入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:翻訳の現場から

翻訳者のレシピ ──ある翻訳者ができるまで──

早いもので、わたしが翻訳という仕事を始めたのは、もう10年近くも前のことです。翻訳の勉強を始めたのはその数年前、英語の勉強を始めたのは、さらにその数十年前です。そもそもわたしは、いかにして翻訳者になったのか。これまでに通って来た道のあれやこれやを、自分を料理の「素材」になぞらえて書いてみたいと思います。この世に生まれたわたしという「素材」は、親に「下ごしらえ」されたり、本に「加熱」されたり、社会に「かき混ぜられ」たりして、あるときようやく「翻訳者」という料理になります。とある翻訳者ができあがるまでの一例として、気楽にお読み頂ければ幸いです。

 

第3回 【撹拌編】

北村京子
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社会にかき混ぜられる

いつかはやりたいと思いつつ、実際には翻訳とあまり関係のない仕事をあれこれとやっていた。塾の講師、専門学校の教務、DTPオペレーター…。思えばあの頃は、会社から求められるまま、周りの状況にぐるぐるとかき混ぜられながら、ただ目の前に回ってきた仕事を懸命にこなしていた。それはそれで充実していたし、楽しかった。でもそんなとき、転機となる仕事と出会った。それは、文章を書くことだった。

あるとき、大手の出版社で派遣社員として仕事をすることになった。契約上の仕事内容はビジネス文書の翻訳だったが、仕事量があまりにも少なかったので、翻訳業務という意味では大した経験にもならず、おまけにいつもヒマだった。今日はどうやって時間をつぶそうかと悩む毎日。そんなわたしを拾ってくれたのが、ある雑誌の編集長だった。最初のうちは編集部の雑用を手伝っていたのだが、この編集長というのが本当に奇特な人で、あるとき、雑誌のことなど何も知らないわたしに、記事を書いてみろと言ったのだ。

「見開き2ページあげるから、取材して、記事書いて」。え、マジですか。翻訳ならともかく、何もないところから文章を書くなんて、学生時代の論文以来なんですけどー! とは思ったし、いいものが書ける自信なんてまったくなかったが、こんなチャンスがそうそうあるもんではないこともわかっていた。必死になって取材先をまわった。パソコンに向かって原稿を書きながらも、失敗したらどうしようと、嫌な汗が背中を伝った。締め切りギリギリにようやく「できました」と編集長に原稿を提出して、逃げるように自分の席に戻った。編集長が原稿を読むのを待つ。ひたすら待つ。何時間にも思える数分が過ぎた後、編集長がひとこと言った。「いいじゃん」。どっと力が抜けた。

今、まがりなりにもこうして翻訳者という看板を出していられるのは、あの経験があったおかげだ。いつかは翻訳をやりたいと思っていたから、翻訳の勉強はそれなりにしていた。でも、一から文章を書くための訓練はしていなかった。よく言われることだけれども、いい翻訳をするためには、英語の力以上に、日本語を使いこなす力が必要だ。その日本語力を鍛えるための絶好のチャンスをくれたのが、このときの編集長だった。

実は編集長には、もうひとつ恩がある。その後、派遣契約が切れて編集部を去ることになったわたしに、編集長は小さなデザイン事務所でのアルバイトを紹介してくれた。そして数カ月後、そのデザイン事務所が取引をしていたある出版社から、わたしは生まれて初めて、出版翻訳者としての仕事をもらうことになったのだ。

人生には、無駄なことなど何もないと言われる。わたしもいろいろと回り道をしたけれど、結局はその回り道が、わたしを翻訳という仕事に結びつけてくれた。それだけではない。いろいろな会社で働き、かき混ぜられ、揉まれた経験は、確かにわたしの中で、よりよい文章を書くための土台となって生きている。

わたしが翻訳者になるまでに辿った道のりは、正直行き当たりばったりなところも多いので、決して人にはおすすめできない。でももし今、この文章を読んでいる人の中に、将来翻訳の仕事をしたいと思っていて、だけどなかなかうまくいかなくて、アセっている人がいるとしたら、こう考えてみるのはどうだろう。よい文章を書く上で、無駄な経験などなにもない。だから、ときには周りの状況に身を任せ、ただかき混ぜられてみるのも悪くない。じっくりとかき混ぜられて味わいを増す料理のように、人間だって、社会の中でかき混ぜられることで、大いに深みを増すのだから。

(づづく)

2009年7月6日号