The Oxford Book of Children’s Storiesシリーズより出題中
入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:ケアンズ便り

ケアンズ便り:その1

豪に入ってはOZ(オージー)に従え

熊谷美保
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メルボルンの中心地スワンストンストリートの交差点に立つ銅像 メルボルンの中心地スワンストンストリートの交差点に立つ銅像。
芸術の街メルボルンにはあちこちに面白い銅像が。

オーストラリアのビクトリア州・州都メルボルンに留学生としてやってきたのは四年前、三十七歳の時のことである。初対面の人にそう言うと「三十七歳で留学?すごい思い切りですね。どうして?日本で何があったんですか?」と、身を乗り出して聞いてくる。サービス精神旺盛な私としては、ドラマティックな答えを期待している相手を失望させては申し訳ないと、「元々は結婚を反対されてた外国人の彼と一緒にオーストラリアに移住するつもりで準備を進めていたんだけれど、彼とは別れることになり、仕事もリストラに合い、人生をリセットするためにオーストラリアにやってきたんです」とうつむいて答えている。「そうですか。人生、色々有りますよね……」質問してきた人は声を落としつつ何度も頷いいる。良かった、ご満足頂けたようだ。

告白させてもらうと、上記の答えの一つ一つの話は嘘ではないが、多少の脚色もあり、三十代後半で留学を決めたのには本当のところ大した理由はなかった。二十代の時には「婚期を逃す」ことを恐れてできなかった憧れの留学。三十代になって逃す「婚期」もなくなり、「じゃ、一年くらい行ってみようか」と、かなり軽い気持ちで来てしまったっていうのが正直なところ。リストラされた日本のメーカーでは技術翻訳をしていたが、英語力には常にコンプレックスがあった。つぎの仕事を始める前に、翻訳と通訳の国家資格を取れるオーストラリアの大学のTAFEコース(職業訓練校)で、一年間集中して英語の勉強しようと考えたのがきっかけだった。

一年で帰国する予定が、NAATI(オーストラリア通訳・翻訳国家資格)の取得者は永住権の申請資格があることがわかり、「貰える物は貰っておこう」と貧乏根性が出て、他の申請資格要件の「関連科目を二年間フルタイムで学習すること」を満たすため、もう一年ITを勉強することにした(IT業界では翻訳・通訳の需要が高いと、関連性をこじつけた)。卒業後は法律事務所で翻訳の仕事をしながら永住権が下りるのを待ち、去年の十一月にSkilled Independent Regional Visaという地方限定の永住権を取得した。

この地方限定の永住権は、政府が指定する地域で二年間生活し一年間フルタイムで働けば、通常の制限無しの永住権が申請できるというもの。オーストラリアの永住権はポイント制で、職業、英語力、年齢等に応じてポイントを加算していくのだが、求められるポイントが年々高くなっており取得が難しくなってきている。そんな中、過疎地の人口増加のために政府が新しく制定したこの地方限定永住権は、必要ポイントが通常の永住権よりも低く設定されているため、永住権取得の可能性を広げるものとして注目されている。

私の場合はクィーンズランド州内のゴールドコースト、ブリスベン以外の地区で暮らすように指定されたビザだったため、三年半暮らしたメルボルンを離れ、今年の三月からクィーンズランド州のケアンズで生活を始めることになった。一年で帰国する予定がもう四年。人生わからないものである。

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ケアンズは世界最大の珊瑚礁群グレートバリアリーフの玄関口。
世界中から多くの観光客が訪れています。

ケアンズはオーストラリアの中では日本から一番近い位置にあり、グレートバリアリーフ等もあることから、日本の方には馴染みの深い場所かもしれない。それに比べるとメルボルンは「メルボルンってどこの国?」と聞かれることがあるほど日本での知名度は低い。

私自身メルボルンを留学先を決めたのは通訳・翻訳をフルタイムで勉強できる学校があったからで、来るまではメルボルンについて全く知らなかった。キャンベラに首都が遷るまではメルボルンがオーストラリアの首都だったということも知らない人が多いだろう。人口約四百万人、日本の名古屋市と比較されることが多いが、碁盤の目の街並みや、大学や古い建物が多いところなど、名古屋よりも京都に似ている気がする。移民の坩堝と言われるほど様々な人種が溢れ、中華街、イタリア人街、ギリシア人街などが独特の雰囲気を作り上げている。

ケアンズ、メルボルン間は飛行機で約四時間。同じオーストラリアといっても、気候はもちろん、人々の気質、ライフスタイル、すべてが違う。メルボルンの人に「ケアンズに引っ越すことになったの」と言うと、「ケアンズ?あんな所、絶対我慢できないと思うよ。暑すぎるから怠け者が多いし、文化ってものがないからね」と脅された。ケアンズの人に「メルボルンから引っ越してきたの」と言うと、「ケアンズに来て大正解。メルボルンみたいな寒い所、耐えられないでしょ。ケアンズは気候も良いけど人も良い。メルボルンの人は冷たいからね」と、こちらも辛らつ。

メルボルンの人が冷たいというのは、メルボルンに来たばかりの頃に私も感じたことだ。カフェでオーダーする時や駅で切符を買うときなど、こちらの発音が悪いと露骨に嫌な顔をする。「メルボルンは人種差別者が多い」本気でそう思っていた。でもメルボルン生まれのオーストラリア人の友人から言われた。「メルボルンの人はメルボルンに住んでいれば外国人でもメルボルン人だと見なすんだよ。だから完璧な英語を話すことを期待する」。そうなのかもしれない。メルボルンでは街で道を聞かれることが多かった。私の周りに「オーストラリア人」に見える西洋人が沢山いるのに、アジア人の私に”Do you live here?”とか”Are you local?”とか言って道を聞いてくる。日本で、東京の街で、地方から出てきた日本人が街行く西洋人に日本語で道を聞くことがあるだろうか?まずないだろう。様々な人種で構成されたメルボルンには、「外国人」という概念がないのかも知れない。

一見冷たく、気難しげに見えるメルボルンの人に比べて、ケアンズの人は陽気でフレンドリーだ。スーパーで買い物をしても、レジで店員さんが色々と話しかけてくる。”So, where are you from?” レジをやってる人自身も「外国人」ということが多かったメルボルンでは、聞かれることがなかった質問だ。日本人だと答えると、「コンニチワ」から始まり、「オゲンキデスカ」「イチ、ニ、サン、シ」「ワタシハ オーストラリアジン デス」と知ってる日本語を並べ立ててくる。後ろに並んで待っているお客さんが気になり、早く切り上げて欲しいと思うのだが、ノンビリしているケアンズの人は全く気にしない。

同じオーストラリアといってもこの違いは面白い。ケアンズでは私はまだまだ「外国人」。永住権を取るために少なくともあと二年間はここで暮らすことになるのだが、二年後にはケアンズ人に少しは近付けるのだろうか。

郷に入っては郷に従え。豪に入ってはOZに従え。メルボルンでは沢山の出会いがあり、驚きがあり、感動があった。誰一人知り合いのいなかった外国の街メルボルンが、今や私の第二の故郷である。これからはここケアンズでどんな出会いや発見があるのか。ケアンズが私の第三の故郷になるのか。楽しみである。