豪に入ってはOZ(オージー)に従え
オーストラリア住宅事情 ~ 37歳、夢のホームステイ
オーストラリアに来て初めて暮らした家はホームステイだった。知り合いもいない初めての街で、手っ取り早く住む場所を確保したかったというのがホームステイを選んだ理由だが、それと同時に、それまで経験が無かったホームステイというものに、私は大きな憧れを抱いていた。
私がイメージしていたホームステイとは、家は高級住宅地にある二階建ての白い洋館で、庭にはホストファーザーが手入れをしたバラが咲き誇っている(はず)。家の中はいつもきれいに整頓され、料理上手なホストマザーが作るジャムやケーキの甘い香りが家中を包んでいる(に違いない)。もしかしたら、二人には私と同じくらいの年の素敵な独身の息子がいるかもしれない(いないはずがない)。息子じゃなくてもハンサムな甥っ子がいて、たまたま遊びにきた時に、私に一目ぼれしたりなんかしちゃったりして?!(しちゃう!しちゃう!)これまでの独身負け犬生活とオサラバ出来る大チャンス、人生逆転満塁ホームランも夢じゃない!今考えると当時37歳の私がなんと厚かましい夢を、と恥ずかしくはなるが、「ホームステイ」はその後のオーストラリアでの私の生活、引いては私の人生をも変えるようなドラマティックなものになると当時の私は真剣に信じていたのだ。
夢と打算と思い込みを胸一杯に抱いてメルボルンへやってきた私に学校が紹介してくれたホームステイ先は、市内から電車で30分、あまりガラが良くない町にある古びたレンガ造りの平屋の家だった。庭には植木も何も無く、裏庭に二人掛けのベンチとオーストラリアの家庭ならどこにでもある回転式の物干し台がポツンと立っているだけ。玄関の二重扉は壊れていて常に風でカタカタと音をたてていたし、トイレの扉もきちんと閉まらず、トイレを使う時は中からドアノブを引っ張っていなくてはいけない、そんな家だった。
そこで私を迎えてくれたのは、グレイの髪の上品な初老夫婦ではなく、鼻に二つピアスをあけた29歳のシングルマザー、サンディとその娘、1歳半のローラ(共に仮名)。サンディはキラキラした目のフレンドリーな人で、ローラも天使のように可愛い女の子だったが、「年下のホストマザーなんて・・・」と、私が思い描いていたホストファミリー像とのあまりの違いにひどくがっかりした。満塁ホームランの予定がショートゴロに倒れたような気分だった。
サンディの家での生活が始まり、私のホームステイに対する落胆度は更に大きくなっていった。家には寝室が三つあり、私は一番広い寝室を使わせて貰ったが、この部屋はとにかく寒かった。メルボルンへ着いたのは冬の終わりにあたる八月の終わりだったが、東京の真冬並みの寒さで、それなのにサンディの家にはリビングに小さなストーブが一つ有るだけで、私の部屋は北極状態だった。用意されたベッドの掛け布団も重いだけで全く暖かくなく、私はその家に居た間中、ベッドの中にサンディから借りた寝袋を持ちこんで寝るという始末だった。
サンディは片付けが苦手なようで、家の中はいつも洋服やおもちゃが散乱していた。洗濯をしようと洗濯機を開けると、常にサンディの洗濯前か洗濯済みの洋服が入っていた。洗濯済みの物が入っている時は「すぐ干すのだろう」と思って待っていると、そのままの状態で数日が経つということも多かった。
私はホームステイ料金の一部として朝食、夕食代金を払っていたのだが、サンディは料理も苦手なようで、朝はシリアルや食パンを勝手に食べるように言われ、夜は冷凍食品をレンジで温めて出してくれるといった状態だった。
彼女は週に三日美容学校の受付で働き、その間ローラは保育園に預けられていた。夕方は私が学校から帰るよりも早く家に帰ってきていたが、常に友達や家族の誰かが訪ねてきていて、リビングで夜まで話し込んでいた。皆良い人たちだったが、彼らが居間にいると私のスペースがないため、私は凍えるような自分の部屋のベッドの中で寝袋に入り、かなり無理な姿勢で勉強をするという毎日だった。サンディは彼らが帰った後にローラを子供部屋で寝かしつけ、自分はリビングのソファーに横になってテレビを見ながら朝までそこで寝ていた。今になるとサンディの寝室も寒かったのだろうと推測するが、当時の私の眼には「サンディって何てだらしないのだろう」としか映らなかった。
サンディに対する私の不満は日増しに募っていった。「お客様扱い」して貰えると思っていたホームステイが全くそうではなかったという事実にも苛立っていたし、家の掃除も料理もきちんとしないサンディに対して、「こんな状態でホームステイを受け入れるなんて無責任だ」と腹立ちを覚えた。
そんな私の態度にサンディも気がついたのだろう。一緒に暮らし始めて二週間ほど経ったお天気の良い日曜日の朝、裏庭で洗濯物を干していると、「話が有るのだけど」とサンディが話しかけてきた。私達は庭のベンチに並んで座り、回転式の物干し台が色とりどりの洋服を乗せて、遊園地の空中ブランコのようにクルクルと回るのをしばらく黙って見ていた。サンディが言いにくそうに話し始めた。「何か不満があるのなら何でも言ってほしい。一カ月の予定のミホのホームステイだけれど、出来れば長く居て貰いたいので、自分が改善できる点は改善する」という内容だった。不満は山ほどあった。寒すぎる部屋、足の踏み場もないリビングやいつも食器が溜まったキッチン、貧しい食生活、でも何をどう話してよいのかわからなかった。するとサンディがおずおずと私の不満に思っていることに心当たりあると言う。「ミホの部屋のベッドがダブルベッドではなくシングルベッドなので怒っているのでしょ?ミホがこの先も居てくれるのだったら、ダブルベッドを買ってもよいのよ」あまりの勘違いのコメントに驚いてしまった。ベッドのサイズなんてそれまで考えたこともなかったが、これも文化の違いなのだろうか。
私はシングルベッドには何の不満もないことを説明してまずサンディを安心させた後、ギリギリの予算で留学をしているので、割高のホームステイを続ける事は出来ないこと、学校からも遠く、交通費もかかるサンディの家には長期間住めないことを説明した。そして日頃から不満に感じていたこと、住み心地が良くないと思っていた点を説明していったのだが、話しているうちに、サンディとは直接関係の無い外国生活での不安や、英語をスムーズに話せないことへの焦り、といった色々な感情も湧きおこってきて、最後は涙ながらの話になってしまった。サンディは私の目をずっと見つめて、最後まで真剣に話を聞いてくれた。そして「誰一人知り合いが居ない言葉が違う国へ一人で来たミホは勇気が有る。それにミホは上手に英語を話せるじゃない」と褒めてくれ、私が家を出るまでの残りの日数を居心地良く過ごせるように、自分が改善出来ることは努力をすると言ってくれた。
それから「自分は今、色々な問題を抱えていて、ミホのことを考える余裕がなかった。ごめんなさい」と謝ってくれ、自分のことを話し始めた。結婚するつもりだったローラの父親が急に離れて行ってしまったこと、理想のカップルだった両親が突然離婚をし、直後に父親が突然亡くなってしまったこと、憂さ晴らしの買い物を繰り返すうちにクレジットカードで大きな借金を作ってしまったこと。サンディはよくその裏庭のベンチに座り、遠くを見つめて煙草を吸っていたが、そんな時の彼女はいつもどこか悲しそうだった。その理由がなんとなくわかった気がした。
ホームステイの受け入れは家賃の足しにと始めたことだったが、他の理由もあった。オーストラリアを出た事が無いサンディには「いつか外国で暮らしてみたい」という夢が有った。そんな夢もシングルマザーになってからは実現が難しくなり、それならせめて外国人と一緒に暮したい、ローラにも国際的な環境の中で育ってほしいとホームステイの受け入れを始めたのだという。サンディは私の前にも何人かホームステイの受け入れをしていたが、彼らが持ってきたお土産を全て戸棚の中に飾って大切にしていた。私が思い描いていた老夫婦のホストファミリーの歓待とは違ったが、サンディはサンディなりに、ホームステイの学生を大切にしていたのだとその時初めて気がついた。
その日、私達は色々な話をした。それまでのお互いの恋愛の話や理想の仕事、理想の暮らし、理想のパートナー、お互いの夢の話もした。私はその後の大学での通訳・翻訳コースを無事に終了して国家資格を取りたいと話したと思う。サンディはキラキラ光る眼で「いつか外国で英語を教えてみたい。でも自分は高校を中退しているから難しいだろうけれど」と恥ずかしそうに言った。サンディは普段からとてもきれいな英語を使い、私のようなノンネイティブの英語も辛抱強く聞いてくれた。きっと良い英語の先生になるだろう。私は「無理なことなんて何も無い。本当にやりたいことなら絶対に叶うから」と励ました。私達の間に有った壁が崩れたようだった。私は初めてその日、サンディのことを近くに感じた。
その夜、サンディは猛然と家中の掃除を始め、翌朝家は見違えるようにすっきりとなった。「着ない洋服はリサイクルショップに売ることにした」と段ボール箱数箱を抱えて出て行った。季節が春になり、部屋の寒さも前ほどではなくなったせいもあるが、それまで馴染めなかった家が急に居心地良くなった。サンディが買ってきた材料を使って私は料理をし始めた。何度か和食を作り、サンディとローラと一緒に食べた。私が食事の前に無意識に「頂きます」と手を合わせるのをローラが真似するようになった。ローラは未だきちんと言葉を話せなかったが、私の名前は辛うじて言う事が出来た。私の部屋でかくれんぼをするのが大好きで、彼女との触れ合いは慣れない外国生活でのストレスを随分と癒してくれた。サンディとローラと三人で小旅行もした。サンディが運転する今にも止まりそうな古い車の中で、サンディと私はデタラメの歌を歌い、ローラはそれを聞いてキャッキャと笑った。二人と一緒に居るのは純粋に楽しかった。
ホームステイを始めて一カ月後、私は友人の知人が所有するメルボルンシティに有るフラットへと引っ越しをした。そのフラットへ一度サンディを招待したことがある。事前に「ものすごく豪華なフラットだよ」と話していたため、ローラが物を壊したりしたら困るからと、その日は一人でやってきたサンディは、メルボルンの一等地にあり、室内もモダンで雑誌に出てくるようなセンスの良いフラットのソファーに縮こまるようにして座り「こんな生活が有るのね。私とは全く違う世界。ミホは良いところへ引っ越せて本当によかった」と言ってくれたが、私は「自分だけ良い場所に引っ越して」とちょっと罪の意識を感じた。
その後サンディも別の家へ引っ越しをし、中国人の男の子三人に間貸しをして、その三人がローラのことをとても可愛がってくれると喜んでいた。
あれから6年が経ち、私はメルボルンを出てしまい、サンディとの連絡も途切れてしまった。ケアンズの強い日差しの下で回転式の物干し台に洗濯物を干しながら、ふとサンディを思い出すことがある。年下のホストマザーは手作りスコーンを焼いてはくれなかったけれど、ありのままの私を純粋に受け入れてくれた。逆転満塁ホームランの打ち方は教えてくれなかったけれど、肩の力を抜いてバットを振る方法を教えてくれたような気がする。
彼女は今もどこかのベンチに座り、煙草を吸いながらキラキラと光る眼で遠くを見つめているのだろうか。いつの日か、どこかの国で、そこで英語を教えているサンディとバッタリ出会えたら、とっても素敵だと思う。

オーストラリアのどこの家庭でも見られる回転式物干し台。1946年にオーストラリア人Lance Hill によって発明されたオーストラリアのシンボルの一つです。

クルクルと回って360度から日光を受けるので、洗濯物が乾くのが早い!現在日本でも販売されているようです。


























