24.フォークと箸―どちらが好き?
ワシントン・DCに住む義母から、自分のスターリング・シルバーウェアー(Sterling silverware純銀製のフォークやナイフなど)を私たちに夫婦に譲りたいという話が出た。義母が結婚するとき、母親が特別に注文し持たせてくれたものらしい。しかし、義母は、自分の母親が亡くなってから受け継いだスターリング・シルバーウェアーも持っているので、二つのセットはいらないといのことだった。いつか、夫が出張で彼女の家に行く機会があれば、それを飛行機の手荷物としてポートランドに持ち帰ってほしいとのことだった。
「郵便か、UPSのような宅配便で送ればいいのに、無くなるのを心配しているのね。アメリカでも、そんなことめったにないわよ。」
と言うと、夫は答えた。
「母には母で、そのシルバーウェアー(アメリカでは、フォーク、ナイフ、スプーンなどの総称にも使われる)に特別な思いがあって、絶対に無くしてほしくないと思っているんだよ。それに高価なものらしいよ。僕たちがすぐ欲しいわけでも、要るわけでもないんだから、僕がDCに行ったとき持って帰るよ」
その三ヶ月後、夫は講演の仕事でワシントン・D.C.に出かけた。そして、義母から預かった、フェルトに包まれたシルバーウェアーのセットを持ち帰った。
美しかった。私の想像を超えた美しさがあった。物質主義者ではないつもりの私でさえ、このセットが私たちのものになったと思うと、我家に唯一価値ある財産ができたようで嬉しかった。ピカピカに磨かれた銀色に輝くフォークやナイフ、その取手には細工が施され、義母のイニシャルが「EKH」と飾り文字で入っている。中でもサラダ用フォークは特に美しく、フォーク全体が芸術品のようだ。その価値は、一人分のセット、肉と魚用のフォークとナイフ、サラダとデザートフォークと、スープとティースプーンなどで約六百ドル(約七万円※1)。そのセットが十二人分揃うと七千ドルぐらいするそうである※2。それが家族に代々受け継がれたものであると、価格はあってないようなものだ。小説の中で銀製食器が盗まれる話を読んだことがあるが、義母がどうしても手荷物で持ち帰って欲しいと言った訳がわかったような気がした。
その昔、西洋では、裕福な家族しか持つことができなかった銀製食器やスターリング・シルバーウェアー。シルバーウェアーといっても、一般には、Tin(スズ)、Steel(鉄)、Silver/Copper Plate(銀、銅メッキ)、Sterling Silver(純銀)と種類があり、家庭の経済状態で持ち物が違ったらしい。アメリカの家庭では、この銀製食器やスターリング・シルバーウェアーは、家族の裕福さの象徴でもある。その種類は、大、小の皿、コーヒーや紅茶のポット、ミルクや砂糖入れ、ワインクーラー、果物籠、ナイフ、スプーン、フォークなどがあり、大きさ、形や模様は様々である。女性は結婚するとき、親から自分のイニシャルを入れたセットを作ってもらう人もいる。また、親から子へ、子から孫へと家族代々受け継がれていくものでもある。銀製食器やシルバーウェアーが立派で数や種類が多ければ多いほど、家系の良さや裕福さを表すらしい。お金持ちの家庭の食器棚には、ピカピカに磨かれた銀製食器が飾ってあるところが多い。
しかし、二十世紀半ば、手入れの簡単なステンレスが一般に普及し、ステンレスのナイフ、スプーン、フォークのセットが手ごろな値段で買えるようになると、たとえ銀製、銅製の食器やシルバーウェアーを持っていたとしても、クリスマス、感謝祭や特別なパーティ以外には使わない家庭が多い。使った後の手入れが大変だからだ。スターリング・シルバーウェアー、銀、銅メッキ製品は、使った後、丁寧に洗ったり拭いたりしないと空気に触れた部分が酸化し、変色してくる。これをきれいに保つには、特別なシルバー、あるいはコッパー・ポリシュという液やクリームを使い磨かなければならない。
我が家でも、普段はステンレスのフォークやナイフを使っているが、私は、このステンレス鋼が好きではない。作法や持ち方が面倒だというのではない。ステンレスは、当然だが、口当たりに鉱物感があり食べ物を冷たく感じさせる。フォークで物を食べるとき、何かの拍子にフォークが歯にガチンと当たる。スプーンでスープを飲むとき、またアイスクリームと食べようとすると唇に触る金属的感触があまり好きではない。息子が言う。
「お母さんは出っ歯だからだよ」
出っ歯は事実だが、歯に当たるとせっかくのご馳走もだいなしだ。しかし、同じ鉱物でも、純銀スターリング・シルバー(純度92.5%)と化合鉱物のステンレスでは、やはりスターリング・シルバーウェアーの方が軽く、口触りがよいように思う。
口触りという点では、日本の箸は素晴らしい。竹箸、木箸、塗り箸、どれを取っても口当たりが良い。中国製プラスチックの長くて重くて先が太い箸は、中華料理店に行くとよく出されるが、ツルツルしていて食べ物を掴みにくい。韓国製のステンレス箸も細すぎて持ちにくい。最近は、アメリカのアジア系レストランでも、日本の割り箸を出すところが多くなってきている。割り箸も、すぐ折れる安物や、短すぎて持ち具合の良くないものもあるが、細かいものを掴んだりするのには、フォークよりずっと使いやすい。口に入れた感触は、天然素材の暖かさがある。価格も安い。
しかし、箸は、ステンレスやスターリング・シルバーウェアーに比べれば清潔感は今ひとつである。時々、丁寧に洗ったつもりの箸にご飯粒がついていて、手にグニャッとつくと、
「きれいに洗ったのに……。箸ってどうしてこんなに洗い勝手が悪いんだろう。ディシュウォッシャーに突っ込んで、こびりついたご飯が『さあ、綺麗になりました』っていうような箸ができないかしら。この点ステンレス製品は清潔でいいわ」
と考えてしまう。
そういえば、美術館や博物館でもお箸の展示物は見たことがないように思う。「先祖代々使っている箸です。立派なものですので家宝として譲ります」なんて言われても、色が黄ばんでいるかもしれないし、米粒の洗い方が悪くカビが生えているかもしれない。塗りものなら剥げ落ちていることだってある。木や竹の箸は、長い間使うことによって折れたり腐ったりするかもしれない。家族で譲り受けるものとして考える人は、あまりいなかったのではないだろうか。
さて、このエッセイを書かなければ、私は一生、箸の起源などに興味を持つこともなかったと思うが、毎日使っている箸も調べてみると面白いものである。説はいろいろあるが、箸は、中国で紀元前、煮えたぎった鍋から食べ物を取り出すのに2本の木の枝を使ったのが始まりらしい。その後孔子が、厨房や屠殺場でしか使わなかった刃物を食卓で使うのを嫌ったため、料理は食べやすい大きさに切って出された。そのため、小さいものを上手につかんで食べられる箸が普及していったそうだ。箸は当初2本ではなく、竹を折り曲げたピンセットのような形だったらしい。箸の字に竹冠が使われる所以である。日本では、七世紀初めに聖徳太子が、中国より影響を受け朝廷で箸を使うようになり、その後八世紀に箸食文化は一般家庭に普及していった。
フォークについても、何も考えたことがなかった。高校時代、洋食の作法を知らないと恥をかきますということで、フォークやナイフの使い方、マナーという特別授業を受けたのを思い出す。フランス料理は高級料理、特別な時以外には食べられないというイメージを長い間持っていた。しかし、こちらも調べてみると面白い。ヨーロッパの人々が、ナイフやフォークを使って食べ始めた歴史は比較的浅く、16、7世紀位までは、手で食べていたことを知って驚いた。フォークは、ヨーロッパでは、イタリアの宮廷からフランスに紹介されたのが1500年代、イギリスには1600年代に伝わり使われるようになったそうである。
現代社会で、もし、手で食べることが無作法、野蛮であると考えるならば、中国の影響で箸食文化を早く取り入れた日本を含めた中国の近隣諸国や民族は、フランス人やイギリス人より千年近くも前から洗練された食文化を持っていたことになる。
世界中の寿司、和食ブームは、箸の人気を高めている。アメリカの日本食レストラン、寿司屋、回転寿司店、アジア系レストラン、どこにいっても箸が出され、それを上手に使っているアメリカ人がたくさんいる。しかし、家庭を見れば、私の知り合いのアジア文化に関係のないアメリカ人の台所に、箸はほとんどない。フォークやナイフが日本のどの家庭にでもあるように、箸もアメリカの一般家庭で使われる日が来るかもしれない。NHKの朝のドラマに「ちりとてちん」というのがあった。主人公の父親が塗り箸職人であり、塗り箸作りに人生の有り様をみせているのが面白かった。世界中で塗り箸が使われるようになったら、このような職人さんの人生、きっと輝くだろう。
さて、私は和食だけでなく、スパゲティやカレーもステーキ(切った後)も箸で食べるのが好きだ。アメリカに住んでいても、我が家には竹箸、木箸、塗箸、割り箸、何でも揃っている。料理にも菜箸を使い、暖炉用には日本から金火箸を持ってきて使っている。
ある時、私は子供たちと食事をしていた。秋口、ちょっと弱ったハエが飛んできてテーブルにとまった。ちょうど目の前だったので、私は、思わず持っていた箸でパッと摘んでしまった。子供たちは驚いた。私も驚いた!この宮本武蔵並の技は、フォークで食べていたのならできなかった?
※1:他のエッセイとの関係上、1ドルを約120円と換算しています。
※2:価格は質、デザイン、セットの数などによって異なる。

基本的なディーナーセット。ナイフとフォーク、サラダ用フォーク、デザートスプーン、ティースプーン、この他、魚用ナイフ、バターナイフ、スープ用スプーン、カクテルフォークなどがあるが、料理によって出すセットをきめる。

美しい形のサラダフォーク、デザートスプーン、カクテルフォーク。手前にイニシャルが彫ってある。





























