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エッセイ:秋林哲也の文章の話

文章をめぐるエッセイ(10)

秋林哲也
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「男手文学」の脈絡

私の本棚の中に、中学生の頃から収まっている1冊の本があります。『現代日本詩集・現代日本漢詩集』という本です。これは大正末期から昭和初期にかけて改造社から刊行された『現代日本文学全集』の第36巻にあたります。


『現代日本詩集・現代日本漢詩集』

定価は1冊1円、申込金1円、会費月1円という廉価で売りだされた、いわゆる「円本」のはじまりになるものです。予約募集で30数万人の読者を獲得し、大成功をおさめました。出版のマスプロ・マスセールスのさきがけとなったのです。この成功をまねて出版各社はぞくぞくと文学全集の刊行にのりだし、新潮社『世界文学全集』、春陽堂『明治大正文学全集』、平凡社『現代大衆文学全集』、第一書房『近代劇集』といったものがそろうことになりました。

私の本棚の愛蔵本『現代日本詩集・漢詩集』は、昭和4年4月発行と奥付にあります。昭和4年、1929年というのは、小林多喜二の『蟹工船』が発禁処分になった年であり、ニューヨークの株式市場大暴落で世界恐慌が始まった年として、歴史に残る年でもあります。

それから20年後、その間に15年戦争が始まり終っていますが、海軍予備学生士官だった私の長兄が戦後の古書店で『現代日本詩集・漢詩集』を見つけて買いました。本の見返しに¥200、1949年、於秋田市――というメモが記されています。それを中学生だった私が借りて読み、兄にせがんで自分の本箱(といってもリンゴの木箱でしたが)に収めた、というわけです。

どうしたわけか、私はこの1冊を夢中になって読みました。旧字旧かな、約600ページの本を中学1年生が読めたのは、総ルビだったことと、どこから読んでもいい本だったからだと思います。昭和4年の発行ですから「現代詩集」といっても中原中也も金子光晴も西脇順三郎もまだ入っていません。

『新体詩抄』の詩人たち、外山ヽ山(ちゅざん)や矢田部尚今らから始まっていて、よく引用される「春夏秋冬」も載っています。これは脚韻を踏んで作られた、ということで、

春は物事よろこばし  吹く風とても暖かし
庭の桜や桃のはな  よに美しく見ゆるかな (太字筆者)

という具合です。アメリカに留学して勉強した帝国大学教授たちが、懸命に試みた詩形だったのでしょうが、後世、ドナルド・キーンさんは「ちょっとこっけい」と評しています。

中学生の私には、この本の位置づけがわかりません。目の前にある「現代詩集」に頭をつっこみ、暗記するほど読んで詩人たちの顔写真まで覚えこみました。いまでも顔写真と詩人の名前を間違いなく指摘できると思います。

さて、この『現代日本詩集・現代日本漢詩集』という1冊には、85人の詩人と44人の漢詩人が収録されています。昭和4年という時代には、漢詩の比重は現代とはずいぶん違うものだったことがわかります。

「現代詩集」が外山ヽ山・矢田部尚今から始まっているのと対応して、「現代漢詩集」は副島菅海、伊藤春畝という詩人から始まっています。といっても「ふ~ん」という反応しかないだろうと思いますが、じつはこの2人、副島種臣、伊藤博文に他なりません。

「男手文学」である漢詩文が、こんなところにも脈々と伝わっているのでした。

(つづく)