入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:秋林哲也の文章の話

文章をめぐるエッセイ(26)

秋林哲也
[ profile ]

「語りと文章」

鎌倉で見かけたソ連の作家イリヤ・エレンブルグは、そのあとの滞日中に早稲田大学の大隈講堂で、学生のための講演を行いました。スターリン没後のソ連社会の状況を「雪どけ」として伝えた作家ですから、話題性は充分で、多くの学生がつめかけました。藤岡啓介さんや三木卓さんらもその中にいたのではないでしょうか。

エレンブルグの話の中で今でも覚えているのは「盆栽」について語ったことです。「日本には盆栽というものがある。精巧なミニアチュールで、日本にふさわしい一つの芸術作品というものであろう。が、学生諸君は盆栽のように小さく完成したものにならずに、のびのびと枝葉を広げて大きく育ってほしい」といった内容でした。学生の聴衆に、それらしい教訓をこめたメッセージだったと思います。

もちろん日本語に訳されたものを聞いたのですが、通訳が誰だったかは覚えていません。露文科の教授の誰かだったでしょう。

この前年、1956年には、フルシチョフがスターリン批判を始め、鳩山一郎首相による日ソ国交回復の共同宣言調印がありました。「雪どけ」の恩恵を受けて、エレンブルグの他、生物学のオパーリン博士、ピアニストのエミール・ギレリス、ボリショイ・バレエ団などが来日した1957年。

このボリショイ・バレエ団のプリマ、レペシンスカヤと副団長のシャシキン氏が大隈講堂で講演しました。この時の通訳として壇上に立ったのは米川正夫教授でした。3年前に『ドストエフスキー全集』を完成させたばかりです。当時はドストエフスキーに限らず、トルストイもツルゲーネフもほとんど米川訳でした。

その米川正夫先生が通訳してくれる――期待に胸をふくらませて壇上を見上げたものです。レペシンスカヤはプリマらしく、大きなジエスチュアで表情たっぷりに、ほほえんだりはにかんだりしながら美しい声で語る、一呼吸おいて米川先生が日本語におきかえてゆく、今でいう「同時通訳」ですが、その口から出る日本語はいかにも訥々(とつとつ)としたもので、つかえたり言いよどんだり、というもので「立て板に水」とはほど遠く、がっかりしました。あれだけ膨大なロシア文学を訳している大先生が、どうして――という気持ちでした。

が、今ではその違いについて別に考えられます。文章におきかえるのと、言葉におきかえるのとは異なる作業なのでしょう。米川先生はふだん日本語を喋る時も朴訥な感じで、膨大な翻訳とは別なのだ、ということを後で知りました。

作家の場合にも同じことが見られます。彼が書く文章・文体と、彼の話しぶりが全く違うことがよくあります。

高見順が設立に力を尽くした日本近代文学館は、毎年7月末の1週間、「夏の文学教室」を開催し、1日に3人ずつの作家が講演します。今年でもう47回にもなりますが、私は毎年通って多くの作家が話すのを聴いてきました。

作家の語り、音声や口調と、書いている文章との共通性や差異にはおもしろいものがあります。やっぱり、という人と意外な人とさまざまです。巧みな話術で会場を沸かしても中味がなかったり、ぼそぼそと眠くなるような語りでやっと終っても、文章にしてみるとすばらしい内容だったり……と。

「桜の園」「かもめ」などで、多くの登場人物に語らせたチェーホフは、自分自身ではどんな口調で話したものでしょうか。


2010年7月26日~31日に開催される「第47回夏の文学教室」。
財団法人 日本近代文学館ホームページは、こちら:http://www.bungakukan.or.jp/
2010年7月5日号
(第4巻162号)