21.変な隣人
夏が終わりに近づくと毎年思い出すことがある。数年前のことである。一ヶ月の日本滞在から帰ってきた。日本の蒸し暑さに比べ、ここアメリカの北西地方の夏は、澄み切った青空と乾燥した美しい気候が続くのが特徴だ。しかし、夏の間長期に家を空けると、帰ってからが悲惨である。庭には草が生え、畑の野菜も旬を過ぎ、花々も枯れる。園芸が趣味の私が、家に帰って第一にすることは、この庭を元の状態に戻すことだ。
さて、家で一休みしたあと庭に出てみた。
「草もあまり生えてないし、今年は上々じゃない」
ぐるりと見渡すと、前庭の様子がちょっと違う。隣との境がおかしいのである。我が家の庭に今までなかった木が三、四本ある。よく見ると、庭石もあるし、低木も五、六本植えてある。スプリンクラ―(自動水撒き機)のヘッドもこちらを向いている。
「なにーこれは……。誰だろうこんなことするの……」
私は、夫を外へ呼びだし、
「これ見てちょうだい。あなた、いつ、誰にこんな庭造りしてくれって頼んだの?」
夫も不思議そうな顔をして、
「僕は、何にも知らないよ。僕だって一緒に日本に行っていたのだから、こんなこと頼むわけがないじゃないか。変だねー」
と言い、また家の中に入っていった。
隣を見ると、美しく庭造りがしてある。隣に住むケヴンとリサは一年半ほど前に引っ越してきた夫婦である。
「ふーん。隣だな……。でも、なぜ私たちがいない間に許可も得ず、敷地に入りこんで庭造りをするのだろう!」
怒りで頭に血がのぼった私は、そこで芝刈りをしていたメキシコ人の男性に食ってかかった。
「あなたの会社がこれをしたの?」
庭を指さして聞いた。彼は、関わりたくないといったようすで頷きながら、裏庭にいたマネージャーを呼びにいった。やってきた白人の男性は、マイクと名乗り挨拶をした。私は、カッカとする気持ちを抑えながら、
「こんにちは。ちょっとお聞きしますけれど、うちの庭に入って勝手にいろいろと植えたの、お宅の会社?」
「そうです」
「私たちがいない間に、許可も得ず、どうしてこんなことができると思うの」
と、もう冷静さは失われ怒り顔になって責めている。
「うちの会社がしたのは確かだけれど、ケヴンが、あなたたちは良い人だから、何をしても大丈夫だと言ったんだ」
と応えた。舐められたものである。
「一体、それはどういう意味なの。冗談じゃないわよ。他人の敷地内に無断で入って勝手なことをするなんて……」
そう言いかけると、マイクは落ち着いた声で、
「私は、ケヴンに言われたとおりにしただけだ」
と言って、その場を去った。彼が言ったことは道理である。しかし後に残された私は、怒りが収まらない。
翌日夫と私は、ケヴンに「どうして我家の庭までこんなことするのか」と聞くと、
「うちから見える、お宅の外壁についているガスメーターが醜いから見たくないないのでね。それから、そのバスケットフープ、目障りだから庭の向こう側に動かしてくれないか」
平然と宣うた。それまで優しそうなよい人だと思っていたケヴンの印象は、ガタガタと崩れ落ちた。
ガスメーターは、どこのうちの外壁にも決まった場所に付いている。勝手に動かすことなど恐ろしくてできないし、法律で禁じられている。バスケットフープだって我が家の敷地内に置いてある。見かけが悪かろうが、目障りだろうが他人からとやかく言われる筋合いはない。置く場所がそこしかないので置いてあるんだ。
因みにケヴンは、大きな病院の癌専門の医師である。”Oncologist” と呼ばれるこの職業は、社会的地位も名誉も収入もある。人の命を助ける職業の医者が、気に入らないからと他人の家の庭を勝手に変える、あるいは醜いものを見たくないと公言するその神経が信じられない。私は夫に言った。
「私、思うんだけど、ケヴンの患者ってきっと美人やハンサムばっかしよね。だって醜いと診察も治療もしたくないかもしれじゃない? 醜いの見たくないって言い張る人なんだから」
夫に言うと、夫は苦笑しながら、
「まあ、寿美の怒りはわかるけれど、落ち着いて。考えてごらん。隣人が我家に立派な木を植えて庭造りをしてくれたと思えば、そんなに大仰に考えることではないよ」
と言った。私は、この言葉にまた怒りが沸騰した。
「私は、たとえどんなに価値ある美しい木だろうと、ケヴンとリサが植えたものなど我家の庭にはいらない!自分の家の庭の木は、安かろうと価値がなかろうと自分で選ぶわよ!」
さて、それから三日ほど、私はケヴンやリサに会うたびに、「我家の敷地内に植えた木々や石を動かしてくれ」と頼んだ。しかし、何の音沙汰もなく埒があかなかった。私は、
「どうにかしてよ! あなたの国の人間じゃない」
と、理にかなわぬ理屈をつけて夫を責める。
このことは、夜、布団に入っても私の頭から離れず、熟睡できない日が続いた。何の問題もないかのように寝ている夫を見ると、益々頭に血が上って眠れない。私は、夜中に悶々と解決策を練った。
「訴状だ!」
やはり手紙を書く以外には手立てがないと確信した。この国では、口頭では証拠が残らず不利だということを、私なりに経験を通して知っていた。弁論と言い訳の訓練を小さいときから受けてきた人たちだ。無口が美徳の社会からきた英語言語障害者の私が、口頭で彼らに勝つわけがない。私が、
「Well…」
と、もごもご話を始めようとする間になんだかんだと言い負かされてしまう。英語ですぐには反論できない。しかし、文章にするのなら別だ。じっくり考え、筋を通してきちんと文句も言える。私は思いあたることを全て箇条書きにし、夫に説得力のある手紙に書き直してもらった。
「家人の留守中に無断で敷地内に業者を入れ、許可なく庭を造りかえた旨。木が何本、低木が何本、庭石が何個等など、全てを明確に記した。これらを我が家の敷地内からすぐ撤去すること。これを一週間以内にしない場合、放棄されたものとみなし、こちらで処分することに同意したものとする。その他にも境近くに植えた木が大きくなった場合の対処の仕方、また境界線ぎりぎりまで造ってある池の水が漏れ、我家の敷地内に流れ込んだ場合など」細かく書いた。
余りにも頭にきていた私は、最後に、
「この文書に書いてあるようにしないと訴えますよ」
と付け加えるよう夫に頼んだが、夫は、そのようなことは隣人として書くべきではないと言い、温厚な文章だが説得力のある手紙を書いてくれた。
私はその手紙を読み確認すると、夫にケヴンに渡してくるように言った。
男女平等社会と言われるアメリカ社会でさえ、普段の生活においては不平等社会であることを認識しているからである。家を買うとき、車の修理、諸事大きな交渉事は、アメリカ人であっても女より男、アメリカ人の女より英語が流暢な移民あるいは外国人男性(もちろん例外はあるが)。そして何よりも、私のような外国人女性の権威が一番低いことは経験を通して知っている。
夫は、
「ドアのところに挟んでくるよ」
と、直接顔をあわせるのを嫌がった。私は、
「もし、ケヴンが『そんなの受け取らなかった』って言っていたらどうするの。あなた、アメリカ人でしょ。男でしょ。直接手渡してきてよ、必ず!」
夫は渋々隣へ行って、ケヴンに手紙を手渡した。
驚いたことが起きた。あれ程私が口で頼んでも聞き入れてくれなかったケヴンが、その日のうちに返事をくれた。しかし、顔を合わせたくないのか、裏庭にいた夫に塀越しに伝えられた。すぐに全てを撤去するとのこと。
二週間後、庭は元通りになった。訴えられることを恐れたのであろうか。文書として証拠を残す威力の大きさを改めて確信した。アメリカでも、境揉めがおき十年間何もしなかった場合、その土地の所有権が変わりうると聞いた。私のとった行動は正しかったのだ。
全てが片付いたと思った一ヶ月後、夫と私は、このような境揉めがおきないように池の淵にあたる境界に石垣を造ることに決めた。業者が来るまえに土地を整備しようとした夫は、鶴嘴を持って土地を均し始めた。
と、外から大きな叫び声が聞こえる。
「とーしーみー!たいへんだ!!」
家の中にいた私は、声の異様さにどうしたことかと裸足で飛び出した。いつの間にか庭には大噴水が沸き、10メートルほどの高さで噴射している。夫は、何がおきたか咄嗟にはわからず、またその時何をするかの判断がつかないまま私を呼んだらしい。その間も、水は、空高く噴き出し大雨の土砂流のごとく我家の裏庭に流れ込んでいる。
私は、叫んだ。
「元栓、元栓!!」
私たちは、慌てて水道の元栓のあるところを探した。そして、元栓の配置されたコンクリートの蓋を開けみて驚いた。メーターは殆ど動いていないのである。一応締めてはみた。はて、狐に摘まれたような感じである。何がどうなったのかすぐには判断がつかない。噴水は、まだ容赦なく大量の水を吹き上げ庭に流れ込んでいる。
「まさか……」
夫と私は顔を見合わせた。併設された隣の家のメーターの蓋を取ってみた。メーターがくるくると駒のように廻っている。夫は慌てて栓を締めた。しっかりと!噴水は止まった……。
夫は、「まさか」の隣の水道管をつるはしで突き破ったのだった。それも我家の敷地内で。それは、隣の裏庭に繋がるスプリンクラーのプラスチックの導管だった。広い庭に、この導管を通って一時に水を撒きつづける水圧はとても強く、なぜ水が10メートルも高く上ったのか納得した。
次の交渉が始まった。上のものばかりでなく、地面下の導管を動かしてもらう必要があった。そのまま上に石垣を造り、もし、冬場に凍結した導管が破裂した場合などを想定すると、到底妥協はできなかった。
リサは、その導管を動かすと二千ドル位かかるので高すぎる。今、家にはそのような余裕はないと言った。怒り狂った私は、いつものように夫に八つ当たりした。
「フン!何が医者の奥様よ!二千ドルが高すぎる?余裕がない?ケヴンはヘボ医者で医者としては給料が安いんじゃない?そうだ、きっと診断か処置ミスをして何人かの患者から訴訟を受けているかもしれない。あー、なんという夫婦だ!私がリサの立場なら、借金してでもすぐに処理するわよ」
と、悪態の限りを尽くす私を夫は呆れて見ていた。
ケヴンは、これ以上の争いは不利だと判断したのか、数日後、庭造りを頼んだ会社に交渉し、無料で移動してもらったらしい。
我家の石垣は無事完成した。良心的な業者で、800ドルを支払った。
全てが片付いた数週間後、隣に高級家具屋のトラックが来た。庭で草取りをしていた私は、目を剥いた。家に運ばれていくダイニングテーブルセットの大きさと豪華さに!5000ドルか、6000ドルか……。
美しい庭と素晴らしい調度品に囲まれ、優雅に楽しく暮らすはずだったケヴンとリサ。その後、向こう隣とも問題をおこし居辛くなったのか、五万ドル(約五百五十万円)もかけた立派な庭を残し、一年後に引っ越した。
我が家に平和が戻った。
追記:問題の導管はケヴンとリサが我家の敷地に埋めたのではなく、この家を建てた初めの家族が、我家が建つ前の平地に境界を越えて埋めたらしい。玄関先に鯉の池を作ったので、導管を引く場所が狭くなったためだった。ケヴンとリサの業者が新しく庭造りを始めたとき、この導管が我家の敷地内を通っていることを見つけた。彼等は、導管を動かすために私たちと交渉することも、費用が嵩むことも嫌がった。そこで、私たちがいない間に、上をきれいに庭造りしてしまえば導管の問題が発覚することはないだろうと判断した、と私たちは思っている。
しかし、導管を誰が埋めたかどうかの問題以前に、他人の敷地を勝手に変えることによって隣家と揉め事がおきるということは、この知的な夫婦には考えられなかったのだろうか……。

低木しかなかったところがジャングルのようになった。
境界もわからない。フェンスは、我家の裏庭への入り口。

夫が突き破ったスプリンクラーの導管。
右横2本は我家のスプリンクラーの導管。

木々を撤去してもらった後造った石垣。
石垣は我家の敷地内に造ったが、隣の家の石垣のように見えるのがちょっと残念。






















