文章をめぐるエッセイ(11)
文章の「見た目」
本づくり――編集の仕事をしていて気にすることの一つは、ページをパッと開いたときの、その「見た目」の印象です。
白い紙に黒い文字が印刷されて並んでいる。13Q(9ポ)の文字が1ページに40字×17行とか、14Q(10ポ)の文字が35字×15行で並んでいる。小さい字がぎっしりつまっていると読みづらいし、大きめの文字がゆったりと組まれていると読みやすい。大きければ大きいほどいいのか、というと、必ずしもそうとは限りません。読む人の個人的な好みや、老眼とか近視という条件にもよります。
文字が大きく字数が多いとページが増えますし、小さいとページが少なくてすみます。編集ではそれによるコストも考えて、最大公約数的な文字組を設定します。A4判とかB5判とか本のサイズも考えます。「図書設計」という言葉もあります。
各社共通の手近かな文庫判で見てみましょうか。


内容は別にして、改行の多い文章は「読みやすい」という印象を与えるでしょう。
(新潮・光文社文庫)
とうとう100万部を突破したという亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』(光文社文庫)は、38字×16行で、これは原卓也訳の新潮文庫と全く同じです。岩波文庫の藤岡啓介訳『ボズのスケッチ』は39字×15行です。1行の字数が多い分、行間を空けて読みやすくしたのでしょうか。この3冊は、いずれも5、6年内に発行されたものですが、50年以上前に刊行された新潮文庫の漱石『三四郎』、岩波文庫の宮沢賢治『銀河鉄道の夜』は43字18行で、かつての文庫本はこれくらいが標準だったのでしょう。また、岩波文庫の米川正夫訳『カラマーゾフの兄弟』は43字19行で、もう1行多くなっています。
こうした版面に文章は流し込まれるわけですが、もう一つの文章の「見た目」の条件として「改行」ということがあります。1ページ18行、見開き36行に、もし改行が1か所もなければ、ぎっしりつまったページは読む人に心理的な負担を与えるでしょう。資料や文献として、どうしても読まなければならないものは頑張って読むでしょうが、文学作品のような場合は「悪文」ということになりかねません。
このエッセイの別のところでも触れましたが、また『カラマーゾフ』で比べてみますと、この長い物語の冒頭の1ページから5ページまでに、亀山訳では12か所の改行があるのに対して、原卓也訳ではたった2か所しかありません。これはその翻訳のよしあしや正確さとは必ずしも関係のないことだと思います。ただ、「見た目」の印象にはかなり差があると言えるでしょう。
不特定多数の読者が書店でこの2冊を手にとって比べてみるとします。「東大教師が新入生にすすめる本第1位!」という帯を見て、新潮文庫を買う人もいるでしょう。「画期的な新訳、流れる物語……」という光文社古典新訳文庫にひかれる人もいることでしょう。が、400ページ、600ページの厚さの文庫をパラパラとめくってみたとき、字詰めが同じならば、改行の多い方が「読みやすい」という印象を与えることは確かだと思います。
思いきった改行の多さが、ページに余白を作り読者に親近感や安堵感をもたせるとすれば、それは翻訳の目的のひとつに適うということにもなるでしょう。文章の「見た目」は、このような視点から考えることもできます。


























