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エッセイ:翻訳の現場から

アイン・ランドに正面から衝突することのゴリヤク(その1)

藤森かよこ
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「人生は想定外---私がロシアに行ったわけ」はこちら

去年、「人生は想定外---私がロシアに行ったわけ」(1~3)と題した拙文の中で、アイン・ランド(Ayn Rand:1905-82)というユダヤ系ロシア系アメリカ人女性作家&思想家との出会いと、彼女の代表作の小説The Fountainhead(『水源』)を翻訳した経緯を書く機会をいただきました。

今年の7月、私はアイン・ランドの哲学的エッセイ集The Virtue of Selfishness: A New Concept of Egoismの翻訳をすませました。2008年中に出版される予定です。今回は、そのエッセイ集の内容紹介を兼ねて、日本人は、この際、アイン・ランドに、きちんとぶつかるべきだと私が思う理由を書きます。

「アイン・ランドにぶつかるべき」と書いているように、私は、アイン・ランドの著作は、より良いもの、最高のものに到達するためのプロセスにあるものと考えています。アイン・ランドの著作を「聖典」であるなどとは思っていません。ひとりの作家、思想家の著作を聖典扱いして崇め奉るような思考停止は、アイン・ランドがもっとも嫌うところです。ランドの思想を「完結した真理」と思い込む思考停止=宗教化は、アイン・ランドを冒涜することになります。

このエッセイ集は、題名『美徳としての利己主義』(仮題)からすると、「自分の思うとおりに生きなくっちゃ!あなたはあなたの欲望や夢が命じるままに生きていいのよ!」と煽り立てる類の自己啓発本に見えかねません。このエッセイ集は、そういう粗雑な欲望肯定論ではまったくありません。そんな本ならば私は翻訳しません。「多くの日本人に日本語で読んでもらいたい!日本人はこの本を読んだほうがいい!」という確信というか、願いがなければ、翻訳という面倒くさいことなどしません。

まずは、とりあえず、アイン・ランドがThe Virtue of Selfishness: A New Concept of Egoismにおいて、書いていることを、大雑把に紹介させていただきます。

  • 人間にとって一番大切なことは、人間は生命体なのだから当然に、それは自分の生命である。自分が生き延びることができるかどうかが一番大事なことである。自分が生き延びることに利益になるように行動するのが、人間にとっての善である。この意味において、人間は利己的であらねばならない。一般的に世間で言われる利己主義の意味は、「自分勝手に欲望のおもむくままに生きる」ことであるが、それはとんでもない間違いである。利己主義の本来の意味は「自己に利益があるようにする」ことである。「自分勝手に欲望のおもむくままに行動する」ことは自己利益に反するので、真の利己主義ではない。
  • 生き延びるためには、現実に対処しなければならない。現実は現実であって、人間の思い込みや願いや気まぐれで変えることのできない客観物である。人間が森の中でじっと立って水を望んでも水は現れない。人間は、自分の頭脳によって現実を判断し、水を得る手段を考え身体を動かさなければならない(=頭脳労働と肉体労働を投下しなければならない)。現実を判断し、頭脳と身体を適切に使って現実に対処して自分が生き延びるために利益になるものを入手できれば、その思考と行動は合理的であるということであり、それに失敗するのは思考と行動が合理的でなかったということである。思考と行動において合理性がないと、しかも長期的視野に基づいた合理性がないと、人間は生き延びることができない。それが人間の生きる条件である。
  • このような人間が他人と関わるありようは、「交易者」「商人」(trader)どうしのそれである。互いの合理的思考と行動によって獲得した価値あるものを、合意のうえで交換する「交易者」「商人」の関係である。愛情関係や友情関係も、厳密に分析すれば、互いが生み出した価値の合意に基づいた交換である。この意味において、「無償の愛」はありえない。「利他主義」はありえない。ありえない利他主義を推奨する人々は、互恵的交換関係ではなく、他人が生み出した価値と交換されるにふさわしい価値を生産し提供することなしに、他人が生み出した価値を手にしたい搾取者である。たかり屋である。
  • 上記のような人間の条件と人間関係のありようを支持する経済体制は資本主義である。個人間の合意のうえでの交換関係、合理的な自己利益に基づく交換行為に干渉し規制する存在は排されなければならない。したがって、自由放任資本主義が経済体制でなければならない。
  • こうした「商人」どうしの関係を保護する政治体制は、夜警国家である。物理的強制力(暴力)によって他人から価値あるものを奪う人間を制することが政府の機能である。個人の諸権利の中で最も保護されるべきは所有権である。人間の合理的な思考と行動によって獲得した価値あるものに対する所有権が守られないということは、人間そのものが冒涜されることである。それ以外に政府が介入することは害になる。規制したがる官僚を跋扈させるだけであり、税金浪費が多くなる。物理的強制力の抑止機関さえ機能していれば、生き延びるために合理的で長期的視野に基づいた自己利益にのっとって行動することに人々は専心できる。そのような人間で成立する自由な社会は発展し繁栄する。

このように、アイン・ランドは、 「人間が生きるというのは、こういうことである!」と断言し、そこから、「そうやって生きる人間と人間の関係は、こうでなければならない!」と断言し、「そういう個人と個人の関係のありようを土台にした経済体制は、こうであるはずだ」と断言し、「そういう人間社会のありようの邪魔にならない政府の形態はどうあるべきか!」と、ぐいぐいと言い募ります。ひとりの個人の人間の生き方という極私的な観点から論理を積み重ねて、あるべき経済政治体制を提示します。

ランドの書く英文は、成人したロシア移民が学んで習得したものですから、平明でも名文でもないのですが、ランドの思想自体は非常に整理しやすいです。見解が実に単純で明瞭だからです。ああでもないし、こうでもないが、ああでもあるし、こうでもあるといった具合に、難解なことを書き連ねて、決してサイドをとらない類の煮え切らない小心な文章が「知識人の物言い」だと諦めていた私にとって、このようなランドの姿勢は、実に潔く見えます。

ランドの見解に対して賛同するかしないかはさておいて、この種の書き手の姿勢は、一般的に言って、日本人が苦手とするものではないでしょうか。なぜならば、21世紀初頭においても、日本人一般の心性の根本は、実質的には江戸時代から、あまり変わっていない「前近代的エトス」のままだからです。つまり、曖昧模糊として感情も思考も混乱したままで、かつそれに無自覚だからです。それですんだぐらいに、幸福だったということでもありましょうが。

しかし、とうとう「前近代的エトス」のままではいられなくなってきたのが今、現在です。まずは、アイン・ランドを読んで、頭をはっきりさせなければなりません。彼女の見解の是非を判断する前に、まず、ランドに不快に刺激されて、脳を稼動させなければなりません。と、断言する私の考えが妥当であるかどうかは、次回以降に検証させていただきます。 (続く