入門翻訳勝ち抜き道場

ブログ:翻訳以前

~翻訳以前、本を知る楽しみ~

公開講座―プロになるぞ!! の藤岡啓介先生のいいぐせに「それは翻訳以前の問題だ」という言葉があります。
でも、その翻訳以前とは、いったいどういう状態なのか?
このブログは、お昼寝の先生の枕頭をおしゃべり雀がさえずりまわりああだこうだ
それは読書論でもあり、文章論、翻訳論でもあります

このように自らを語れるとは、なんと誇り高いことか
――6月21日号巻頭エッセイ「余滴として残る……」質問への【回答】――

今回は数々の辞書を作ったW. Chambers(1800~1883年)の話です。

90年代だったか、エディンバラでのことです。Collins社の人たちと話しているとき、辞書では古語や方言を収載しているチャンバーズがいい、といわれ、そんなものか、辞書編纂の現場の人がいうのだから間違いはないだろうと思って、そのあとバーミンガムで、これまた辞書に詳しい博士に同じことを訊いたら、そうかな? といった調子で首をかしげていたことがあります。イングランドの彼にとって英語辞書の規範はオックスフォードで、スコットランドの文人たちにはオックスフォードの辞書なんて後発の未熟ものに思えるのでしょう。

今、稲村ガ崎のわが家で、ほぼ同時期に、同規模で編纂された大辞典のオックスフォードとチャンバーズ、それにコリンズを並べています。コナン・ドイルだったら、スティーヴンソンだったらチャンバーズかなと思ったりしますが、彼らは自らをインターナショナルであると自覚し、それにふさわしい英語を書いているので、とくにチャンバーズの出番はないようです。

辞書には、それが編纂されたときのユーザーである利用者(書き手、読み手)のさまざまな要望があり、それらを満足させなければなりません。どの向きの要望を満足させているか、によって「辞書の特徴」が生まれます。わたしたちがYAものを訳すとき、ドキュメントや、ノンフィクションものを訳したり、小説、ここには古典があり現代ものがあり、個性的な作家たちが縦横に文を操っているのですが、翻訳者にとって、辞書選びは至難の業ですね。

さて本題です。本誌「巻頭エッセー」6月21日号で出題した、チャンバーズが若者を前にして語った言葉が課題です。

“I reaped more pleasure when I had not a sixpence in my pocket, studying in a garret in Edinburgh”

上の課題文をできるだけ頭から追ってみます。

――わたしは、受けていた(享受していた)、より大きな喜びを、わがポケットに六ペンス玉すらもっていなかったときに、(そしてそれはわたしが)エディンバラの屋根裏部屋で勉強していたとき(のことだったが)。

一読して「貧しい時のことを思い出して、成功した今の方がどれほどに楽しいか」と読んだ人がいますね。逆でした。「成功も結構だがひたすら勉強して未来を夢見ていた時のほうがずっと楽しかったよ」という意味です。a sixpenceは「十銭玉」と訳したいところですが、ペンスやポンド、ドルが国際語になった今、無理することはないですね。思い切って「一文なしの苦学時代に」と訳した方がいいかな。

Edinburghの仮名表記が「エジンバラ」「エディンバラ」に分かれていますが、このていどに有名な地名だったら、【研究社 リーダーズ英和辞典第2版+プラス】で統一したらどうですか。ぼくは迷わず「エディンバラ」。

ところで、garretとはどんな部屋なんでしょう。『罪と罰』のラスコールニコフが住んでいましたね。棺桶のような息苦しい「小部屋」とも「戸棚」とも書かれています。おそらくチャンバーズもおそろしくみじめな部屋で苦学していたのでしょう。何かいい絵がないかと探したらホガースの『勤勉と怠惰』と名付けられた作品がありました。これでも、チャンバーズから見たら贅沢な住まいだったのかもしれません。


(Industry and Idleness – The idle apprentice returned from sea and in a garret with a prostitute.)

ちなみに、ドストエフスキーの『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』では、江川卓先生の労作『謎とき』シリーズがあります(新潮社)。一語一語、作家がその言葉に何を伏せていたのか、カラマーゾフという姓名にはどう意味があるのか、などなど、大作家のものを翻訳するなんてとんでもない「思い上がりだ」と考えてしまうほどの名著です。

閑話休題(あだしごとはさておきつ)

コメントを付けながら「優秀作」を選んでみましょう。なお、【回答】の掲載順は受信した順になっています。

tengomuchoさん:
――エジンバラの屋根裏で勉強してた時、ポケットに6ペンスも無かった頃、僕は何と幸せだっただろう~。
藤岡コメント:
文末の「~」はどうしたのかな? 音引き記号だな。でも、ここでは不要だった。それと、「なかった頃」はどうか? ここで「頃」は使いたくない

うききさん:
――エジンバラの屋根裏部屋で勉強していたときは、ポケットに6ペンス銀貨一枚なかったけれど、とても楽しく満ち足りていた。
藤岡コメント:
文頭に「……勉強していたときは」ともってきてよかった。これが日本語の自然な発想ですね。「6ペンス銀貨」は「六ペンス」でいいな。和数字を使うこと。「とても楽しく満ち足りていた」がよかった。

うききさんに図書券進呈!!

まっぷぅさん:
――ポケットには6ペンス硬貨一枚もなく、エジンバラのむさくるしい屋根裏部屋で勉強していた。それでも今より喜びを見出していた。
藤岡コメント:
文章を二つに分けることで論理を通そうとしたのだけど、成功者が若者を前にしたときの「語り」かな。「そうだね、エディンバラでの苦学時代の方が、幸せかっていえば今よりも数倍も幸せだったかな」という発想。

milkaさん:
――エジンバラの屋根裏部屋での勉強は、ポケットに6ペンス銀貨が入っていないとしたら、さらに大きな楽しみとなることでしょう。
藤岡コメント:
文意が混乱。どこを取り違えたのかな。moreとwhenかな?

ぱんみみさん:
――わずかな金すらない時、エジンバラの屋根裏部屋で勉強したことは私にいっそうの喜びをもたらしてくれた。
藤岡コメント:
どうも「翻訳調」だな。大丈夫、素直に言葉を追いかけてください。

ponchanさん:
――エディンバラの小さな屋根裏部屋で勉強していた一文無しの頃、私はより大きな喜びを享受していた。
藤岡コメント:
「……の頃、私はより大きな」が狂っているな。

モーモーさん:
――エディンバラの屋根裏で勉強していたころ、金はまったく無かったが、今より多くの喜びを手に入れていた。
藤岡コメント:
sixpenceに拘らなかったのはよかったけど、「今より多くの喜びを手に入れていた」は頂けない。藤岡評語でいえば「要再考」だな

ネスさん:
――私はポケットに6ペンス銅貨すらないときでも、エジンバラの屋根裏部屋で勉強していれば、お金があること以上に喜びを感じました。
藤岡コメント:
「お金があること以上に」、説明しちゃったね。「貧しくても夢を抱いて勉強していた時が、いちばん楽しかったな」。こんな調子でいこうや。

ねこのひげさん:
――懐には6ペンス硬貨の1枚もなく、エジンバラの屋根裏部屋で学んでいた時にこそ、より多くの喜びを得られた。
藤岡コメント:
「時にこそ」としたい気持ちは分かるけど、もう少し軟らかい表現はなかったかな。

ヨシノスケさん:
――ポケットに六ペンス銀貨の一枚も入っていなくても、エディンバラの屋根裏で勉強をしているとき、わたしはひときわ強い喜びを感じていた。
藤岡コメント:
「ひときわ強い喜びを感じていた」。どうだろう、「要再考」だな。とうとう「一文なし」「文無し」は出てこなかったな。六ペンスというのがそもそも比喩なんだから、安心して「文無し時代」にすればいいのに。もう古語・廃語かな。ブレヒトの『三文オペラ』はまだ生きていますよね。

[藤岡啓介記]
2010年9月6日号
(第4巻167号)