人生は想定外---私がロシアに行ったわけ(その2)
時は二〇〇〇年を迎え、私は四十七歳になりました。サバティカルで一年間、ニューヨーク市立大学の大学院にある「女性と社会研究所」というところで研修することになりました。海外研修先は大好きなニューヨーク市マンハッタン内の大学関係ならば、どこでも良かったのです。なんでマンハッタンかといえば、私は摩天楼が好きなのです。ただそれだけの理由でした。
ニューヨークでの始めの半年間は、それまでに蓄積した疲労を癒す時間となりました。勉強などできませんでした。公私共に疲れていました。早々と父母を見送り、大学の仕事は多忙で、かつ、ほんとうのところは深い関心もないアメリカ文学研究をし続けてきて、私はヘトヘトでした。空虚さに苦しんでいました。中年の危機でした。「これから、どうやって生きていこうか……自分に嘘をつくのも限界だ……」と、国連近くに借りたアパートの窓から摩天楼を、ぼんやり無気力に眺めるばかりでした。
二〇〇一年になりました。私はシカゴに出かけました。シカゴには面白い高層建築が沢山あるのです。郊外のオーク・パークには、ヘミングウェイの生誕した家があります。フランク・ロイド・ライトの設計した邸宅もたくさんあります。ライトが最初の妻と住んだ、自身が設計した邸宅は博物館として公開されています。
真冬のシカゴを満喫して、ニューヨークに戻る飛行機の中で、私は副島隆彦氏著の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』という文庫本(講談社)を読みました。その中で、アメリカ人が愛読する政治小説としてAyn Randの“The Fountainhead”と“Atlas Shrugged”が紹介されていました。アメリカ文学を専攻したはずなのに、私は、この作家の名前も作品も聞いたことがありません。アパートに帰ってきた私は、早速、この二冊をアマゾンに注文しました。
まず、“The Fountainhead”を読み始めました。読み始めたのは、夜の九時ぐらいでした。ふと気がついたら、窓の外は明るく、時計の針は十一時をさしていました。なんと、私は十四時間もぶっとおしで、この小説を読んでいたのです。
私は仰天しました。英語で書かれた小説を、英語で書かれていることなど意識もせずに、読みふけったことなど、それまでの私は、ついぞ経験したことがありませんでした。加えて、これほど無我夢中に没頭して読んだ小説もありませんでした。何よりも、小説が提示する思想は、私が青春時代から考えてきたことに対する強力で明晰な肯定だったからです。
たとえば、主人公のハワード・ロークの「運命の男」である新聞王のゲイル・ワイナンドは、ヒロインのドミニク・フランコンにこう言います——
「人間が、やっきとなって自分たちを賤め卑下する理由は何なのか、なにがそうさせるのか、考えるのは興味深いものです。自然の前で自分を小さく感じるという考え方についてもね。これはただの決まり文句ではありませんからね。それは、ひとつの制度として実際に機能しています。人がそのことを口にするとき、どれほど自分は正しいと思い込んで言っているか、自信いっぱいに言っているか、気づいたことがありますか、あなたは?
そいつは、こう言っているらしいのですな。私は、ピグミーであることが実に嬉しいと。私はピグミーなのだから、だからこそ美徳にあふれているのだ、と言っているらしいのです。
あなたは、聞いたことがおありになるかな? ナイアガラ瀑布を見るとき、自分は偉大ではない、いかに卑小な存在かと宣言する有名人か何かの言葉を。連中ときたら、どれほど嬉々としてナイアガラ瀑布のことを引き合いに出すことか。まったく、連中のしていることといえば、地震のような野蛮な力を前にして、実に嬉しげに舌を鳴らすようなものですよ。ハリケーンの偉大さにひれふして、四つんばいになり、額を泥にこすりつけるような具合だ。一本マストだけのスループ型帆船で大洋を横断することを可能にする火や蒸気や電気を、航空機やダム……それから超高層ビルを作り出す火や蒸気や電気を支配する精神を、連中は持ち合わせていない。
連中が恐れているのは何なのか? 連中が、かくも憎んでいるものは何なのか? 恐れ入って、はいつくばるのが大好きなあの連中ときたら、まったく。なぜ、彼らは、はいつくばるのか?」(『水源』、p.641)
そうなのです。私は、人間は永遠に歴史の中で馬鹿を繰り返してゆくという考え方を採らないのです。人間存在は進化してゆくものなのだと考えるのです。私は神の存在を信じます。しかし、この世界に責任があるのは、人間です。人間がどこまでやり遂げることができるか、どこまでこの世界を人間はより良いものにできるのか。歴史は、神が人間に課した壮大な(しかし幸福な結末が予定された)試行錯誤の場だと、私は考えています。なのに、文学作品は人間の愚劣さ卑小さばかりを書きたてているように思えました。愚痴ばっかり……暗いよな……
世間に流通する言説も人間の無力ばかりを強調しているようでした。特に、この日本においては。それって、単なる現実逃避、怠惰や無気力の言い訳ではないの?仏教的思考なんか、世捨て人ならぬ「世から捨てられた人」の世迷言じゃないの? 「近代」を、まだ人類は達成してないんじゃないの?特に日本人は、いまだに中世にいるのではないの?ちゃんと真面目に「近代」をやって、変えていこうよ、より良い方向へ。
「これこそが、私が読みたかった小説だ!」と私は狂喜しました。それまでにも、感動させられる作品との出会いはありましたが、全細胞が活性化されるような高揚と希望を私に与えたのは、魂を揺さぶったのは、この小説だけでした。
その日から、私の「アイン・ランド探求」が始まりました。ランドの他の小説やエッセイや伝記や研究書を集め、読みまくりました。インターネットでランドに関する情報をチェックしまくりました。調べれば調べるほど、私は、このユダヤ系ロシア系女性作家に魅了されました。とてつもなく正直で面白い女性なのです、この人。
ところで、私は、アパートから徒歩で、ニューヨーク市立大学の大学院があるビル(以前はデパートだったビルを改装したもの)に通っていたのですが、途中に、なんとなく気になるアパートメント・ハウスがふたつありました。理由は特になく、ただ気になっていたのです。そのふたつの建物に、かつてアイン・ランドが住んでいたと知ったときは、絶句しました。「私とアイン・ランドの出会いは運命」と確信しました。
シカゴ郊外にあるフランク・ロイド・ライト設計の邸宅見物して、ニューヨークに帰る飛行機の中で読んだ本に記述されていた日本では未知の作家の代表作は、ライトをモデルにした天才的建築家を描いたニューヨークを舞台にした青春小説で、かつその作家が住んでいたアパートメントがあったビルの前を、そうとは知らずに、私はいつも歩いていた……この偶然は、どう考えても偶然とは思えないのでした。
まずは、アイン・ランドの遺稿管理機関であるThe Ayn Rand Instituteに、すでに日本の出版社に翻訳の版権を売っているのかどうか、Eメイルで問い合わせました。確かに日本の出版社と契約はしてあるが、出版社の名前は知らない、その件は、ニューヨークのエージェントに訊けという返答が来ました。すぐにエージェントに問い合わせましたが、返事がありません。
私は、思い切って、アイン・ランドという作家を私に知らしめてくれた本の著者で政治経済評論家の副島隆彦氏にEメイルを出して、“The Fountainhead”の翻訳出版のために助力していただけないかと懇願しました。小説の梗概と原書の最初の三十ページほどの翻訳文のファイルも添付しました。
ありがたいことに、副島氏は、面識もない私の意図を汲んで、版権所持出版社を調べてくださり、かつ出版社に問い合わせてくださいました。ランドのもうひとつの代表作“Atlas Shrugged”の翻訳者はすでに決まっていましたが、“The Fountainhead”の翻訳者は未定とのことでした。二〇〇一年六月に、晴れて、私は“The Fountainhead”の翻訳をさせていただくことに決まったのでした。
ニューヨークでの研修が終わり帰国する前に、私は、グランド・セントラルから電車で四十分ぐらいの所にある大霊園を訪ね、アイン・ランドのお墓参りをしました。薔薇の花束を墓前に捧げ、「今度お参りさせてもらうときは、出版された翻訳書といっしょですからね」と、ランドの霊に語りかけました。それが、二〇〇一年八月の終わりのことでした。まもなくすぐに、例の九月十一日のテロ事件が起こり、世界は変わりました。





















