入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:ケアンズ便り

ケアンズ便り:その19

豪に入ってはOZ(オージー)に従え

熊谷美保
[ profile ]

オーストラリア住宅事情 ~40歳、住所不定、無職、独身、おまけに恋人無し(後半)

携帯電話に残された日本人男性からのメッセージに気がついたのは、朝の散歩から帰ってきてのことだった。どうやら仕事の話のようだが、会社名にも名前にも全く聞き覚えが無い。いくつか求人募集のホテルや旅行会社に履歴書を送ってはいたが、日本人が電話をかけてきそうな所は一つもなかったし、殆どの所からは既に「お断り」メールが届いていた。

「私の波が来るのを待とう」と決めた私は、コンディションを整えるためにも一旦日本へ帰省しようと考えていた。前日、インターネットで日本への航空券を探していたところ、偶然「ケアンズで日本語、英語が出来る人、短期間募集」という英語の短い求人広告を見つけ、ケアンズは日本への経由地でもあるし、日本へ帰る道すがらお小遣い稼ぎに短期間働いてもいいな、と応募先に電話をかけたのだが担当者不在で話が出来なかった。この電話はその件だろうか?募集広告には会社名も業種も職種も記されておらず、担当者の名前は日本名ではなかった。一体、何の仕事だったのだろう。

ドキドキしながら残された番号に電話をかけてみると、相手はゴールドコーストにオフィスがあるという日系の大手不動産会社の現地社長Aさんで、やはり昨日私が電話をかけたケアンズの求人広告の件だった。広告に出ていたのはケアンズにある現地の不動産会社で、Aさんの会社はその会社と共同で新しく日本市場開拓業務を行う事になり、現在日本人スタッフを探しているとのこと。就職先はケアンズの現地不動産会社だが、日本人スタッフの採用に関してはAさんが任されていると説明された。完全には事情が呑み込めないまま、Aさんからの質問に答えて自分の経歴や現在の状態を説明し、言われた通り履歴書をメールで送ったところ、またすぐに電話がかかってきた。

「面接にブリスベンまで来て頂くことは出来ますか?」私が居た場所からブリスベンまでは高速バスで約三時間。ちなみに、ゴールドコーストからブリスベン迄は車で一時間だ。「はい、伺います」と即答した私のフットワークの良さに驚いた、と後日Aさんから聞いたが、仕事を探して放浪中の身、必要と有れば飛行機に乗ってでも面接に行っただろう。

ブリスベンでAさんと私と同年代の女性営業担当Mさんに会ったのは、それから二日後の事だ。募集中のポジションは、ケアンズの不動産会社の社長秘書、兼日本人市場開拓業務担当者で、ケアンズで仕事に就く前に、ゴールドコーストのAさんの会社で日本人市場の業務を学ぶための研修を一カ月受けてほしい。研修期間中の給与は出せないが、住居費用はこちらで持つと言われた

求人広告には短期間の募集と出ていたが、これは正社員の仕事で期間は無いとのこと。私のビザではゴールドコーストに住むことは禁じられていたため、ゴールドコーストでの研修について移民局に確認したところ「研修のためであれば問題ない」と言われ、その場でこの仕事を受けることに決めた。

それ迄全く興味も縁も無かった不動産業界での仕事で、しかも移住先候補から真っ先に外したケアンズに住むことになる。思ってもいない展開だった。出来ればサンシャインコーストで仕事を見つけたいと思ってはいたが、これで仕事探しから解放されて落ち着くことが出来ると思うと、仕事の内容も住む場所も正直どうでもよくなった。少なくとも住所不定と無職はこれで返上できる。天にも昇る気持だった。

面接でMさんからメルボルンを出た理由を聞かれ、私のビザの事情を説明したところ、「それじゃ、二年して永住権が取れたらメルボルンへ帰るの?」と聞かれた。戻れるものならその日にでもメルボルンへ戻りたかったが、「今は何とも言えませんが、二年経った時には、メルボルンよりもケアンズに残りたいと思うようになっていたいと思います。そう思えるよう、ケアンズで頑張ります」というようなことを答えたと思う。Mさんからそのコメントが前向きで気に入ったと褒められたが、面接用でも何でもなく私の本心だった。 「新しい場所の与えられた環境で、メルボルン時代よりも幸せにならなくては」その思いだけが、40歳という若くはない年齢で、外国の見知らぬ街で新しい生活を始めなければならない私を支えていた。

ちなみに後からAさんに聞いたところ、求人広告は数行の短い物だったにも関わらず、二十名近い応募が有ったとのこと。その中で私を選んだのは、「40歳という年齢であれば、妊娠したからとすぐに会社を辞めるようなことはないだろう」という理由も有ったらしい。当時は今からでも子供の一人、二人は産んでやる!と思っていたので、この採用理由はちょっとショックではあったが、年を取るのも悪いことではないな、と前向きに受け取ることにした。

面接の数日後、サンシャインコーストからゴールドコーストへと移り、私の新しい生活がスタートする。恥ずかしながら告白すると、私がサンシャインコーストに居たのは、実はわずか一週間だった。それでも、このサンシャインコーストでの一週間は、私にとっては一ヶ月にも一年にも感じられる期間だった。一週間二十四時間、一人で悶々と悩み、考え、人間はしょせん自分一人だということや、でも一人で生きるのは寂しすぎるということや、自分は弱い人間なのだということや、もっと強い人間になりたいということや、とにかく色々なことを考えた。自分という人間を見つめ直したこの一週間は、今思うと私の人生の中でとても貴重な時間で、サンシャインコーストは確かに私の新たな人生の出発地点だった。

世界遺産でもあるグレートバリアリーフ(巨大サンゴ礁群)に囲まれているケアンズの内海には波が無く、サンシャインコーストのようにサーファー達を見かけることもない。

サンシャインコーストで「40歳、住所不定、無職、独身、おまけに恋人無し」だった私はケアンズで44歳になり、定職を持ち、独身ではあるがケアンズで出会った恋人と一緒に自分達の家も買った。ケアンズで得た物も多いが、逆に失くしてしまったものも有るような気がする。それはひたむきさや、チャレンジ精神や、新しいことを始める勇気といったものかもしれない。そろそろこの緩い波から降りて、ビーチを変え、もっと大きな波乗りにチャレンジするべき時なのかもしれない。いつも穏やかなケアンズの海を見ながら、そう考えている今日この頃である。


ヌーサ(Noosa)の運河の周りには高級住宅が立ち並んでいます。家の桟橋から自家用ボートで海へ出る。最高でしょうね。
2010年9月6日号
(第4巻167号)