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エッセイ:翻訳の現場から

ハイジだけじゃない、ヨハンナ・シュピリ!

たかおまゆみ
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アルプからの眺め
アルプからの眺め

ところは東京駅1番街、時は9月半ば。ハイジがまたもや現れた。「またもや」というのは、どこかしらで、なにかしらにかこつけて「ハイジ展」が行われるのが日常らしいのだ、この国は。東京駅1番街で行われたイベントの根拠は、現場をのぞいてみると「ハイジ放映35周年記念」ということだった。

しばしばハイジ・イベントが開かれるほどに、日本にはハイジファンが多い。いや、正確にいえば「アルプスの少女ハイジのアニメ・ファン」か。

ズイヨー映像が企画して1974年にフジテレビ系の「アニメ名作劇場」で放映されたハイジ・アニメは、その後地上波、CSで何度も再放送され、ファン層が非常に幅広い。1974年に自分の子どもが小学生で一緒になって夢中で視ていた親たちは、現在、70歳に手が届く世代だろう。一方、ファンサイトを覗き見ると、「うちの5歳の子が釘付けです」というような20歳代、30歳代の若い親たちの書き込みが多い。そして、「わたしも子どもの頃、ハイジ・アニメにぞっこんでした」と異口同音に告白している。

さて、これだけファン層が広く、世代間伝達が行われている状況を見ると、ハイジのどういうところにファンたちが魅了されているのか分析するのは、はなはだ高慢ちきに思えてくる。各世代のハイジ像があるだろうし、同世代のなかにも「あたしのハイジ」「オレのクララ」へのこだわりがあるにちがいない。

そこを敢えていわせてもらえば――、朝焼けに燃えるスイスアルプスへの憧れや、美しくも涼やかに高山植物咲き乱れるアルプ(草原)に自らの魂が翔けだしていきそうな不思議に回帰的な感情を、大人は意識的に、子どもは無意識的に感じているのではないだろうか? そのうえで、ハイジやペーターの素朴な性格に心洗われ、おんじやクララやゼーゼマンさんなど、くっきり描かれた人物像にぐいぐいと心惹かれていくのではないだろうか。

ハイジ・アニメは、原作者であるヨハンナ・シュピリの文章に描かれた世界を実地確認するために、アニメでは初という海外ロケーション・ハンティングを入念に行っているから、スイスで4年余を過ごしたわたしにとっても、情景描写の秀逸さには頷けるものがある。

けれど実際のスイスアルプスは、実際のアルプの爽やかさは、アニメとはどうしたって比べようもない。この世のものとは思えぬ世界なのだ。――標高1800メートル、真っ直ぐに降り注ぐ陽光を受けながらアルプに身を置くと、湖や村々の点在が遙か下方に広がる。吹きそよぐ涼風を受けるほどに躰のスイッチが次々に切り替わっていく。躰の深部がそう感じる。日本の都心では日焼け止めクリームを塗り、日傘にハンドシューという出で立ちのくせに、今や帽子もかぶらず、素顔のままに身を差し出す。背中のリュックを下ろし、そっと瞼を閉じ、両手を広げて立ち尽くすなら、涼風に運ばれてゆく躰が、雪を抱くアルプス稜線の上をふうわりと舞っている……。

スイスアルプスを毎日眺めるロケーションに住んでいないわたしたちが、アルプスの自然に酔い、素朴な人々に文明(ハイテク)に疲れた心を癒され、自然児(ナチュラルチャイルド)が生み出す奇跡に感動するための方法は、ハイジ以外にないのだろうか?

あるある! 本当の本当に! ちょっとだけ鼻を高くして言わせてほしい――「ハイジだけじゃない、ヨハンナ・シュピリ!」、なのだ。

アルプからの眺め
シュピリ本の書影

"Heidis Lehr- und Wanderjahre"(『ハイジの修業時代と遍歴時代』1880年)、"Heidi kann brauchen, was es gelernt hat"(『ハイジは習ったことを使うことができる』1881年)を著して、19世紀後半、いまだ珍しかった女性作家として文壇に知られるようになったヨハンナ・シュピリ(スイス人。1827~1901年)は、ハイジ・アニメの原作となった前記2冊の他に、実のところ47作品を遺している。ハイジファンの溜飲を下げる可能性のある作品が47もあるときた!

もみの木のざわめきや、山羊たちの声が聞こえそうな作品に登場するのは、親無し子や病気の子どもたちだ。幾つもの作品がスイスアルプスと森と湖を舞台にし、やまあい山間にひっそり佇む貧しい村で正直に暮らす人々の生活を描く。そんななかで、子どもたちは夢を叶え、自分よりももっと貧しいお年寄りを助ける。いたずらっ子たちの群像物語や熱血少女先生のお話がそこに加わる。

シュピリは日独の文学界にあって研究がされてこなかった作家のひとりだ。充分な作品群がありながら、作品と作者の「保守性」が戦後フェミニズム文学に切り捨てられ、訓育的な作品の幾つかが「抹香臭い」として退けられた。近縁者によって主観的伝記が何冊か編まれたせいで太陽のような良妻賢母像が固定化したこともいけなかった。しかもシュピリ自身が、自分の死後に自分が評価されるのを嫌い、資料を廃棄する動きを示していた事実がそこに加担した。

しかし1990年代に入り、これまでのシュピリ像を覆す実証研究が出始めている。「シュピリの結婚生活は暗く、鬱病を病み、唯一の息子と夫の死後は羽が生えたように洋々と活動した……」などというものだ。実証的作家研究が進むにつれ、今後、作品群の見直しも進むことだろう。

シュピリの家系には文学人が数人いる。一般的には、詩人で賛美歌をかいた母メタ・ホイザーの文才がヨハンナに受け継がれていると評される。シュピリの筆が生み出す人物像の生き生きした感じを味わうにつけ、そこが今でも文学的価値の高い部分だとわたし自身は確信している。そして物語の展開されているアルプスという舞台への、つまりある種の「山岳文学」とでも呼べそうな部分への憧れは、「だれがなんといっても、シュピリはこれっ!」というマイブームである。

このマイブーム、本マガジンの編集者さんを驚かせた逸話が伴う。

ドイツ語圏欧州(ドイツ語が公用語になっている国は6か国。そのうちドイツ、オーストリア、スイスがドイツ語を母語とする)は、年間有給休暇日数が世界一多い。4~6週間の有給休暇が法律で義務づけられている。当然、完全消化である。彼らは休暇を過ごすために働いているようなものだし、「3週間を山や海で過ごすと、全身の血液が生まれ変わる」と信じている(医学的データもあるそうな)。

では、こういう国で子どもが喘息だった場合どうなるか?

答え:「喘息児の高地療養は健康保険が全額負担。付き添いの親の分も負担」「親の収入が充分でない場合、休暇費用が社会福祉から保証される」のだ。

次男に喘息があり、わたしは上記ふたつを利用して山休暇を格安に過ごした。循環器・呼吸器系疾患に山岳療法という考え方は文学作品であれば、トーマス・マンの『魔の山』(1924年。スイスのダボスにあるサナトリウムを舞台にした長編小説)にハッキリ見て取れる。加えて喘息児の山岳療法の医学的根拠は、「高度1200メートル以上でダニが死滅する」というものだった。真実かどうか今となれば疑わしい気もするのだが、医者は確かにそう言った。

無料で遊びに行けるのだから根拠などどうでもよい。わたしは高地療法を堪能した。日本人が想像するような休暇ではない。滞在型・自炊型で、来る日も来る日もパンと果物を弁当にハイキングし、湖で水遊びした。ベビーカーでさえも行ける山岳ハイキングコースが完備していた。

たしかに次男は山に来ると調子良かった。下界ではコンコン、コンコンやっているくせに、山では穏やかだった。毎夜、彼の咳に悩まされていたわたしにとってまさにミラクル。おまけに、喘息ではなかったわたしの肺も気道もすっかり拡張して(登山リュックに入れたスナック菓子の袋が、ぷうっと膨らむのと同じ理屈?)、息がゆうゆうと吸える感じで極上の開放感に満たされた。

こうなると麻薬だ。山に行きたくて行きたくてしかたない。しかし人間尊厳の上限を目指したスイス社会福祉制度といえど、「年に2週間まで」の制限はある。そうなると、住んでいたアパートメントの裏側にあった森に出向いた。

森の中の坂道を幼児の足で30分ほど行くと、展望が開けた場所があった。一瞬にしてアルプスの山脈パノラマが手の届きそうなほどに広がった。朝には朝の、夕には夕の、夏には夏の、冬には冬の山景色にわたしは心底見惚れた。山脈パノラマのことで心をいっぱいにして歩くわたしの後ろでは、長男と次男がやいのやいの言っている。アルキタクナーイ、ツカレチャッター、オニイチャンガタタイター的なものだが、置いて行かれても自分たちでどうこうできる展望の持てる年齢ではないので、ふたりで犬ころのようにじゃれ合ってしかたなくついてくる。展望台に着いて2分もすれば、ハヤクカエロー・コールが始まる。まったく子どもってのは自然情緒を介さない。本稿のはじめの方でわたしは、子どもが有する無意識の自然憧憬に触れたというのに、あやつらはあの展望台から見た山脈(やまなみ)を果たして記憶に留めているのだろうか?

シュピリがハイジ以外にも多くの作品を遺していることを知ったわたしは、動物的直感でこう動いた。「私ハ日本人女性デス。シュピリ作品ヲ全部読ミタイ思イマス。古クテ構イマセン、シュピリノ本ヲ持ッテイル方、ドーゾ譲ッテクダサイ」としたためて、当時定期講読していた雑誌の読者欄に投稿したのだ。絶版ものならいざしらず、いまだに書店で買えたものは買う方法もあっただろうに、世界一物価の高いチューリッヒに暮らす学生家族としてお金にぴいぴいしていたわたしは一瞬も悩まずに(今では考えられない脳天気!)、「譲ってください」と出た。

それがうまいこと掲載された。雑誌が発売されるやいなや、スイス国内各地から手紙が寄せられた。チューリッヒ市内の方も多かったので、わたしは申し出てくださった方のところに足を運んで本を譲り受けた。何人かは郵便小包で送ってくださった。ドイツから送ってくださった方もあった。「わたしの新訳」としてシュピリ作品を掲載することで、見ず知らずの日本人女性に愛情を注いでくださったあの方々に、ようやく恩返しができるのかもしれない。

第一作目に格好のタイトル:「アルプスの少年モニ」(仮題)をお届けする予定だ。お楽しみに!――といいながら、大好きなシュピリをご紹介できることを一番楽しんでいるのは、きっとわたしなのだ。

アルプスの夕焼け
アルプスの夕焼け(朝焼けが無い・・・)