23.バラク・オバマ大統領と人種偏見
バラク・オバマが大統領に選出された日、どれ程多くの人が感激の涙を流しただろう。私は東海岸の開票が始まる時間(午後8時)西海岸の夕方5時にはテレビの真ん前に陣取り、票の行方を見守った。娘が聞いた。
「お母さん、今日の晩ご飯なに?」
「晩ご飯は後で!その辺にあるものを食べておきなさい」
とにかく、心配でドキドキし、テレビの前から離れられない。私の人生の中で、選挙速報にこれ程一喜一憂したことがあっただろうか。アメリカの市民権(Citizenship)を持たない私には、選挙権もない。それなのに、この数ヶ月間、アメリカ大統領選挙の行方は、私の生活の最大の関心事であった。
午後8時過ぎ、西部地方の選挙開票結果が出始めてしばらくすると、私の見ていたABC(アメリカ3大テレビ局ABC、NBC、CBSの一つ)の司会者、チャーリー・ギブソン(Charlie Gibson)が興奮気味に、
「今、アメリカ大統領が決まりました。バラク・オバマが次期大統領に決まりました!」
と伝えた。私は、テレビに映っている「Electoral vote-選挙人数」の数字がオバマ207、マッケイン130ぐらいだったので、必要選挙人獲得半数の270には、まだ届いていないではないかと半信半疑だった。しかし、ニューヨーク、マンハッタンのABC放送局のそばにいた群衆から歓声があがり、メディアを通じてこの結果が放映されると、アメリカ中の喜びと興奮に沸く人々の姿がテレビを通じて伝わってきた。これは、西海岸の州では民主党が強く、開票後すぐにオバマの圧勝が分かったためであった。間違いはないのだと確信し、
「ああ、勝った……」
と安堵した。しかし、しばらくはその興奮で動けない。選挙結果が続々とテロップで流れ、選挙専門家の話が続く中、私はテレビの前に座り続けている。テレビにはオバマの自身の演説を待つ人々が画面に写しだされていた。その夜我が家には、選挙にそれほど関心のない娘だけがいて、夫は大学で夜の授業を教えていた。私は、テレビに映る人たちを見ながら喜んだ。オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey-テレビトークショーの黒人司会者。アメリカの女性で一番の金持ちであり、早くからオバマの選挙支援をしていた)が、イリノイ州シカゴの大統領演説会場でインタビューを受けていた。感激と喜びで興奮冷めやらぬ面持ちであった。歓喜に飛び上がる人、抱き合って喜びを分かち合う人、呆然と立ちつくす人、アメリカ中から喜ぶ人々の姿が報じられた。
いよいよオバマ新大統領が登場した。私は驚いた。彼の顔からは喜びの興奮は感じ取れなかった。硬く結んだ口、集まった民衆を見渡す表情は、喜びよりもこれから担う責任の重さを噛み締めているかのようだった。ミッシェル・オバマ婦人が子供たちと続いて現れ、夫のそばに寄り添った。オバマの顔が初めて和らいだ。長い選挙戦を共に戦い抜いてきた最良の同志との人生最高の時。演説は、いつものように、落ち着き自信に満ちた歴史に残る名演説であった。
聞いている人々の目から涙があふれている。オプラもジェシー・ジャクソン(Jesse Jackson-初の黒人大統領候補者)も泣いている。テレビに映った多くの人たちの頬を涙が伝っている。私の目にも涙が溢れてきた。私の知る大統領選挙で、これ程たくさんの人が、人種を問わず、黒人も白人もヒスパニックもアジア人も、老いも若きも、年齢、性別に関係なく感涙したのは見たことがない。
又、ジョン・マッケインの敗北演説(Concession Speech)も素晴らしく、多くの人々を感動させた。マッケインを支援してきた人々も泣いている。彼は、大統領選の敗北を素直に認め、それが誰のせいでもなく自分の力の足りなさによるものだと言い切った。その潔さに紳士マッケインを見た。選挙期間中、彼は勝つための演説を続けざるを得なかった。たとえそれが彼の本心でなくとも、ある面、オバマを批判し罵倒し自分に票を集める策のみに奔走しなければならなかった。選挙後、彼は、とても穏やかにオバマを称え、これからオバマと協力し、アメリカの再生に尽力することを誓った。マッケインの演説に感動した夫と私は、これが「本来のマッケインだ!」と、録画したマッケインの演説を2度も聴いた。
さて、では、なぜオバマ大統領誕生は、人々を感動させたのだろうか。
アメリカの大統領選挙は、民主党(Democrats)や黒人票だけでは州のElectoral vote(選挙人)半数を勝ち得ることはできない。この選挙では、共和党から流れた白人、民主党にも共和党にも属さない中間層(Independents)の白人たち、特に白人労働者たちのオバマへの投票が勝敗を決めたといわれている。アメリカの投票人口人種比率は、白人が約7割を占める。白人の中には、他の人種や宗教と交わることもなく、白人社会の中で一生を終える人も少なくない。ある白人労働者が、黒人大統領候補者についての意見を聞かれ、
「私は、白人社会の中で生まれ育ち、今まで黒人と話をしたことはほとんどありません。私の家族はずっと共和党を支持してきました。自分の国の大統領が黒人だなんて考えられないし、受け入れられません」
と答えた。アメリカにはこのような考えの人たちが、まだ数多くいるのだと考えさせられた。
しかし、共和党ブッシュ政権が、2期8年間に残した傷痕はあまりに大きく深い。大統領と国政の誤った舵取りによって、国は傾き、その皺寄せは、中流以下の労働者階級家庭に重くのしかかってきた。彼らは、自分たち生活そのものが脅かされ始めると、今この国にどのような指導者が必要かを真剣に考えた。オバマの真摯な、実直な人柄と「Change-改革」を唱えた政治理念に、次第に心動かされていったのではないだろうか。オバマ新政権が、アメリカが今抱えている多くの深刻な問題を解決してくれるかもしれないという希望……。
オバマ大統領誕生についてたずねられたある黒人女性が、インタビューに答えた。
「オバマが大統領選挙に勝って、これほど嬉しいことはありません。私は、オバマに投票してくれた白人が、そして皆が、オバマを肌の色ではなく、彼の人間としての内面を判断し、受け入れ、彼に一票を投じてくれたと思います。人種偏見を考えると、オバマの勝利は大きな意義があると思うのです」
多くの黒人は、自分たちが、内面ではなく、人間としてまず「肌の色で」判断されていると信じているのかもしれない。
さて、黒人であるオバマが次期大統領になることを、一年前に、誰が予測できただろうか。いえ、民主党大会が開かれた8月末でさえ、オバマ大統領を確信している人は少なかったのではないだろうか。
2007年11月、夫と私は、新聞記者の友人を介して、日本に住むアメリカ人で、オバマ候補の強力な支援者に会った。彼は日本とアメリカを行き来しながら、この一年をオバマ大統領の現実化に向けて奔走中だった。夫はともかく、私は彼の話を上の空で聞いていた。「黒人が大統領?」「女性でさえ難しいのに……」、やはり残念ながら、今度も共和党候補者が大統領になるのではないかと、何の根拠もなく落胆していた。「なぜ民主党に立派な白人男性の大統領候補が出てこないのか。John Edwards※1では頼りないし、絶対に勝てない。黒人か女性しかいないのだろうか」私は、決して人種偏見や女性差別だけを意識していてこのように思っていたわけではない。アメリカ大統領という激戦を勝ち抜くための人材を考えたとき、この国の国民意識が、女性か黒人を大統領に選出するほどに開放されていないと思っていたからである。
さて、このコラムの第4回「黒人女性の気持ち」の中で、私は、『初めて自分が黒人に偏見をもっていることを認識した』と書いた。日本に生まれ育った私が、アメリカという人種のるつぼに住み始めたとき、人種偏見という言葉はありありと私の頭の中に芽生えた。黒人の居住街近くで、黒人の車に追いかけられたとき、私は黒人が恐ろしいと思った。麻薬に犯されたよろよろの黒人男性がバスに乗ってきたとき、黒人は堕落していると思った。黒人の大きなバスケットボールやフットボール選手を近くで見ると、あまりの大きさに自分と同じ人間だろうかと思った。もちろん、アメリカに長く住むことによって、そのような偏見が薄れていったのも確かである。
私は、選挙戦当初、オバマを黒人大統領候補だと考え、それほど興味を持たず客観視していた。しかし、オバマが、民主党予備選を含めた大統領候補者としてテレビに頻繁に出演し、演説を聴き人柄を知るようになってくると、肌の色を考えることは少なくなった。どうしてだろう。まず私には、オバマの英語がとても分かりやすかった。黒人特有の訛りもない。政治も経済も外交政策も、問題点と解決策が明瞭で信頼できた。彼は、自分の知らないことを知っているふりする、ごまかすというようなことがなく、「そのことは分からない」と正直に答えた。その実直さに、政治家特有の傲慢さを全く感じなかった。公約についても、必ずできるとは断言しなかったが、「道は厳しいが、自分のできる限りの努力をしていく」と言った。彼の一言一言に、私は幾度も頷いた。彼なら、今アメリカが陥っている最悪の状態を変革してくれるのではないか。彼なら、アメリカが抱えている幾多の難題を少しずつでも改良してくれるのではないかという希望を持たせてくれた。彼の話、演説は、人の心に響くものがあり、その説得力は心を動かし、笑顔は人々の心を温かくした。私は思う。その人の内面の大切なものが見えたとき、言葉が心に響くとき、人は肌の色や顔かたちに関係なく、その人に惹きつけられていくものではないだろうかと。
しかし、オバマはアメリカで区別される人種というカテゴリー※2に分けるとやはり黒人である。息子は言う。
「お母さん、オバマには、半分、完全な白人の血が混じっているんだよ。それから、忘れてならないことは、外見、つまり肌の色は黒人だけれど、中身は白人だということ」
「それって、どういう意味?オバマがオレオ・クッキー※3だってこと?」
「そうではなく、オバマは、父親が黒人だったけれど、実際には黒人の家庭では育っていないんだよ。完全な白人家庭で、白人の言葉で、白人の価値観を持った家族に育てられたということだよ」
オバマは、1961年、カンザス州出身の白人の母親とアフリカ、ケニア出身の黒人の間にハワイで生まれた。しかし、両親はオバマが2歳のとき別居、父親は1965年にケニアに帰国した。その後、母親はインドネシア人と再婚し、オバマは、1967年から1971年までインドネシアに住んだ。1972年、母親が、夫と別居しハワイに戻った後、1977年まで母親と母親の両親に育てられている。母親がその後インドネシアに戻ったので、オバマはハワイで祖父母に育てられた。オバマは、その間、父親と一度だけ会ったと言われている。つまりオバマは、インドネシアでの数年間を除き、白人の家族によって白人の価値観で育てられたということになるだろう。
現代アメリカ黒人の多くは、1617年のジェームズタウンに始まった黒人輸入を皮切りにした、アフリカから誘拐され奴隷となった人々を祖先としている。17世紀から19世紀にかけて、アフリカの母国から連れ去られ新大陸にもたらされた黒人の数は、1500万人と推定され、一人の黒人を生きながらえて新大陸まで連れて行くのに、5人の黒人が途中で死んだと言われている。恐ろしい数のアフリカ人狩りが行われてきたことがわかる。そして、当時のアフリカには、この残忍無慈悲な人間の非道を阻止する手段も人々を救う国家もなかった……。
その後、アメリカでの奴隷解放南北戦争、黒人解放運動、公民権獲得までの歴史を振り返ってみても、その悲惨さは想像を超えるものであった。今「アフリカン・アメリカン」と呼ばれる黒人が、アメリカ国民としての政治上、経済上、社会上の諸権利を平等に得ることができるようになるまでには、計り知れないほどの屈辱と白人への怨恨があったに違いない。ケネディ大統領(John F, Kennedy-民主党)の暗殺後、次期大統領になったのは、副大統領であったリンドン・ジョンソン(Lyndon Johnson-民主党)である。彼は、当時南部地方一帯と東海岸の一部に法律で定められていた「黒人差別」、つまり黒人に市民としての諸権利を与えてはならないという法案を破棄した。そして、彼が、アメリカの全黒人に、市民としての権利を与えるという法案に署名し公民権法を成立させたのが1964年である※4。
アメリカ黒人有史以来、ほんの半世紀ほど前まで、白人は黒人にとって恐ろしい人間であった。多くの黒人は、白人による誘拐、暴力、殺害などを恐れ、ひっそりと身を寄せて暮らしていたといわれる。19世紀後半、南北戦争後も、白人至上主義集団が数多く生まれ、黒人を迫害し続けた。
オバマは、アメリカの黒人の多くが持っているだろう、祖先が奴隷であったという家系、そして、その意識は持たずに育つことができたと思う。又インドネシアというアジア人の中での教育も受け、ハワイという人種が混在する中で思春期を過ごしている。決して白人優越社会の中の黒人として育ったのではない。又、母親がケニア人、インドネシア人の二人と結婚したことから見ても、人種に偏見のない母親の元、育てられたのではないだろうか。只、母親や祖父母と自分の肌色の違いは、オバマに幼いころから人種について深く考える機会を与えたのではないだろうか。自分はどのような人種か……。
オバマは、ある時期から、自分を黒人という人種カテゴリーに入れ始める。
父親が他界した後、自分の黒人ルーツであるケニアの父親の家族を訪れる。後には、ハーバード・ロー・スクールで得たエリート弁護士の地位を捨て、シカゴの貧困地域でコミュニティ・オーガナイザーとして働き始める。そして、究極は、黒人女性ミッシェル・ロビンソン(Michelle Robinson)との結婚である。黒人の妻との間に二人の娘を持つ黒人家族を、自らのアイデンティティとして築いた。
歴代アメリカ大統領は、白人男性、それもいわゆるWASP(White, Anglo-Saxon, Protestant)が、ケネディ大統領(White, Irish, Catholic)を除いて選ばれてきた。黒人大統領の誕生は、アメリカで生まれた多くの有色人種たちに、「自分たちも大統領になることができる」という希望を与えた。しかし、オバマが大統領になったことで、黒人社会がよくなり、今後も黒人大統領が後続するという保障はどこにもない。バラク・オバマもミッシェルも、アメリカ社会の中で、自分たちの肌色に屈することなく、人種偏見、差別を受けながらも自分の高い目標を掲げ、そこに到達した人の成功物語であることを認めなければならない。
オバマが、大統領選勝利演説(Presidential Victory Speech)で引き合いに出した106歳の黒人女性Ann Nixon Cooperさんは、黒人の歴史の変遷を見てきた生き証人である。奴隷制度の一世代後、白人が黒人を人間と思っていない時代に生まれた。黒人の子供(大人も)は白人が恐ろしく、「黒人の集団から外に出ることは、子鼠が猫社会に飛び出すようなものだ」と思われていた時代から、黒人が大統領になることができる現実を目の当たりに見ることができた。今後も人々の人種意識は、変わっていくだろう。これからの100年では、どのように変化していくのだろうか。オバマ大統領選出は、その一つの歴史的通過点にしか過ぎない。
オバマはホワイトハウスに住むにあたり、二人の娘と約束したことがある。犬を飼うことだった。どの種類の犬(犬種?)を選ぶかが、選挙後の大きな話題となっている。オバマは言った。
「雑種(mutt)がいいな、僕のような……」
このような人柄が、多くの人を魅了するのだろう。
※1 John Edwardsは、2004年にも大統領選挙に立候補したが志しならず、今回も民主党予備選で、ヒラリー・クリントンとオバマに破れ、早々に撤退した。予備選挙中に婦人が乳癌であることが分かり、選挙戦を戦い抜く片腕を失ってしまった。その後、闘病中の妻の陰で浮気し、子供までできていたことが発覚し、政治生命そのものを絶たれてしまった。
※2 人口調査、学校関係、大学受験などのために自分がどの人種に属するかを自己申告するシステム。白人、黒人、ヒスパニック、アジアなどがある。黒人は、外見は完全な白人でも、例えば64分の1、つまり自分の祖先の64人のうち一人でも黒人の血が混じていれば、黒人と区分されるらしい。しかし、あくまで自己申告であり、家系図でもなければ分かりにくい。
※3 白人の価値観を尊重し、白人のように振舞う黒人をたとえて言うアメリカのスラング。外側が黒く、白いクリームを挟んだクッキー。第18回「ブロンド・ジョーク、ヒューストンに行くの」参照。
※4 アメリカの地域における共和党と民主党の変遷は面白い。南部地方は、この1964年以前、ほとんどの州が民主党であった。ジョンソン大統領が公民権法を成立させたことにより、その後すべての州は、共和党寄りになった。下記の記事は、それに関連したコメントの一つである
Why Do Democrats Lose the South? By James Taranto (The Wall Street Journal, March 8th,2004) “Upon signing the Civil Rights Act of 1964, Lyndon Johnson is said to have told aide Bill Moyers, ‘I think we have just delivered the South to the Republican Party for a long time to come.’“






























