アイン・ランドに正面から衝突することのゴリヤク(その4)
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(その3)において、『指輪物語』を例に出して、「前近代的エトス」が普通の無理のない生き方であること、その生き方が問題なくできるためには、自給自足という状態と「らしさ」の行動規範が遵守されることが条件であることを、私は指摘しました。

社会階層の上位に位置する人間は、その位置に立つ人間にふさわしい義務を果たし、下位に属する人間は、上位の人間が義務を果たしているので、彼らに忠誠をつくす。その忠誠があるから、上位にいる人間は自己の義務を果たすことを使命であり天命であると思い、さらに職務に励む。この相互関係、互恵関係によって秩序が維持される。「前近代的エトス」は、そういう実践の蓄積がなければ、維持もされませんし、強化もされません。
「ヨーロッパ近代のエトス」なるものを生み出したヨーロッパは、それだけヨーロッパ人の「お上(かみ)」がろくでもなく搾取的になってしまい、ヨーロッパ人の「下々(しもじも)」が、「お上」の不道徳性に耐え切れなくなり宗教改革や市民革命が起き、中世の身分社会の平和な停滞が崩壊したなどという見解は、もちろん単純にすぎます。ヨーロッパになぜ近代が世界で始めて起きたかという理由の記述には、分厚い本数冊分ぐらいが必要でしょう。しかし、本文の目的は、「近代」について云々することではありません。
私が指摘したいのは、以下のことです。明治維新や太平洋戦争敗北という大混乱大変革を経過しても、「ヨーロッパ近代のエトス」が輸入されても、「前近代的エトス」が色濃く日本人の心のありように残ってきたということは、そのエトスが残るぐらいには、「お互いの立場においてやるべきことをお互いにやっているし、それで何とかなっているから、これでよしにしておいていいでしょう」的状況が続いてきたからではないか、ということです。
つまり、社会階層の上から下にいたるまで、日本人は、そこそこ道徳を守り秩序を保ってくることができたくらいには、指導層と国民の間にある程度の(暗黙の、無自覚かもしれないにせよ)信頼関係が保たれてきたのではないか、ということです。
私を含めて圧倒的多数の日本人は、個人的な人間関係や金銭や仕事の業績については頭を使っても、政治経済システムは、あらかじめ環境として前提として在るものとして特に意識もしません。ここが、自前の市民革命や、無茶苦茶な政治経済的大混乱を経過していない(幸福な)国に生まれて育った人間の弱いところです。
しかし、それはありがたいことでした。「こういう社会は、かなわん!私という個人としては、かなわん!」と激しく痛く意識せずにすむのですから、日本という国や社会は居心地がいいのです。自分が生まれて育って慣れた国は、多少の問題があろうと、居心地がいいものでありますが、そういう理由以外にも、(日本人自身にはあまり自覚がないのかもしれませんが)日本人であるということは、快適なことなのです。その証拠に、私が知る限り、誰も亡命しません。移民もしません。頭脳流出も少ないようです(今のところ)。
問題は、とうとう日本人も気がついてしまったということです。「お互いの立場においてやるべきことをお互いにやっているし、それで何とかなっているから、これでよしにしておいていいでしょう」的状況に生きていると思い込んで、ぼんやりしていたら、実は状況が変わっていたということに。
私は新聞報道や放送されるニュースを鵜呑みにせずに、インターネットや書籍などでいろいろ調べてから、事実はこんなところだろうかと推測するのが習慣ですが、以下の事項は、まごうことなく事実だと思われます。
| (1) | 日本の財政赤字額は天文学的数字である(財政史研究者の森本亮氏によれば、1816兆円!)。年金は、すでに破綻。日本国家破産は必至。 |
|---|---|
| (2) | 医療費の公的負担に寄生する過剰な医療行為や医療ミスや無駄な検査や薬処方は多いが、救急医療や産科や小児科の医師は深刻に不足。 |
| (3) | 政府を規制するべき憲法が、無効化。 |
| (4) | 政治は世襲制の家業と化し、理念や政策を持つ人間を政治現場から排除。 |
| (5) | 官僚は「公僕意識」が限りなく希薄で、税金公金の浪費乱費に従事。 |
| (6) | 司法は国策捜査や冤罪作りに励み、私人の個人の権利擁護を忘却。 |
| (7) | 警察は、私人の市民監視体制を強化する一方で、犯人検挙率は低く、実質的には犯罪を放置。 |
| (8) | 学級崩壊やいじめ問題や教師の不祥事、採用人事の不正などによって公教育への信頼は失墜。 |
これらの事項は、「お上」の不道徳のせいだけで生じているわけではありません。(1)の場合ですが、多くの日本人が求める「高度福祉社会」は、デンマークのように消費税率が25%、平均所得税率が46%の実質収入の8割以上が税金という重税体制でなければ実現できない。「財源」に寄与する自分の義務や責任は考えずに、政権政党を決めてきたのは「下々(しもじも)」です。
(2)の問題が生じる理由のひとつは、自分の健康を守る責任は自分にあるということを忘れる「下々」の依存性です。(3)世襲の政治家に投票するのも「下々」です。(4)の問題について言えば、「お上」が徴収する税金から掠めとること=利権を求めることにやっきとなる「下々」も共犯です。(5)の問題に関しても、被害者の無用心と油断と無軌道が招いた犯罪は少なくありません。(6)の問題に関しても家庭や地域がすべきことを学校に丸投げする「下々」は多いです。
しかし、この程度の「下々」ですから、あの程度の「お上」なのだ、という自覚は日本人一般においては薄いようです。やたら政治批判はするのに、「政治の無能に翻弄されないために、自分はどうあるべきか」を考えているわけではない状態というのは、「反抗期で文句ばかり親に言っているのに親に依存している子ども」の状態に似ています。政府批判はするのに、その政府に対する対処は考えないというのは、「独立して生きていくなんてできない」という思い込みに呪縛された「子ども」の心理です。「独立して生きていくということは、ひとりぼっちになることでもないし、自分の保身だけ考える人間になることではない」ということが理解できていない「混乱した子ども」の心理です。
この「混乱した子ども」は、(一応は)先進国の近代国家の教育を受けたので、自分のことを「近代人」だと思っています。日本人は、「学校でやったから、知っている」と思い込んでいます。
アイン・ランドに衝突するまで、私自身が、自分は「近代人」だと思い込んでいる「混乱した子ども」でした。アイン・ランドを知って、生まれて初めて「近代啓蒙精神」というものに触れたような気がします。つまり、自分の中の「前近代のエトス」をあらためて自覚しました。同時に、自分の中の「前近代のエトス」の根本にある「貴重な何か」についても、あらためて感じました。次回には、そのことについて書きます。(続く)



























