入門翻訳勝ち抜き道場

エッセイ:秋林哲也の文章の話

文章をめぐるエッセイ(17)

ひとつの「刷り込み」

秋林哲也
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芥川龍之介
「芥川龍之介像(かまくら土偶・照本秀雄作)」

「トロッコ」を押しながら、どんどん芥川の方に行ってしまいましたが、自分の好きな作家、好きな作品、好きな文章――が話のはじまりでした。

中学生のときにはじめて芥川の作品を読み、その内容の鮮烈さと文章の「ブリリアント」なことに圧倒されました。短編だからこそ、という条件があったと思うのですが、中学生が『暗夜行路』や『夜明け前』を読んでも、「羅生門」や「芋粥」から受けたような感動には届かなかったことでしょう。

芥川の作品からは、日本近代文学の特有の問題が見えるし、また一方、他の文学にはない魅力があって、それが断層のような形で露出しているように思われます。私は意識しないままに、その「切通し」から文学の世界に入りこんだのです。そのあとさまざまの文学作品、外国文学も含めて多くの作品に出会いましたが、「切通し」体験はそのまま私の文学への原初体験として、内部に生き続けてきたような気がします。

私が最初に買い求めた文学書、それが新潮社版の『芥川龍之介集』だったのですが(エッセイ15にあり)、同じ頃に創元社からも芥川の作品集が出ていて、そちらの方は4巻か5巻でした。各巻ごとに口絵として作家の肖像写真が1ページついていたので、そちらの方が欲しかったのですが、中学生が大人の本をなん冊も買うことはできません。

けれども、どうしてもその写真が欲しく、創元社の編集部あてに手紙を書いてお願いしたところ、親切な編集者が口絵の校正刷か刷出しを1枚送ってくれたのです。たどたどしい中学生の手紙に同情してくれたのでしょうか。その1枚を新潮社版の巻頭に貼りつけ、59年後の今まで大事にしてきました。それがエッセイ16に載っているあの有名な写真です。

鋭い眼で正面をキッとにらんでいる表情は、いかにも「文学の鬼」といった感じで、それはまた2年後に自殺する作家の眼とも見えました。田舎の小さな町でのん気に遊び暮らしていた中学生は、写真を見るたび、自分はとうてい作家というものにはなれない、と思ったものです。苦悩する文学の鬼――そういえば、芥川の俳号は「我鬼」といいましたね。昭和20年代、太宰治や田中英光の自殺が文学の領域をこえた話題になり、それは「我鬼」といった表情の芥川の写真に結びついていきました。

そのような気分のなかで「鼻」とか「羅生門」などを読んでいたものです。まだあまり文学作品など読んでいない頃ですから、登場人物の心理を鋭利な刃物で切り開いてみせる芥川特有の文章よりも、簡潔な言葉で情景を切り取るワンショットに感嘆したものです。

「鼻」の禅智内供が朝早くに目をさまして見ると

寺内の銀杏や橡(とち)が一晩の中に葉を落としたので、庭は黄金(きん)を敷いたやうに明るい。

とか、「芋粥」の中で、五位が利仁につれられて京から敦賀へ旅してゆく途中、

岸に生えた松の樹の間には、灰色の漣(さざなみ)をよせる湖の水面が、磨くのを忘れた鏡のやうに、さむざむと開けている。

また「羅生門」では、

殊に門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それ(鴉のこと)が胡麻をまいたようにはっきり見えた。

このような描写がしかるべきところに散りばめられている芥川の小説は、その短さのゆえにいっそう精緻な造作物に見えて、文学作品に対するある種の概念を私に刷り込んだのでした。


「禅智内供の像(かまくら土偶・照本秀雄作)」
(つづく)
2009年6月1日号