文章をめぐるエッセイ(30)
文語の「美しさ」

『現代日本詩集』(昭和4年・改造社刊)の「高村光太郎篇」。「雨にうたるるカテドラル」など18編の詩が載っている。
売れなかったといわれる詩集『道程』は、いまでは多くの人に読まれています。1955(昭和30)年、岩波文庫に入った『高村光太郎詩集』は、私がこの間買いなおした2008年版では66刷になっています。「僕の前に道はない」は教科書にも載っていました。
私が秋田県の小さな町の中学校で「僕の前に道はない」を習っている頃、高村光太郎は秋田県と背中合わせの岩手県の山の中で、自らの戦争責任を問う「自己流謫(るたく)」という厳しい生活を送っていました。そして私が大学に入って上京したその4月に、生涯を終えました。
後年、岩手県花巻市に近いその山小屋を見に行ったことがあります。粗末な小さい小屋で、吹雪の日には雪があちこちから吹きこんだことでしょう。「おう又吹きつのるあめかぜ」をたった1人でこの小屋で聞いたことでしょう。
羽目板にぶらさがっている衣類や土間にあるゴム長靴はとても大きなもので、大きな手をしていて、1人で立つこの巨人の風貌姿勢をしのばせました。
高村光太郎は、明治以来の日本の詩にきっぱりと別れを告げようと、かつて
「詩を書くのに文語の中に逃げ込む事を決してしまいと思った。文語そのものから醸成される幽玄性と美文性とは危険である。その誘惑は恐ろしい」
と書きました。これが発表された1925(昭和元)年という時代を考えると、思いきった発言だと思います。
小説の世界では「言文一致」以来、わりと早くに文語体小説は姿を消しました。これは自然主義文学という潮流やリアリズムという手法との関係によるものでしょうが、詩歌の世界では文語体を捨てるのは決して容易なことではありません。『月に吠える』の萩原朔太郎が口語から文語に転身して「郷土望景詩」を書いたのが、この1925年です。
暗鬱なる日かな
天日家並の軒に低くして
林の雑木まばらに伐られたり。(「小出新道」)
あのやわらかい口語の『月に吠える』の詩人が、このような文語詩に変わりました。
短歌や俳句の世界では、現在でも文語体が一般的だし、旧かなづかいにこだわる人も多くいるようです。七五調と文語体は固くむすびついているのでしょう。
文語体には型の決まった美しさがあります。そのインパクトは大きいもので、短い語で決定的なことを言うとき効果的です。「皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ」などその最たるものでしょう。そのために戦時期にはこの種の文章が氾濫しました。光太郎のいう「美文性とは危険である」を証明しています。
でも文学作品においては、そのよい意味での効果が発揮されていて、数多くの題名が現在でも生きています。目下のベストセラーの一つ『終らざる夏』(浅田次郎)、私たちの世代の代表作だった『されどわれらが日々』(柴田翔)、翻訳の世界では聖書から引いたものも多く、『一粒の麦もし死なずば』(ジッド)など忘れがたいものです。聖書は文語文がよかった、という人もいます。「はじめに言葉ありき」というわけですね。
近年、この文語のよさを見直そう、正しく保存しようという運動も起っています。駐クウェート大使などを歴任された愛甲次郎さんという方で、ホームページに「文語の苑」を開設しておられます。
口語文にせよ文語文にせよ、文章そのものに権威や上下はありません。文章表現手段の1つです。双方の美点が生かされ共存することで、日本語文章はより豊かになることでしょう。
(第4巻184号)




























