豪に入ってはOZ(オージー)に従え
オーストラリア住宅事情 ~メルボルン、フラットシェア

「ガーデンシティ」で知られるメルボルンにはあちこちに美しい公園が。
オーストラリアでの二番目の住まいはフラット(マンション)だったが、サンディとローラの家とは全てにおいて対照的だった。
そのフラットは、メルボルンシティの中心地からトラム(路面電車)で7分程、二つの大きな公園とメルボルン観光名所の一つでも有る植物園まで徒歩数分、近くにはカフェやレストランが点在する、最高に住環境の良い場所に有った。トラム(路面電車)も走る片側四車線の幹線に面し、周りは高層ビルが建ち並んでいたが、そのフラットは昔に建てられた物なのだろう、その四階建てのレンガ造りの住宅は、敷地内に二棟ゆったりと建てられ、入口には木々が生い茂り、表の通りからは中が見えないようになっていて、そこだけ通りの喧騒からかけ離れていた。
ロケーションも最高だったが、家の中も最高に素敵だった。私が部屋を間借りすることになった家は、建物の三階部に有る入口をはいると、ふかふかした絨毯敷きのホールを挟んで二つの寝室とトイレ、バスルームがあり、U字型の階段を上がると、30畳程のオープンスペースにリビング、ダイニング、キッチンが階段を取り囲む形で配置されていた。さんさんと日が降り注ぐダイニングとキッチンからはバルコニーへとつながり、十畳程のバルコニーにはタイルが敷き詰められ、日よけ用の大きなパラソルがアウトドア用のテーブルと椅子の隣に立てられ、オーストラリア人の大好きなバーベキューセットも備え付けてあった。小さな家庭菜園用のコーナーも有り、バジルやミントといったハーブが植えられていた。バルコニーからは前庭の木々や遠くに高層ビルを望むことができたが、隣家を覗くことも覗かれることも出来ない完全にプライベートな空間で、日曜の朝など、このバルコニーでゆっくりと新聞を読みながら朝ごはんを食べるのは至福の時間だった。
この家はシェアメイト(同居人)でありオーナーでもある当時40代前半だったシェリル(仮名)が全面的にリノベーション(改築)した物だった。上の階は元々それぞれの部屋が独立して壁で仕切られ、寝室も有ったそうだが、全ての壁を取り払ってワンルームにし、部屋全体が光を取り込むように設計されていた。下の階のトイレやお風呂も、そのサイズや仕様は「使いやすさ」を十分に考えてモダンに改築されたことが感じられた。サンディの家で散々泣かされた「寒さ」も、セントラルヒーティングのこの家では全く無縁だった。
私は一目でその家に恋をした。間取りはもちろんのこと、部屋の調度品もシンプルで品が良く、写真の飾り方やクッションの置き方等もさり気ないながら洗練されていた。シングルの女性が都会で暮らすための家としては、最高級の家だったと思う。不動産会社で働く現在、豪華な家を見る機会も多いが、シェリルの家ほど「素敵、住んでみたい!」と感じた家は他に無い。
シェリルの家は、サンディの家と違って常にすっきりと片付いていた。シェリルがきれい好きだったからということもあるが、月に二度プロの清掃を頼んでいたことも大きい。掃除の人は大柄なゲイの男性で、シェリルによると「男性の体力が有って、女性的に細かいところに目が行き届くゲイの掃除人は、掃除人として最高」とのことだった。ひげづらの大きな男性がなよなよと私の部屋を掃除してくれるのには最後まで馴染めなかったが、オーストラリアではそんなに大きくない家でも、掃除の人を雇う事があるのだということをこの時に学んだ。
シェリルはいわゆるバリバリの独身キャリアウーマンで、貿易の仕事で年の三分の一は海外へ出張していた。金髪長身のオーストラリア人だが、高校から日本へ留学し、東京の国立大学の大学院を卒業した後、日本の一流企業でも働いた経験が有るらしく、とても流暢に日本語を話した。「オーストラリアに戻ってきた時にちょうど円高だったので、日本で貯めたお金でこのフラットを買ったの」と話していたが、投資用にと他にもマンションを所有し、乗っている車も新型のBMWだった。
サンディの所と対照的だったのは住環境だけではなかった。シェリルとは一年間一緒に暮らしたにもかかわらず、サンディの時とは違い、残念ながら最後まで心を割って話すことが出来なかった。同じ家の中で暮らしているシェリルは一番近くに居る人なのに、一番遠くに感じる人だった。
彼女は自分にも他人にも厳しかった。仕事のストレスで疲れていることも多いようだったが、仕事の愚痴を私に話してくれることも一切なかった。彼女の海外出張中、彼女の友達やお兄さんが彼女の部屋を訪れることがあり、その時に私が知らないシェリルが抱えている問題等について話をしてくれることが有ったが、シェリルと一緒に暮らした間、彼女自身の口からそれらが私に語られることは全くなかった。
私のほうも貧乏留学生である私とシェリルは住む世界が違う、彼女はこの家のオーナーだということで、必要以上に遠慮し、打ち解けて話ができなかったのかもしれない。
また、私の英語は彼女の日本語よりも劣るというコンプレックスも常に有った。私達は私の英語の勉強のためにと英語だけで話をしていたが、私が何か話すごとにシェリルから発音の違いを厳しく指摘され、私は次第に彼女と話すことが苦痛になっていった。彼女の友達が遊びに来ている時に、その友達と私が英語で話していると、シェリルが私の発音が違うと何度も単語を言い直させた。見かねた友達が「そんなに言わなくても、私にはMihoが話している英語が問題無く理解できるわ」と取りなしてくれたが、「Mihoのためにやっていることだから」とシェリルは容赦なかった。
シェリルに「あなたの英語はどうしてそんなに日本語なまりなの?!」と言われる度に、英語を話すことへの恐怖感が募るようになり、次第に家の外でも英語を話すことがためらわれるようになっていった。これは当時通訳の勉強していた私には致命的な悪影響だった。学校のクラスメート達が「そんな状態を続けるのはよくない。早く引っ越したほうが良いよ」と心配してくれたが、「いつかシェリルと仲良くなれるかもしれない、仲良くなりたい」という願望と、「こんな素敵で便利な家を離れたくない」という気持ちから、なかなかシェリルの家を出ることが出来なかった。
そうして彼女の家に移って一年と少し経った頃、シェリルから「他州から自分の父親が二週間遊びに来るから、その間だけは部屋を空けて欲しい」と言われた。どうせ二週間だけ住む場所を探すのだったら、いっそのこと引っ越しをしようと、彼女の家を出る決心をした。
家を出ると決めたものの、当時は大学の最終試験の真最中で、部屋探しをしている時間も気持ちの余裕も全くなかった。そんな中、私がシェリルの家を出るという事を聞いた前述のシェリルの友達が「知り合いが一緒に住む人を探しているから紹介するよ」と言ってくれ、渡りに舟と、あまり深くも考えずにその話を受けることにした。
シェリルの家を出る直前、私の次の入居先が自分の友達の紹介によるものだと知ったシェリルは「あなたには二週間だけ部屋を空けてと頼んだだけで、出て行ってとは言ってないのに、私の友達の知人の家に移るなんて私を侮辱している!」と烈火のように怒りだした。私はそんなつもりは全く無かったことや自分の状況を説明しようとしたが、彼女は全く聞きいれてくれなかった。結局シェリルとはわだかまりを持ったままの別れとなった。
シェリルの家で暮らし始めてすぐの頃、サンディをシェリルの家に招待したことがある。 シェリルの素敵な家を羨ましそうに眺め、シェリルが日本での大学時代の話などをするのをため息交じりに聞いていたサンディが、「すごいわ。海外に留学して、海外でも仕事をして、こんな素敵なフラットを所有して。あなたの暮らしは私とは全く違う」心からの尊敬を込めて言ったところ、「でもあなたにはローラがいるじゃない。私にはいないわ」とシェリルがすかさず言った。それを聞いたサンディは「そうね、私にはローラがいるわね。でもあなたも子供が欲しければ産めるわ」と答えたが、シェリルはただ首を振るだけで何も言わなかった。
あの時のシェリルは、その後一緒に暮らした一年間の中のどの瞬間よりも素顔に近かったかもしれない。当時40代初めだったシェリルは無類の子供好きで、私が一緒に暮らし始めるより一年ほど前に突然離れていった恋人との間に子供を切望していたというのは、その後シェリルのお兄さんから聞いた。
シェリルと暮らしていた時、私はシェリルの笑った顔を殆ど見たことがなかった。シェリルも自分の友達に「Mihoはいつも眉間に皺を寄せ、笑う事がない」と言ったと聞いた。メルボルンの一等地の雑誌に出てくるような素敵なフラットで、私達はお互いに鏡のように仏頂面をして暮らしていたのかもしれない。そう考えると、とてももったいないことをしたと残念でたまらないが、当時はそれが精いっぱいだった。
このエッセイを書くに当たり当時のことを思い出したからだろう、先日シェリルが夢に出てきた。夢の中の彼女は私が大好きだったあの素敵なフラットで、優しそうなパートナーと一緒に幼稚園を営んでいた。彼女はとても幸せそうで、私にも優しくしてくれた。「あなたと一緒に暮らした時にもっと仲良くなりたかった」と言う私に彼女はニッコリと笑って、「私達はずっと仲良しだったわ」と言ってくれ、私は長年の胸のつかえが取れた気分だった。夢が覚めた時、私はとてもがっかりした。
今の私は当時のシェリルの年齢になったが、子供もなく、かといってシェリルのようなキャリアや素敵なフラット、高価な車を持っているわけでもない。それでも今の自分の生活を結構気にいっているし、あの頃よりもにこやかに暮らせていると思う。今ならば、前よりも自信を持って、笑いながらシェリルとも話が出来るかもしれない。仕事の愚痴や、会社の上司の悪口、政府の景気支援対策、お勧めのレストランについて、シェリルと話してみたい事は山ほどある。シェリルからはきっと「あなたの英語は相変わらず日本語なまりなのね!!」と突っ込まれるだろうが。
同じ時間と空間を共有しながら、気持ちを分かち合う事が出来なかった私のフラットメイト。あの素敵なフラットで、彼女がにこやかに幸せに暮らしていることを心から祈る。

トラム(路面電車)はメルボルン市民の足。市内中心部では観光客用の無料トラムや、
フルコースディナーが頂けるトラムレストランも人気。

12月25日の植物園でクリスマスハイキングを楽しむ家族づれ。天気が良い日の公園はまさに楽園。
(第4巻141号)


























