7.コモンセンスと常識の違いは?
写真は、我家の近くにあるマクドナルド(McDonald's)である。近年売り上げが落ちてきたが、子ども連れ客向けにジャングルジムのような遊び場のある立派な建物を増設し(写真手前の建物)、顧客を呼び戻そうと必死である。このような郊外店舗の遊び場を"McDonald's Playplace" (indoors) " Playland" (outdoors)と呼ぶ。また、郊外の大きな店には必ずといっていいほど星条旗とマクドナルド旗が掲げられている。
1940年に、カリフォルニアの個人レストランから始まったマクドナルドチェーン店は、120ヶ国に三万千余の店舗を持ち、毎日世界中で約5400万人の客が食しているそうだ。2005年度の収益は、Revenue: US$ 20.460 Billion, Net Income: US$ 2.602 Billion と載っていた。数字に弱い私は、これが日本円でいくらになるか計算する自信がない。因みに、CEOの2005年度収入は、US$ 3,429,800だった。約4億1157万円になる。ふーん!
日本人の友人が嘆いた。
「アメリカ人って常識のない人が多いのよね。この国に住んでいると頭にくることがしょっちゅうあるわ」
「どうしたの? 何があったの?」
と聞くと、
「先日、スーパーに時計の電池を買いにいったの。私の探している電池がちょっと変わっていたし、たくさん種類があってまったくわからないので店員に聞いたの。そしたら、これだと言われて、買って帰って入れてみたけど、時計はうんともすんとも動かないのよ。もちろん電池はケースから出してしまっていたけど、あんまり腹がたったので翌日店に返しに行ったわよ。同じ店員がいたから文句言ったけど、『すみません』の一言もないのよ。常識がないったらありゃしない」
アメリカでは、個人でも会社でも謝れば自分の非を認めることになる。自分ではたいしたことではないと思っていても、相手によってはそれが訴訟問題になったり、莫大な罰金を請求されたりする国なので、たとえ電池一つの間違いにしろ、決して謝ったりしないことは想像できる。
その特例として、1992年ニュー・メキシコ州で起きたマクドナルドのコーヒー訴訟事件は、アメリカ訴訟社会の滑稽さの代表格として有名になった。
79歳のリーベック(Stella Liebeck)婦人がドライブスルー(drive-through)でコーヒーを注文し、膝の間で砂糖とミルクを入れようとした。そのとき、カップが傾きコーヒーがこぼれ火傷を負ってしまった。救急病院で手当てを受けたが、三度の火傷と診断され、皮膚移植を受けた後も、二年間通院しなければならなかった。
彼女は、自分の過失であることは認めた。しかし、コーヒーの温度が摂氏85度と高かったこと、店員から熱さに対する警告がなく、カップに注意書きもなかったこと。またその頃、火傷事件が多発していたことをマクドナルドの非とし、その過失に対し、最初2万ドル(約240万円)を請求した。マクドナルドは、自社の非を認めず、治療代だけを払って済ませようとしたので、婦人はその傲慢な態度に怒った。弁護士を雇い対決することになった。結局、マクドナルドは敗訴し、損害賠償金として270万ドル(約三億)の支払いを命じる評決が下された。最終的には、減額され64万ドルに終結したが、「マクドナルドのミリオンダラー・コーヒー」としてアメリカ訴訟問題の典型的な事件となった。
さて、日本で私は、謝ることが美学だと教えられ育ったように思う。『ごめんなさい。どうもすみません』は口癖になり、心から謝っているわけでもないのに思わず出てくる謝罪の言葉……。そんな国で育った者にとって、自分の方が完全に悪いと分かっていてもそれを認めず、正当性を主張する国民にはなじめないことが多い。
友人との常識の話を夫に言った。
「アメリカ人って、すれ違うときぶつかりそうになる、あるいは人とちょっと肌が触れ合っただけでも “Excuse me!”とか”I’m sorry.” ってすぐ謝るのに、自分が間違っていても、交通事故で自分のほうが悪くても、たとえ人を殺しても謝らない国民なのよね。故意でなくても間違っている、あるいは悪い事をしたら謝罪するって常識だと思うけど、あなたはどう思う? 私、この国では何を謝って何を謝らないほうがいいのか分からない。何が常識で、何が常識でないって子どもたちに教えたらいいの。本当に困ってしまう……」
「さっきから常識、常識って言っているけど、僕には何の事だかさっぱりわからないよ」
「常識って日本語も知らないの?英語で、『コモンセンス』って言うでしょ。日本でも、コモンセンスって、もう誰でも知っている『常識語』よ。常識ないわねぇ」
と言うと、夫は、
「英語のコモンセンスって、そんな意味ではないけどなあ……。常識ねぇ」
と首をかしげる。
「コモンセンスという言葉は、例えば、火のついたストーブの上には手を置かないとか、割れたガラスの上を裸足で歩かない、車が来ているときには道路に飛びださないというような身の危険を察知した判断ができるかどうかに使われると思う。コモン(common)つまり普通の、共通の、センス(sense)感覚、判断力という意味だよ。これって日本人のいう常識と違うような気がするけど……」
私曰く、
「それも常識だけど、もっと危険なことという意味でしょう。誰も好んでそんなことをしないのは当たり前じゃないの。それじゃ、犬の散歩をしているとき、飼い犬がした糞の始末をしていかないのは何?タバコの吸殻や飲物の空き缶をポイ捨てする、そんなことをする人は常識がないってことじゃないの」
「それはコモンセンスとは違うよ。そのようなことはコモン・コーテスィー(courtesy 言動が礼儀正しい)っていうんだよ」
「え? コモン・コーテスィー?」
「お隣のケヴンやリサたちのように、境がわかっているのに我が家の敷地内に木を植えたりするのはどう? 落ち葉をブロアー(強風で落ち葉や庭のごみを集める機械)我家の方に吹き飛ばしてしまうのはどう? 非・常識でしょ」
「それも、コーテスィだなあ」
何だか常識・コモンセンスという言葉の意味が、私が思っていたのとは違う気がする。 誰にでも「危険だ」とわかることをしないというのが、コモンセンス。しかし、このコモンセンスには、「自分で危険な状況を作り出さない」と言う意味も含まれている。例えば、人に向かって、大声でその人の悪口を言う。また銃やナイフを手に持って、誰かの家の呼び鈴を押すと家主はどうするだろう。このように、危険な状況を自分で作りださないという「常識」にも、「コモンセンス」を使う。そして、日常生活の中でおきる問題や、揉めごと、つまり、それが原因で他人が嫌な気分にならないようにする「常識」を、「コモン・コーテスィー」といい、言葉を区別して使う。
しかし、コモン・コーテスィーだと判断されるようなこと。落ち葉や庭のごみをいつも隣の庭に吹き飛ばしてくる隣人に、堪忍袋の緒が切れたご主人が、怒って拳銃で撃ち殺すようなことだってこのアメリカにはありうる。この場合は、何気ない行動が明らかに危険を作り出している。このような状況は、コモン・コーテスィーとコモンセンスが区別できず、入り混じっているのではないだろうか。複雑だ!
日本人が「こんなの常識じゃない?」というのは、コモン・コーテスィーの範疇に入ることが多いようだ。
「それ、エチケットともいうよ」
息子が付け加える。もう日本語になってしまった「コモンセンス」。アメリカで使うときには、気をつけたほうが良いようだ。
夫曰く、
「でも、最近アメリカでは、コモン・コーテスィーっていう言葉、ほとんど聞かなくなったなあ……」
「アメリカ人って、他人が何をしようと気にしない人も多いでしょう。他の人のこともあまり構わないから、人間関係の中で必要な常識って、なくてもよくなってきたんじゃないの」と私。
「あ、わかったぞ。そういった人間関係の揉めごとになるようなことは、法律で決めてしまうのが、現代アメリカの傾向かもしれない。今アメリカは、多人種、多民族、多宗教が益々混在してきている。コモン・コーテスィーの考え方も人それぞれ違っている。基本的に他人が嫌な思いをするようなことは、刑法によって犯罪にせざるを得ないのではだろうか」と夫。
他人が敷地内に無断で入ったら、「宅地侵入罪で罰金何千ドル」、飼い犬の散歩中、犬が糞をしたのを何度も放置したら「犬糞放置罪?で数百ドル」というように、弁護士を雇い訴え犯罪にしてしまう・・・・・・。
「じゃ、この国で、罪とコモン・コーテスィーの境ってどのように判断するの?」
「だから『Common Courtesy』って言葉がなくなってきたっていったじゃないか」
罪と弁護士が栄える国、アメリカか……。



























