入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:翻訳の現場から

翻訳者のレシピ ──ある翻訳者ができるまで──

早いもので、わたしが翻訳という仕事を始めたのは、もう10年近くも前のことです。翻訳の勉強を始めたのはその数年前、英語の勉強を始めたのは、さらにその数十年前です。そもそもわたしは、いかにして翻訳者になったのか。これまでに通って来た道のあれやこれやを、自分を料理の「素材」になぞらえて書いてみたいと思います。この世に生まれたわたしという「素材」は、親に「下ごしらえ」されたり、本に「加熱」されたり、社会に「かき混ぜられ」たりして、あるときようやく「翻訳者」という料理になります。とある翻訳者ができあがるまでの一例として、気楽にお読み頂ければ幸いです。

 

第4回 【調味編】

北村京子
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スパイスをたっぷりと振りかけられる

初めて自ら翻訳という作業に取り組んだのは、たしか高校生の頃だった。きっかけは、ヒマだったのでなんとなくやってみたという、それだけのことだったと思う。テキストは家にあった『The Little Prince(星の王子さま)』。訳文のできがどうだったかはまったく覚えていないが、ただ、作業が楽しかったことと、翻訳をすべて終えてから、そういえば、この話の原文は英語じゃなかったなと気づいて、ひどく脱力したことだけは覚えている。

やがて大学生になり社会人になり、その間も翻訳の勉強は断続的に続けていた。翻訳指南の本を読んだり、問題集のようなものをやったり、通信講座を受講したり…。中でもとくに有意義だったと思えるもののひとつが、これは実は翻訳の「勉強」としてやったことではないのだけれど、日本語の類語辞典を作るアルバイトだった。

その辞典は、ある大手の出版社が製作していたもので、基本的な部分はすでにできあがっていた。わたしが手伝ったのは、収録する語彙をさらに増やしていく作業だった。たとえば「食べる」という項目がある。この項目にはすでに「食う」「食らう」「食す」などの単語が入れられているが、わたしがそこへ、さらに多くの「食べる」の類語を付け足していくわけだ。「食事をとる」「口にする」「摂食する」…。この作業が、思いのほか翻訳の訓練になった。たとえば「eat」という単語を訳す際には、それを「食べる」とするのか「食う」とするのか「食事をとる」とするのか、選ばなければならない。そのときに訳者が頭に思い浮かべられる言葉の数は、多ければ多いほどいい。ただ多くの言葉を「知っている」だけでなく、特定の単語や意味に結びつけて、どれだけ多くの言葉を「発想できるか」ということは、翻訳という作業においてかなり重要だ。そういう能力を、この仕事は知らず知らずのうちに養ってくれた。自分にとっての「使える言葉」を、格段に増やしてくれた経験となった。

翻訳の勉強のために有意義だった経験としてはもうひとつ、いくつかの翻訳講座に通ったことも挙げておきたい。そういった講座でうれしかったのは、翻訳の技術を教わったことよりも、プロの翻訳家たちがもつ翻訳に対する熱い思いに、直接触れられたことだった。とくにそう感じさせてくれたのが、昨年、サン・フレア・アカデミーで開講されていた藤岡啓介先生の出版翻訳ゼミだった。藤岡先生の話は、とにかく文学、翻訳、出版に対する情熱に満ちあふれていて、その思いがいつもこちらにも伝染してくる。

少し話がそれるが、まだ学生だった頃、某翻訳学校で、英米文学の訳書を何冊も出している大御所の先生のクラスをとったことがある。教室では、いつも10人以上の“常連さん”が一番前の席に陣取っていた。プリントを配付したり、先生の荷物を運んだりするのも、その常連さんたちだった。しばらくしてからわかったのだが、彼らは実は先生の個人的な“お弟子さん”たちで、先生について翻訳を学びつつ、ときどき下訳などの仕事をもらっているらしいのだ。出版翻訳の世界では、こういう“師弟制度”が珍しくないということも、そのとき初めて知った。「下訳を何十年も、ほとんどお金ももらわずにやっている」とか、「本当はその下訳さえも滅多にもらえない」とか、「自分で翻訳するために発掘した原書を師匠に横取りされたらしい」とか、いろいろな話も耳に入ってくる。そういった個々のエピソードの信憑性はともかくとしても、出版翻訳の世界では、労働に見合った対価がもらえることは少ないということ、また、そう簡単に仕事がもらえるような場所ではないということは事実だろう。たとえ運よく翻訳者として仕事を始めることができても、新たな仕事を開拓し、それを長年続けていくのはやはり至難の業だ。出版翻訳のそうした現状を考えると、やはりときどきくじけそうになってしまうのだ。「このままで将来どうなるのかなぁ」。ぼんやりとそんなことを考えていたときに出会ったのが、藤岡先生のゼミだった。藤岡先生は、常にゼミ生に対して、「翻訳者としてどう仕事をしていけばよいか」ということについて熱心に助言や励ましをくれる。先生の熱意に引っ張られて、わたしも自分の中にある「いい本に出会って、いい翻訳をしたい」という思いを、大いに強くしたのだった。出版翻訳が難しい世界であることには変わりはないけれど、この思いがある限り、ジタバタとあがき続けていこうと思っている。

これまで、たくさんの言葉や人と出会ってきた。そのひとつひとつの言葉、ひとりひとりの人は、翻訳者としてのわたしを豊かにしてくれた大切な「スパイス」だ。翻訳は面白い。よりよい訳はあるけれども、ただひとつの正解というものは存在しない。今のわたしが『星の王子さま』を訳したら、高校生の頃の訳とはまったく違ったものになるだろう。10年後のわたしが訳す星の王子さまもまた、今のわたしの訳とは違ったものになるに違いない。翻訳者としてのわたしは、まだまだ調理されている途中だ。これからも新しい言葉や人に出会うことで、少しずつ変わっていくのだろう。その変化が楽しみだ。だから、今日も明日もあさっても、もっともっとたくさんの「スパイス」に出会いたいと思うのだ。

LE PETIT PRINCE

(づづく)

2009年8月3日号