豪に入ってはOZ(オージー)に従え
オーストラリア住宅事情 ~~メルボルン、ハウスシェア(後半)
ホワイトハウスの女主人デビーは、ファッションメーカーで働くキャリアウーマンだった。二度の離婚を経験し、二度目の旦那さんは会社を六回倒産させ、六回目の時にはデビーに内緒で彼女の名義でお金を借りていたために、彼女が多額の借金を背負わされることになったのだという。それでも文字通り朝から晩まで働きとおして借金を返し、四人の息子を女手一人で育て上げ、メルボルンの一等地に自分でデザインした家を建てたという気丈な女性だ。彼女の生い立ちや、これまでの経験を聞くと、「なんて強い人なのだろう」と思わずにはいられなかったが、だからといって男勝りでもなく、「女性は美しくないと」と、常に身だしなみを整え、背中をスッと伸ばし、彼女の誕生日を何度か一緒にお祝いしたが、決して実年齢を明かすことはなかった。
彼女と暮らした二年半の中で、言葉の行き違いから彼女を怒らせてしまい、口論になったことも何度かあったが、彼女との関係はシェリルの時と比べてずっと良好で安定していた。年が離れていたこともあるし、なんと言っても四人の息子を育て上げた彼女には忍耐力も有ったのだと思う。シェリルの時と比べて、私は家の中でずっと自由にふるまう事が出来た。
様々な困難を乗り越えてきた彼女は常に前向きだった。私が ” I hate XXX.”と言ったところ、「”hate” という言葉は使っちゃ駄目。”hate”は強い言葉で、何かを”hate”するというのは、とてもネガティブなことよ。何かを好きじゃない時には”don’t like”とか”dislike”を使いなさい」と言われた。そういうものなのか。私もそれ以降は”hate”という言葉は使わなくなった。言霊を信じる私には心に残るアドバイスだった。今のオージーのボーイフレンドと付き合い始めた頃、”I hate XXX.”を連発する彼に、デビーからのアドバイスをそのまま伝えると、驚いたように私を見つめていたが、それからは彼も”hate”という言葉をあまり使わなくなった。小さなことだが、”hate”という言葉を使わなくなっただけで、彼の言葉から棘が減った気がする。
デビーからは他にも学んだことがある。彼女の四人の息子はそれぞれに独立して、経済的にも安定した仕事を持っていた。四人ともハンサムでお行儀が良く感じも良かったが、彼らのパートナー(ガールフレンド)はどうしたわけか彼らに不釣り合いな女の子ばかりだった。少なくとも私にはそう見えた。例えば、デビーは息子のパートナー達に、クリスマスやそれぞれの誕生日にプレゼントを渡していたが、二男と四男のパートナーは何年間も付き合っているのに、デビーには一度もプレゼントを渡したことがなかった。そのくせデビーが彼女の誕生日を忘れようものなら、催促の電話をよこすというとんでもなく厚かましい女の子たちだった。デビーは私には彼女らの愚痴をこぼすことは有ったが、実の息子達にそのパートナーの批判をすることは一切なかった。「少し言ってもよいんじゃないの?彼女達、ちょっとひどすぎるよ」という私に向かって「親が思う子供の幸せは必ずしも子供の幸せと同じじゃないの。息子達の幸せは息子達自身が決めるもの。息子が幸せなら私は何も言う事はない。あなたも日本の親がどうかとか、周りの人がどうかとかを考えるのはやめて、自分が幸せかどうかをまず一番に考えなさい」と言うのだった。「自分を変えることはできるけど、他人を変えることはできない」「自分を幸せに出来るのは自分だけ」というのが彼女の決まり文句だった。
いつも前向きなデビーでも時々落ち込むことは有った。彼女は素敵な紳士との出会いを求めて有料のパートナー紹介所に入会していたが、その紹介所は芳しい成果を上げることはなかったようで、同じ人と二、三度デートした後はいつも、相手の男性の「どこかおかしい」点が暴露されるのだった。例えばそれは、食事の支払いの時になると必ず財布を忘れたことに気がつく相手であったり、BMWを運転しているデビーに自分が乗っている車をひた隠しにする相手であったり、デートの度に亡くなった奥さんの写真を見せる相手であったりした。「パートナーとなる人と出会えないのかしら」と落ち込むデビーに、超前向きで何でもこなせる彼女でも、やっぱり私と同じ女性なのだ、と親しみを感じたものだ。
デビーは今では孫六人を持つお婆ちゃんになったが、相変わらずファッションメーカーで忙しく働き、海外出張もこなしている。たまに電話で話したり、私がメルボルンへ行くことが有れば家に泊めて貰ったり一緒に食事をしたりする、私にとっては叔母さんのような存在だ。今年の終わりには仕事を辞め、日本円で一億円は下らないであろう家を売却し、そのお金で田舎の農場と、市内の小さなアパートを買って、田舎中心の生活をする予定なのだという。息子達の近くに居て、孫の面倒を見るような生活は厭なのだそうだ。「自分を幸せに出来るのは自分だけ」、家族に依存することなく常にわが道を突き進むデビーらしい選択だ。
オーストラリアに来てサンディ、シェリル、デビーと三人の女性と一緒に暮らしたが、「人は家を造り、家は人を創る」と言う通り、それぞれの家は三人の女性の性格やライフスタイルをそのまま反映していた。三人三様の暮らしを側で見つめながら、彼女達から多くの事を学んだ。三つの家で浮遊するように暮らし、彼女達の家造りの傍観者だった私も、メルボルンを出た後にケアンズで自分の家を造ることになる。次回からは、私自身の「家を造る」までに至る話を紹介したいと思う。

メルボルンに多いビクトリア様式と呼ばれる家。レンガ造りで透かし細工の飾りが有るのが特徴。
(第4巻152号)




























