入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:翻訳の現場から

翻訳者を志して

林千恵子
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これではフランスが嫌いになってしまう

「日本では大きな目が美徳とされているので、美容整形をして、目を大きくするのが流行っているんでしょ?人造人間というフランス語分かるかしら、それなのよ」

いきなりこう聞かれました。パリカトというフランス語を学ぶ教室でのことです。教師はさらに加えました。

「フランス人は元々目が大きいから美容整形する必要がないのよ」

これは許せない、と思ったのですが、そうそう自由にフランス語が話せない。

「フランスにも、たくさんの美容整形医がいますが、それはどうしてですか?」

と切り替えしました。

「フランス人は美容整形なんてしないわよ。それはアフリカから来た人たちが少しでも自分たちを美しく見せるためにするため」

教師はなんのためらいもなくこう答えました。フランス人は異常にプライドが高いとは聞いていましたが——平気で傷つける無神経なことを平気で言える残酷な性格の教師、聞けば事務所の秘書たちにも共通した性格の人がいるとか。教育者がこんな偏見や俗説をもっているのではフランスが嫌いになってしまう。わたしは早々にクラス変更を申し出ました。

フランス語の勉強が始まった

二〇〇五年二月一日。シャルルドゴール空港に、予定より一時間も早く到着。一瞬、早く着いてなんて幸運なんだろうと喜んだのですが、そうです、憧れのパリです、ああしたい、こうしたいと山ほどの期待がありました。一時間でも惜しい、もしかしたら寝る間もない留学になるかもしれない、それがエールフランスのおかげで一時間稼いだではないか。でも、気がつくと閑散とした空港でただ一人取り残されてしまっているではありませんか。このときの喜びと落胆が、わたしの奇妙な留学生活の始まりでした。パリカトでの期待と落胆も、そうしたわたしの単純な「思い込み」にあったようです。

文法、作文、会話、文学のクラスを受講しました。さて、どんな勉強だったのでしょうか。すこしその雰囲気を書いてみます。

「文法の授業」は、全く活気がなく、生徒は発言しないし、静まり返っていました。でも、ここで改めて、文法をしっかりと学ぶことができました。これもわたしの単純な「思い込み」だったのかもしれませんが、日本ではしっかりと文法を教えていないような気がします。生徒の学ぶ力に問題があったのかもしれませんが、パリカトやその後で学んだエトワールでの文法教育は徹底していました。些細なミスでも絶対に許されない。新鮮な驚きでした。

「作文の授業」は、静かな時間の中でのびのびとした良い雰囲気。生徒たちは和気あいあいと授業を受けていました。陽の光が降り注ぐ教室で、わたしには楽しいお気に入りの時間でした。会話の授業になると、フランス人と結婚、同棲、恋愛している女性が多くそれぞれにだいぶ会話のできる人達が集まっていました。

外国からきた人たちは、とくに文学の話になると、わたしなどが知らない歴史や文化、固有名詞、時の有名人を良く知っていました。代表的な文学作品は原書で読んでいる人が多く、ひどく劣等感を刺激されました。面白いことに、なんとなくヨーロッパ系とアジア系に分かれるという現象がおきていて、アメリカ人はアメリカ人だけで、孤立し、グループをつくっていました。そして、そのアメリカ人同士の中でも学閥が存在していたようです。

本音は観光、できればフランス語だったが

留学とは名ばかりで、本音はフランスにある数多くの美術館やお城、そして美しい景色を見て回る観光を楽しみ、パリでゆったりとくつろごうとたくらんでいたのでした。でも、授業が始まり、毎日、加速度的に勉強することに忙しくなりました。宿題と頻繁に行われるテストとプレゼンテーションと授業の予習、復習に追われ、授業の後に、友人達と一緒に、ゆっくりと夕食やお茶をする時間もほとんどありませんでした。

誰もがお互いに、次の日の宿題や自分の抱えている課題が気がかりで、早く家に帰らなければならなかったのです。仕事より厳しい授業、職場の上司より厳しいフランス語の先生、仕事より厳しいフランスの教育システム、仕事より難しくて複雑なフランス語の文法。仕事より厳しいカトリックの戒律のようなもの。

プレゼンテーションではマチスを

こんなこともありました。プレゼンテーションです。自由に課題を選びます。リュクサンブール公園の美術館で開催されているマチスの展覧会に行ったことをテーマにして、マチスの絵と色彩感覚について発表しようと考えました。事前に何度もマチス展に行き、解説の音声ガイドを聞きながら、大好きな絵をじっくりと鑑賞。マチスが晩年の四年間をかけて制作した南仏のヴァンスにあるロザリオ礼拝堂の作品とステンドグラス。ポンピドゥー芸術文化センターに展示されていた作品。いずれも懐かしい温かい感覚が私の心の中によみがえってきました。

マチスの言い残した言葉などを丁寧にノートに書き留め、ブティックでマチスに関するいろいろな種類の本の中から、絵の綺麗なものや、自分のテーマに合致した本を選んでみました。美術館で収集した数多くの情報や資料や本を基に原稿を書き、発表しました——自分としては精一杯のことをやったつもりでしたが、残念ながら評価の方は期待に反しました。

こうして勉強の日々が続いたのですが、日本にいて仕事している方が楽だったと、思ったりしました。一方、これほど仕事のとき以上に毎日頑張ってやっているのだから、それを趣味半分で終わらせてしまうわけにはいかない、と思いました。日本に帰ったら、フランス語を活かして翻訳、通訳の仕事がしたいと思うようになり、その時から勉強に対する姿勢も変わりました。

「このアパートにはどうしてエレベーターがないのですか?」

「このアパートに近代化の波が押し寄せるのは良くないからだよ」

こうした、ちょっとした話のセンスはフランスです。フランス文学には、フランスらしい独特のユーモアや不思議な感覚があり、それをさらに深く感じとれないものか。

勉強の合間に楽しんだ観光、学校の友人たちとの思い出、一緒に何時間も話をした、親切で優しいフランス人の友人たちとの楽しい思い出と、フランス文化への尋常ではない関心が、さらに私の意欲を掻き立てています。自分が楽しんで読むものを文字におこし、結果としてそれが仕事につながればとても幸せだ、と願って。これは贅沢ですね。でも本気で、出版翻訳家になる日を夢見ています。