入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:ケアンズ便り

ケアンズ便り:その18

豪に入ってはOZ(オージー)に従え

熊谷美保
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オーストラリア住宅事情 ~40歳、住所不定、無職、独身、おまけに恋人無し(前半)

私のビザではクィーンズランド州の都市部(ブリスベン、ゴールドコースト)以外に住むことが条件付けられていた。都市部以外で暮らすとなると、翻訳をメインに雇ってくれる会社は無いだろう。そうなると日本語機能が必要なホテルや旅行業界で働くしかない。クィーンズランド州でブリスベン、ゴールドコースト以外に日本人旅行客に人気の都市と言えばケアンズだと思うが、ケアンズは日本からワーキングホリデーでやってくる若者達の多くが最初に上陸する所。若くて体力が有り「低賃金でも経験のために働きます」というワーキングホリデーの若者達と仕事を競い合うのは部が悪いと考え、移住先候補からケアンズを外すことにした。

そして選んだのが、ブリスベンから北へ車で二時間程度の海辺のリゾート地、サンシャインコースト。メルボルンのハウスメイト、デビーから「サンシャインコーストは素敵!特にハイアットホテルはすごく良かった」と聞いて、メルボルンに居る時にサンシャインコーストのハイアットホテルへ履歴書を送ったところ、「サンシャインコーストへ着いたら、すぐに連絡をください」と前向きな返事を貰っていた。それ迄一度も行ったことは無かったが、私の未来はサンシャインコーストに有りと確信し、スーツケース一つと大きな手荷物二つ、それにヨガマットを抱えて、サンシャインコーストへと乗り込んだ。

メルボルンから飛行機で約二時間。サンシャインコーストは予想以上に素敵な所だった。特に運河とビーチの両方を持つヌーサ(Noosa)という高級リゾート地は、自然豊かな美しい場所で、ホテルやお洒落なレストラン、お店等も多く、多くの観光客で賑わっていた。私はヌーサからバスで15分程離れた町のサービスアパートメントを仮の宿に決めた。


地元の人、観光客でいつも賑わうヌーサ(Noosa)のビーチ。

サンシャインコーストに着いてすぐ、現地に住むメルボルン時代の知り合いや、友人に紹介して貰った日本から移住されている方に、それぞれ街を案内して貰った。二人から話を聞いても、サンシャインコーストは暮らしやすそうな場所に思えた。

「とにかく仕事を探して落ち着かないと」と、早速翌日から就職活動を開始したが、現実は甘くはなかった。期待のハイアットホテルに連絡をしたところ「日本人観光客が激減して状況が変わり、今は求人が無い」とあっさりと断られた。他のホテルや語学学校等にも行ってみたが状況は同じだった。メルボルンに居た時に人材紹介会社を通して応募していた離島にあるホテルの仕事も、ホテルから断りの連絡が有った。人材紹介会社からは99%大丈夫だと言われていたので、この仕事が貰えなかったのは堪えた。仕事が見つからなければ長期的にアパートを借りることも出来ず、落ち着くことも出来ない。メルボルン時代の蓄えもいつまでも続くわけではないし、「一年間フルタイムで働く」というビザの要件を満たすためにも、とにかく仕事が必要だった。段々と不安感が大きくなっていった。

当時、季節は夏まっただ中で、昼間は四十度近い気温が続き、街へ行くバスをバス停で待っているだけでも暑さでヘトヘトになるような毎日だった。午前中はインターネットカフェで就職状況をチェックして可能性の有りそうな所へ履歴書を送り、近場のホテルや旅行会社にも履歴書を持参し、午後は部屋で本を読んだり昼寝をしたりヨガをしたりという生活をした。部屋にずっと一人でいると、時間が止まったようで色々な事が頭をよぎり、落ち込み、そして不安になった。メルボルンでキリギリス生活を謳歌していた私は、新しい場所で起こりうる事態について十分に用意が出来ていなかった。オーストラリアへ来た時は、通うべき学校が決まっていたが、今回は全くゼロからのスタートな上に、ビザの要件を満たすためにフルタイムの仕事を見つけなければならないというプレッシャーも有った。

外国の知らない町でたった一人、私は一体何をやっているのだろう。別にキャリア志向でもないのに、だいたい40歳にもなって私は何故今も独身なのだろう。私の人生どこで間違ったのか。「あの時こうしていれば・・・」「あの時別の道を選んでいれば・・・」考える時間は山のようにあるので、人生懐古劇は「メルボルンでデートしていた大学講師の彼とうまくいっていれば・・・」から始まり、「幼馴染のタっちゃんこそが私の伴侶となるべき人だったのでは」と小学生の頃まで溯っていく。これまでの40年間の人生全てが間違っていたような気さえしてくる。

もし私がここで死んでも、すぐには発見されないだろう。腐乱死体で発見されて、日本の新聞に出る時には「40歳、住所不定、無職、独身」って出るのかな。「おまけに恋人無し」って付け加えて貰っても良いけど。ここまで揃えば逆に結構カッコイーかも、と自虐的に考えたりもした。

メルボルンの友人達は代わる代わる電話やメールをくれて励ましてくれたが、皆が”You will be all right”と言うのを聞くと、「いつall right になるのよ?!」と逆切れしそうになった。寂しさと不安で発狂しそうだった。メルボルン時代を思い出しては泣き、これからの生活を考えては泣いた。

アパートはビーチから歩いて数分の場所にあった。朝と夕方ビーチを散歩し、疲れると砂浜に座って地元の人たちがサーフィンをするのをボーっと眺めていた。それまでサーフィンと言えば、「若者の華やかなスポーツ」というイメージを勝手に抱いていた私には、波が来るのをジッと待ち、波に乗り、波から落ち、また波を待つという、ある意味地味な作業を繰り返す彼らがとても新鮮に見えた。ずっと見ていると、サーファー達はやみくもに波に乗ろうとするのではなく、乗るべき波を待っているのだということがわかってきた。どんな波にでも乗ろうとすると、本当に乗るべき波が来た時には疲れて切っていて最高の波乗りが出来ないのだろう。自分の乗るべき波を待って、そして最高のコンディションで波に乗る、これって人生にも言えるのではないか。

私には私の波がきっと来る。必ず来る。深呼吸をして、あわて騒がず、私の波が来るのを待てばいい。そしてその波が来た時に、迷わずためらわず最高の波乗りが出来るように、今は自分のコンディションを整えていればいいんだ。そう思うと、気持ちがちょっと楽になった。

せっかくこんなに素敵な場所に居るのだから、ウジウジ、メソメソするのは辞めて、観光でもして楽しまなくちゃ!!いつまで続くかわからない無職の暮らしに備え、それまでは食費も切り詰めて、一切外食もせずに部屋で缶詰や即席パスタを食べていたのだが、次の日の朝はバスに乗ってヌーサの街まで出かけ、高級ホテルのレストランで豪華にブランチと張り込んだ。街のブティックで花柄のサマードレスを一枚買い、観光船に乗って運河の遊覧もした。運河から見るヌーサの街は美しく、肌に当たる風も最高に心地良かった。

途中から父親と一緒に観光船に乗ってきた四歳くらいのブロンドの髪の男の子が、何を思ったのか私を指さして、”Oh, sexy girl!”と叫んだ。四歳の彼はsexy girlという言葉を覚えたばかりで、自分より大きな女の人のことは全てsexy girlと言っていたのかもしれないが、「40歳、住所不定、無職、独身、おまけに恋人無し」の私は彼の他愛無い言葉に大いに勇気づけられた。「わ~、私も未だgirlって言って貰えるんだぁ。しかもsexy girlだって!」私もまだまだいけるような気がしてきた。

大丈夫、私の波はきっと来る。私の中で何かが変わった。そして、驚くべきことに、本当に私の波がやってきた。(後半へつづく)


ヌーサの遊覧船。特に舟の上から見るサンセットは絶景です。
2010年8月16日号
(第4巻166号)