入門翻訳勝ち抜き道場

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田中寿美
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12.「風邪薬」って何?

我家のすぐ近くにあるこのWalgreensは、2年ほど前までHi School PharmacyというDrug Storeであった。

ある日、あっという間に看板が取り替えられ、店の中身が変わらぬままWalgreensになってしまった。Walgreensは、イリノイ州で1901年に設立され、全米48州とPuerto Ricoに6148店舗(2007年末現在)を持ち、2010年までに7000店舗に増やすと豪語するDrug Storeの大手チェーン店である。

Rite Aidは、1962年設立、東海岸を中心に38州とDistrict of Columbiaに5000店舗を有する全米3位のDrug Storeチェーン店である。

アメリカでは、Drug Storeとは、店内に薬局(Pharmacy)がある小売雑貨店(Retailer)だ。Walgreensは、各店舗、約11,000 square feet(約1022平方メートル)の売り場面積を持ち、約25000品目を取り扱っている。もちろんDrug Storeであるから市販の製薬会社の薬も買えるが、特設のPharmacyには薬剤師が数人おり、処方箋のある薬を調合してくれる。大手他社との競合も激しく、サービスは、電話注文後15分から20分以内に受け取れるようになっている。遠くの病院でもらった処方箋であっても、自宅近くのDrug Store のPharmacyで薬をもらえる。Drive Throughを使えば、店内に入る必要がないので便利である。

大手チェーン店がはびこる中、個人経営の薬局が生き残る道は……この国にはない!

我が家の子供たちは、生まれてから風邪薬をあまり飲んだことがない。つまり抗生物質を風邪の治療薬として飲んでいない。幸い二人とも四キログラムで生まれたので、もともと丈夫だったのかもしれない。娘にいたっては、薬を飲ませた記憶がほとんどない。熱も出さなければお腹もこわさない。赤ん坊のころから、いったん口にしたものは吐き出しもしなかった。

しかし、息子は違った。それなりに風邪もひけばお腹もこわし、熱を出してはよく吐いていた。新米両親は息子が「こほっ」と咳をしただけで風邪ではないかとあわてて病院に連れて行った。

連れて行ってはみたものの、アメリカの病院では、風邪をひいたくらいでは何もしてくれないことはすぐにわかってきた。これは大人でも同じである。高熱が何日も続いているとか、中耳炎、気管支炎、肺炎の兆候がある、また腹痛、下痢などの症状があれば対応は違ってくるが、二、三日、39、40度の熱がでているぐらいでは、

「じゅうぶんに水分を与え、家で安静に寝かせてください。」

と言われるだけだ。熱が高ければ解熱剤を処方してくれる、咳がひどければ喉飴や咳シロップを薬局で買うように言われることもある。しかし、日本のように、病院にいけば必ず「風邪薬」と称する薬を渡されることはない。

しかし、風邪の症状で例外なく薬をくれるものがある。ストレップ・スロート(Strep Throat)という喉頭炎で、バクテリアによって感染するが、処方をおこたると後に心臓疾患や肝臓障害の一因となると言われる感染症の風邪のときである。アメリカでは、喉の痛みを訴えたら、まずこれを心配する。喉が赤く、ぶつぶつと何かできているようなときは、喉頭炎の可能性が高い。医者に見てもらう必要はないが、看護士に喉の奥の粘液を取ってもらい検査に廻すので、病院に行かなければならない。「陽性」であれば、病院で抗生物質を処方してもらい一週間飲むことになる。感染性が強いので幼稚園や学校も休まなければならない。

息子が二歳のころのことである。四十度の熱が二日ほど続き、声もがらがらなので病院に連れて行った。喉頭炎の検査をすると「陽性positive」と出た。ストレップ・スロートが原因の高熱であった。

「ペニシリンを処方しますので、必ず一週間飲ませてください。必ずですよ」

と念をおされた

子供用に味付けされたシロップ薬は、私が舐めても決しておいしいものではなかった。食べ物の好き嫌いがはっきりし始めた息子は、この甘味料たっぷりのシロップが大嫌いであった。一口舐めて味がわかると、一滴も飲もうとしない。スプーンで飲ませようとすると歯を食いしばり、唇を固く結んでそっぽを向く。困り果てた私は、病院に電話をかけ相談した。看護士は言った。

「シロップの味が嫌いな子供はたくさんいるのですよ。でも、ジュースに混ぜたり、アイスクリームや果物にかけたり、冷たいスープに入れるなど工夫して飲ませてください」

「わかりました。努力します」

「そんなに嫌いな子が多いんだったら、美味しくして、どんな子でも好きな味にすればいいのに……」

とぶつぶつ文句言いながら、まず、りんごジュースに入れて飲ませようとした。りんごジュースだと思って飲もうとした息子は一口ぐいっと飲むと、ちょっと間をおいてウエーッと出してしまった。せっかく夕食に食べたものまで吐いた。私は汚物を掃除しながら、

「りんごジュースがいけなかったのね。そうだ、オレンジジュースは大好きだからだいじょうぶ」

鷹をくくったのがいけなかった。またもや同じ結果。クランベリージュースは味が濃いからわからないかもしれないと思ったところ、子供のほうもこのころには知恵がつき、ジュースを見ただけで走って逃げてしまうようになった。アイスクリームもスープも同じ結果であった。

「このままでは息子は心臓疾患になってしまうかもしれない。どうにかして飲ませなければ……」

諦めるわけにはいかない。私は、その夜ほとんど寝ないで、薬のビンを抱え子供の隙をみて飲ませようとした。寝ている息子の半開きの口に流し込んでみたり、噛みしめる歯の間に指を押し入れ流し込んでみたりした。そのたびに無残な結果だった。結局一滴も飲まないまま、翌日くたびれ果て病院に電話した。看護士が答えた。

「仕方がありませんね。一滴も飲んでいないのなら、こちらで飲ませますし、指導しますので連れてきてください」

「はい、はい、すぐ行きます。今すぐ連れて行きます」

夫と一緒にすぐ病院に向かった。病院で五十分ほど待ったが、薬を飲ませる苦労に比べれば何でもなかった。

「理雄さん、こちらへどうぞ」

診察室に通された。医師と看護士は、『結構年のいった親なのに、子供に薬も飲ませられないのだろうか』とちょっと人をバカにしたような顔をして私たち夫婦を見た。

「言われた方法で薬を飲ませてみたのですね。私が今から飲ませて見せますからちゃんと見ていてください。お母さん、息子さんを抱いて両腕を押さえていてください」

医師はそう言うと、スプーンに入れたシロップを、

「いい子だね。さあ、大きく口を開けてー」

と言いながら、口に入れようとした。もちろん息子が口を開けるはずがない。医師は、初めのうち優しくなだめながらどうにか口を開けさせようとしたが、無理であることがわかると、看護士と一緒に息子の口をこじ開けた。やっとの思いで大さじ一杯の薬を流し込んだ。

「ほら見てごらんなさい、出来るでしょう」

医師がにっこり微笑んで私たちのほうを振り向こうとしたとたん、息子の口からオレンジ色のシロップが噴水のように噴き出した。目の前で中腰になっていた医師の頭から顔、メガネそして白衣までオレンジ色に染まった。

医師は、看護士から受け取ったタオルで、シロップで見えなくなったメガネを拭きながら不機嫌に言った。

「わかりました、薬は無理ですね。注射をしますが良いですね。何か特別なアレルギーはありませんか」

「はい、ないと思います」

夫と私は、込み上げてくる可笑しさを必死にこらえながら答えた。息子のお尻に一本の注射をし終えた医師は言った。

「たぶん、だいじょうだと思いますが、注射によるショックや拒否反応が現れることもありますので、三十分ほどロビーで待っていてください。何か変わった様子が現れたら、すぐに看護士に知らせてください」

私たちは、心配しながら息子の様子を見守った。息子は昨夜からの疲れもあったのだろう、そのうちにぐっすり寝入ってしまった。三十分後、息子を抱えて医師の部屋に行った。

「何も問題はなかったようですが、次の注射には、いつ来ればよいのですか」

「もう来る必要はありません。注射一本に、飲み薬一週間分が入っていますから」

「えーっ、本当ですか。それなら、どうしてもっと早く注射もできるって教えてくれなかったのですか。私の寝ずの努力は一体何だったですか」

予防接種以外、子供に注射を打つこともほとんどない。「風邪薬」もくれない。アメリカでは、大人も子供も、風邪は自力で治さなければならない。しかし、アメリカ人が風邪やインフルエンザ(流行性感冒)で病院にまったく行かないというわけではない。幼い子供、虚弱体質の人、高齢者などは、風邪やインフルエンザに伴って余病を併発しないように、病院にいくことも多くなるだろう。The U.S. Center for Disease Control and Preventionによると、人口の20パーセントがインフルエンザに罹り、20万人が入院、3万6千人が合併症で死亡したと報告された年もある。これを防ぐために最も勧められるのが、“Flu Shot”と言われるインフルエンザ予防接種である。アメリカの場合、その冬流行するだろうと予想されるインフルエンザウイルスが3種類混入されている。毎年11月頃になると、病院はもちろん、スーパーマーケットや銀行、図書館、大学などに特設の場所が設けられ、低価格(5ドルから10ドル位)で簡単に注射を受けられるサービスが出回る。65歳以上の高齢者には、無料のサービスもあり、注射を受けることを強く勧められる。

さて、英語では、風邪のことを“cold”、インフルエンザのことを“flu”と言う。flu とは、Influenza中の文字“flu”だけをとって言うようになった。私は、家族が風邪をひいたとき、それが風邪なのかインフルエンザなのか区別がつかない。我家では、もう10年以上、誰も「風邪」で病院に行ったことがないので、“cold”でも“flu”でも、症状が和らぐまで市販の鎮痛剤などを飲んで家でじっと寝ているだけである。

私は、医学や科学で簡単な質問があるとき、ボストンに住む引退した医科学者である義父Davidに電話で聞く。ある時、「何故アメリカでは、風邪をひいたとき日本のように風邪薬をくれないのか」と聞いたところ、風邪とインフルエンザの違いを説明しながら、「インフルエンザは、ウイルス(virus)によって感染したものであるから、ウイルスには抗生物質は効かない。もしバクテリア(bacteria)が原因の症状であれば抗生物質を処方する」というような答えが返ってきた。その日義父から得た知識を家族に知らせようと得意になって話すと、「抗生物質は、バクテリアは殺すけど、ウイルスはやっつけられないこと知らなかったの?高校で習わなかった?」と息子は呆れたように言った。そして、夫と息子は、バクテリアのcell(細胞)が云々、ウイルスのDNAやたんぱく質のshell(殻)がどうのこうのと絵を書いて説明し始めた。知らなかったよー。生物も化学も苦手だったよー。

さて、インフルエンザにしろ風邪にしろ、その感染原因が何であるかは、粘液などを検査してみないとわからないのではないだろうか。冬場、日本の個人医院や病院にいくと、予約のできない待合室には、風邪かインフルエンザの症状か分からない患者が、付き添いの家族と一緒にひしめき合って診察を待っている。これなら、只の風邪で病院にいった人が、あるいは付き添いの健康な人が、感染率の高い違う種類のウイルスやバクテリアを他の人からもらってくることだってあるかもしれない。待合室は、ウイルスとバクテリアの感染場なのだから。病院に行くべきか行かざるべきか……。

ところで、結婚したてのころ、夫は、風邪をひくと必ずチキンスープを飲みたいと言った。チキンスープが何たるものかはっきりと分からなかった私は、缶詰のスープを店から買ってきて食べさせていた。そのうち鶏がらでスープを作り、その中に玉葱、人参、ジャガイモ、セロリなど冷蔵庫にある野菜を何でも入れて作るようになった。夫は、小さいころから風邪をひいたときには、母親が作ってくれたチキンスープを食べて風邪を治していたのだという。これは夫の家族の家庭療法だろうか、それともアメリカ人の風邪特効料理なのだろうかと調べてみると、チキンスープには、風邪に効くという研究結果がでている。2000年にScientific Journal ”Chest”に発表されたUniversity of Nebraska Medical CenterのDr. Stephen Rennard の呼吸器病学研究では、チキンスープに含まれる栄養素とビタミンの組み合わせが、ある種の白血球の活動を抑え、解熱鎮痛効果もあるとされた。Chest, volume 118,“Chicken Soup Inhibits Neutrophil Chemotaxis In Vitro” やはり、科学薬品のなかった時代、人々の知恵から生まれた民間療法なのだろう。

チキンスープは、食材や味は多少違っても世界のいろいろな国の料理として愛されてきたようだ。また、ユダヤ人のチキンスープは、「ユダヤ人のペニシリンJewish Penicillin」とも呼ばれた。日本でも、鶏は、昔から家庭で飼われる身近な動物であった。飼うのに広い場所が要らず、狭くても庭さえあれば、貧乏な家庭でも飼うことができた。ひよこは、子牛などよりずっと安いだろうから、近所からわけてもらうことも、自分で孵化させることもできた。卵は栄養価の高い食品であり、時には鶏自体が滋養のための食料となった。韓国の「サムゲタン」、日本の「水炊き」なども風邪の特効薬なのかもしれない。

我家では、「風邪はひどくならないのが一番」を信念に、症状を感じたら風邪の初期に飲めば良く効くといわれている、木の実のシロップや根菜の粉末のカプセルを飲み、夕食は鍋料理にして体を温め早めに寝る。この六、七年は、家族の誰かが風邪の症状を感じると、

「今夜はキムチ鍋にしてちょうだい!」

という要望がかかる。私は、大きな瓶詰めの韓国白菜キムチを買いに行く。胡麻油でたくさんのニンニク、生姜とキムチをジュウジュウと炒め、キムチの汁と昆布のだし汁に豆腐、しらたき、豚肉、椎茸、葱、韮などを入れコトコト煮て(醤油で味を調える)、ふうふう言いながら食べる。翌日は、風邪の症状は半分以下になっている。これは、我家のチキンスープに代わる風邪とインフルエンザの特効薬である。

日本では、2007年春、「タミフル」という薬がインフルエンザ用治療薬として使われ、それを服用した子供たちが、急に暴れだして高いところから飛び降りて死んでしまった事例が報告された。クローズアップ現代を見ていたら、世界中のタミフルの70パーセントが日本で使用されていると言っていた。

医者でも看護士でも科学者でもない私は、疑問に思う。

「アメリカの風邪と日本の風邪は違うのだろうか。日本のインフルエンザ菌は、アメリカのインフルエンザ菌より強くてたくまして怖いのだろうか。日本では、風邪をひいたら強力な薬を飲まないと死んでしまうのだろうか。治そうと思って飲んだ薬が原因で死ぬのがよいか、風邪で死んだ方がよいのか。「抗生物質漬け」になって、後々院内感染で死ぬのか。日本の風邪の選択“死”はすごいなあ……。必ず治せる『風邪薬』は、いつかできるのだろうか・・・・・・」