プロフィール

村松静枝さん

海外放送局の日本語放送案内ウェブサイトで、海外特派員のニュースコラムやドキュメンタリー、文化など様々な番組の紹介記事の英日翻訳に携わるようになって1年が経っていました。サイトだけでなく、立派な表紙のついた文芸書を翻訳するという夢を抱いていた私は、それまで様々な通信講座を受講し、コンテストに応募しては落ち続けました。果てに「やはり通信講座だけではなく講師から直に指導を受けたいし、励ましあえる仲間がほしい!」と思うに至りましたが、地方在住では毎週都心の学校に通うのは難しいことでした。たしか鎌倉辺りで毎月開催している講座があったような・・・。そこで「鎌倉」「翻訳」のキーワードでインターネットを検索して見つけたのが、サンフレア・アカデミー主催の藤岡啓介氏による翻訳講座「藤岡ゼミ」でした。これなら月に一度だから静岡から無理なく通える。しかしそのときはすでに第一回が終了していました。途中参加させてもらえるだろうか。だめもとで問い合わせしてみると「初回分の補講を受けてもらえれば、二回目から参加可能」とのありがたいお返事をいただき、即座に申し込みました。すると翌日藤岡先生ご本人が電話をくださり、こうおっしゃるのです。
 「自分で翻訳出版企画書を作って出版社に持ち込みできるようになりますよ」。
 ほんとうだろうか。当時の私ときたら作り方はおろか、企画書自体についてほとんど知識がなかったのです。ましてや出版社に出向いて編集者に会うなど、遠い夢でした。

 6回にわたる講座では他の受講生の優れた訳文を読むたびに刺激を受け、自分の非力を思い知りました。それと同時に翻訳家を志すうえでの気構えを先生から学び、自分の方向性もはっきり見定めることができました。企画書作成の要領を先生から学び、「洋書の森」で面白そうな小説を見つけ、初めての企画書を出版社に持ち込んだのはゼミを受けた翌年の夏のこと。あいにく実を結びませんでしたが、先生の予言通り、ともかくも出版社に企画を持ち込むところまでは抵抗なくできるようになりました。また、藤岡先生を通して多くの翻訳家の先輩たちや同じ目標を抱く仲間に出会いました。それまで自宅のパソコンだけを見つめていた私にとって、こうした出会いはまさに宝物です。

 2009年の春から翻訳自主勉強会「チャコの会」が始まり、再び月に一度鎌倉に足を運ぶようになりました。ディケンズの短編を課題にそれぞれの訳文を検討しあう時間は、参加メンバーの皆さんの名訳にはっとさせられ、多くを学べるのはもちろんですが、とにかく楽しくて時間が経つのが惜しくなります。今回一緒に「競訳」に参加させていただくことになった上松さちさんの訳文はいつも非常にこなれていて読みやすく、ほれぼれしてしまいます。彼女をはじめ、メンバーの訳文のあちこちに大きな花マルマークをつけて「うまい!」とか「この表現方法を参考にせよ」など自身に向けたコメントをつけ、毎回帰りの新幹線車中で読み直し、ひとりうなずいています。ウェブサイト上に拙訳を載せていただくことになり、今度はさらに多くの皆さんから、いろいろなご意見やご指摘をいただけることを願っております。

 このたび藤岡先生、上松さんと一緒に“Thinking Places : Where Great Ideas Were Born”を翻訳させていただけることになり、こんなに嬉しいことはありません。この本は藤岡先生が見つけてくださり、上松さんがお忙しいなか企画書を作成し、エージェントさんのお力も借りて、2010 年秋、晴れて清流出版社から発行されることになったものです。これまで訳書の出版経験のない私にとって、このようにいろいろな方の力を借りて初めての訳書を世に送り出せるのはこのうえない幸運です。しかも訳す本がなんとも魅力的で面白いのです。教養豊かな夫婦が芸術、政治さまざまな分野で名をなした人々の思考の源泉を求めて旅をした記録が、親しみやすい文章で描かれています。ある作家の章を訳し終えたところですが、文面から、著者である夫婦の、作家にたいする愛情と憧れがひしひしと伝わり、訳しながら心が和みました。著者の思い入れと旅の発見の喜びを漏らすことないように訳していきたいと思います。

 三年前の春、直接教えてくれる師と切磋琢磨できる仲間がほしいと切望していた自分が、その師と仲間とともに一冊の本を翻訳し出版することになりました。あの日思いきって電話をしてみてよかったとしみじみ思います。

上松さちさん

2010年の秋に“Thinking Places : Where Great Ideas Were Born”が清流出版より刊行予定です。わたしにとってはこれがはじめての翻訳出版となります。新人の翻訳者はまず一冊目を出すことが非常に難しいといわれますが、わたしの場合、人に恵まれ、運に恵まれ、ここまでくることができました。この本はそもそも藤岡先生が見つけてくれたものです。鎌倉の勉強会では、わたしは翻訳経験も浅く、歳もいちばん下で、みなさんがそれぞれにプロとして活躍されているのを、憧れというのは少しおおげさですが、そんな気持ちで眺めていました。だから、先生に企画書をつくってみたらと言われたときは嬉しかったです。やる気満々で企画書を用意し、1章分を訳しました。ありがたいことにその企画が通り、このあいだ担当の編集者さんとの初顔合わせを無事すませたところです。
 まず思うことは、ちゃんとやろう、ということです。当たり前ですが、読みにくかったりいかにも翻訳っぽくなったりしないように。この本では偉人たちのシンキング・プレイスとその人生が紹介されています。ほかに「旅行記」と「おまけ」といったはなしもついていて、それらが相乗効果を生んでスルスルと心に入ってくるのです。だからこそ、自分の翻訳のせいでそれを乱すことがあってはならない。何年か経って読み返したとき「なんだこの訳は」と赤面することのないよう、いまの全力を尽くしたいと思います。自分の翻訳が活字になるということは恐ろしいことです。その責任を胸に、著者の全身から出た言葉をしっかりと捉え翻訳していきたいです。

 今回「わたしの新訳<競訳プロジェクト>」に自分の訳が載ることも、やはり同じように恐ろしいことだと思っています。しかもディケンズ、しかも競訳です。自分の翻訳の“あら”が見事にばれてしまうのではないでしょうか。
 これは勉強会でもよく思うことですが、ひとりで翻訳をしていると、できあがったときにはまるでこれがいちばんの訳だ、などと考えてしまいます。なにせ、自分の頭のなかに閉じこもりっきりになっているのですから。しかしそんなわけはない、勉強会ではみなさんの訳に「なるほどぉ〜」の連続です。自分の訳で満足しているところに上手い訳を読むと悲しくなります。しかしそれも勉強です。ですので、わたしはここがウェブ上の勉強会だと思うことにしました。拙訳が載るのはなんとも恥ずかしいかぎりですが、読者の方々のご指摘やご意見がたくさん寄せられ、一緒に学べる場になることを期待しています。