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エッセイ:秋林哲也の文章の話

文章をめぐるエッセイ(8)

秋林哲也
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「女もしてみむとて、するなり」


土佐日記』(角川ソフィア文庫)
 
源氏物語 上』(小学館)
 
枕草子』(小学館)

前々回の「文章を書く姿勢」ということについて、アルファベットはタイプライターで、漢字は座して毛筆で――などと書きましたが、このことの差違について塩野七生さんも書いていました。

「漢字が美しいのは、絵画や彫刻と同じく、見る人の想像力を刺激するからである。その証拠に、漢字には書道があるのに、アルファベットにはない。」(文藝春秋08年7月号)

日本語の文字は、もともと中国で生まれた「漢」字を流用していたわけですが、そこはやはり日本人らしく、よい発明をしました。漢字の部分を切りとった「片仮名」と、漢字全体をくずして単純化した「平仮名」です。それでもともとの漢字は「真名(まな)」と呼んで尊重し、後から作ったものは「仮名」、仮の姿、という言い方をしました。奈良時代後期に成立した歌集『万葉集』では、漢字を流用した万葉仮名で書かれています。「阿米(あめ)・許己呂(こころ)」といった具合です。「真仮名(まがな)」と呼ぶゆえんです。

そのあとの平安時代にできた『古今和歌集』がありますが、その巻頭には編者の一人、紀貫之が書いた有名な「仮名序」がおかれています。「やまとうたはひとのこゝろをたねとしてよろづのことのはとぞなれりける」というもので、最初の歌論ともいえるものです。

紀貫之は、このあと『土佐日記』を書きました。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」――本来、男であれば漢文で記す日記を、女の身になって女文字(仮名)で書く、というはなれ業をやったのです。土佐守としての任を終えて帰京するまでの55日間の行程を、日記として綴りました。

どうしてこんな変ったことをしたのか?

土佐守という公的な立場で書いた記録文書ではなく、私的な立場から、目に触れ心に感じたことを自由に綴った、とか、全編にちりばめられている和歌との違和感をなくするため、などと解釈されていますが、この仮名書きによる『土佐日記』の文章は、個人の思いを自由に綴るということから、あとに続く仮名文字文学の全盛を用意する先駆的な役割をはたすことになりました。

平仮名文字のことを「女手(おんなで)」とも呼びますが、平安女流文学は女手の上に花咲くことになったわけです。紫式部による『源氏物語』、清少納言の『枕草子』、藤原道綱母の『蜻蛉日記』、藤原孝標女の『更級日記』……高校の国語古典の授業のようですが、この種の名作がいくつも並びます。

今年は『源氏』ができてから千年ということで、「源氏千年紀」などといつにもまして話題になっていますが、これまでにも現代語訳がいくつも出ています。訳者も与謝野晶子、円地文子、瀬戸内寂聴、尾崎左永子と女流が多く目につきます。

千年前に女性によって「女手」で書かれた『源氏物語』が、その後の日本文学のみならず日本文化に与えた影響は大きく、文章そのものもまた、『源氏』から受けているものは大きいと思います。

一方、「男手(おとこで)」と呼ばれる漢字の文学は、けっしてすたれることなく、女手と併行して書かれていました。ケータイ文学のさかんな今日、私たちは、漢文に触れる機会が少なくなりました。が、ついこの間、新聞の1ページ全面を使った広告を目にしました。NHKの番組に『漢詩紀行』というのがあり、その「漢詩紀行100選」のビデオ全集全10巻というもので、少々おどろきました。

(つづく)