文章をめぐるエッセイ(21)
始まりと終り

「坊ちゃん」岩波文庫版、「草枕」新潮文庫版
チェーホフにかぎらず、作家はだれでも小説の始まりと終りには、ことさら気をつかうと思います。もし無雑作に、あるいはさり気なく始まり終っているように見えるとしても、それはいろいろと考えたあげく、無雑作に、またはさり気なく――という形を選んでいるのでしょう。
三島由紀夫は、小説の始まりさえ決まればあとは一気に書き進められる、とどこかに書いていました。三木卓さんは、終りが決まればあとは大丈夫、とも言っています。もしかしたら私の記憶違いで、三島と三木さんの言い分はこの逆だったかもしれません。
漱石の「坊ちゃん」の出だしは有名ですから、誰でも知っていると思いますが、
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしてゐる。
という、無雑作な文章です。そしてまた終りは、
だから清の墓は小日向の養源寺にある。
というあっさりした1行ですが、これは主人公の坊ちゃんその人の口調をそのまま文章にした感じです。単刀直入で、人にお世辞なんか言わない主人公の性格が、文体と重なって見えます。ちなみに、この作品には冒頭からしばらく主語が見当りません。「おれの」とか「おれを」という語はありますが、「おれは」という主語が出てくるのは、文庫版で4ページめからです。考えられた口調だと思います。
漱石でも「草枕」になると、みなさんもご存知のように、
山路を登りながら、かう考へた。
智に働けば角が立つ。情けに棹させば流される。……
という始まりであり、けっして無雑作とは言えない文章ですが、総じて漱石の作品は同時代のそれに比べると、あまり凝った文章で始まっていません。例えば名作「それから」は明治42年(1909年)に書き始められていますが、
誰か慌ただしく門前を駆けて行く足音がした時、代助の頭の中には……
というもので、主人公代助が最初の1行めから登場しています。ちょっと余談になりますが、いま話題の太宰治の「ヴィヨンの妻」の冒頭、
あわただしく、玄関をあける音が聞こえて、私はその音で眼をさましましたが……
が、これにそっくりですね。もっとも太宰治は「それから」が書かれた年、いまからちょうど100年前に生まれています。
100年前のこの年には、田山花袋の「田舎教師」も書かれており、
四里の道は長かった。其間に青縞市の立つ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣根からは八重桜が散り乱れた。
といった、情景描写から始まっていて、「自然主義」文学の代表作の一つとも言われています。
同じく明治42年には永井荷風の「すみだ川」も書かれています。隅田川沿いの下町の情景がたっぷりと描きこまれ、ある年の夏から翌年までの一年間の季節の移り変わりの中に人物を動かしています。
当時の日本の作家には、自然描写・情景描写をとおして作品のポエジーを醸し出す手法が多く、それがロシアのツルゲーネフの自然描写に共鳴したのでしょう。当時の、と言いましたが、この時代に限らず日本文学の自然描写は伝統的なもので、はるか以前からそれは続いていたのです。

「それから」講談社文庫版、「すみだ川」岩波文庫版


























