、ここオーストラリアでも報道された。

九十秒の遅れを取り戻すためにスピードを上げた運転手が運転を誤り、一瞬にして百七人の尊い命が奪われるというこの痛ましい事故は、オージーにも衝撃を与えた。

九十秒、たった九十秒の遅れのために、何の罪もない百七人の人達の将来が、一瞬にして消されてしまった。

ナインティーセカンズ。オンリー ナインティーセカンズ。

一緒にニュースを見ていたオージーの友人はポツリと言った。

「こんなこと、オーストラリアでだったらあり得ない」

世界に誇る日本の公共交通システム。「時間通りに電車が来る」事がどれほど貴重で凄い事なのか、海外で暮らしていると改めて思い知らされる。公共交通機関の時間通りの運行が、私達の快適な生活に大きく寄与していることには疑いがない。

でも、一分の狂いも無く走り続けることと引き換えに、私達は何か大切なものを失ってはいないだろうか。時間通りに走ろうとしいるのは電車やバスや列車ではなくて、私達自身なのではないだろうか。

ケアンズに引越しをして自家用車での生活になり、公共交通機関のお世話になることがなくなった。時刻表を気にせず、いつでも自由に行動できる車での生活は大変便利だ。

それでも、メルボルンのいい加減で、信頼出来ない、トラブル続きの電車やバスやトラム達が、今は無性に懐かしい。


Coach:市内を走る馬車は観光客に人気。