~翻訳以前、本を知る楽しみ~
公開講座―プロになるぞ!! の藤岡啓介先生のいいぐせに「それは翻訳以前の問題だ」という言葉があります。
でも、その翻訳以前とは、いったいどういう状態なのか?
このブログは、お昼寝の先生の枕頭をおしゃべり雀がさえずりまわりああだこうだ
それは読書論でもあり、文章論、翻訳論でもあります
【この質問に答える】では、本文中に登場する短い英文の翻訳を受け付けております。お寄せいただいたなかから、
藤岡先生が選んだ優秀作を選出、誌面で発表します。選ばれた方には\500のアマゾンギフト券を進呈します。みなさま、是非、ご参加下さい!
桜井則子、武者修行で苦闘しています その2
トロロープにかじりついている桜井さんが、苦心して【質問】を設定してくれたのだけど、残念、答えがなかった。設問が悪かったのか、面白くなかったのか、いずれにしても、応えようがなかったんだろうな。反省しなければ!!なにしろ、このWEBマガジン『出版翻訳』、それぞれのコラムは、一人でも多くの読者を獲得しなければならない。まずは1月18日号の《episode one》に触れます。
と、ここまで書いてきたら、編集さんからどさっと課題にした「オセロ」の名セリフ群が飛び込んできた。まずは、ご覧あれッ!!
設問 : I will set down naught in malice. ―― シェークスピア『オセロ』より
asukabさん:
――恨みは抱かぬ。
nessさん:
――邪まな心は一切持つまいぞ。
くろさん:
――私は悪意の中で死ぬだろう。
kiyonさん:
――わたしは悪意の中に価値を見ることはないだろう。
どうでしょう。みなさんそれぞれに味のある訳ですね。ブログ「翻訳以前」の家主としては、4人のみなさん全部にご褒美を上げたいのだけど、それじゃお坊っちゃまの「バラマキ」になってしまう。まっ、ここは一呼吸おいて講釈させてもらいます。
シェークスピアの名セリフ:
英米文学を読むと、ごく最近の物書きに至るまで、必ずと言っていいほどにシェークスピアの言葉が引用されています。シェークスピアの芝居が四〇〇年も大昔なのに、いまだに日々の生活に生きているのでしょう。シェークスピアってどんなすばらしい芝居なのか、あるとき田舎からロンドンに出てきたおじさんが、オセロだかハムレットだか、有名なお芝居を見て、なんだ、おれたちがいつも話しているような会話のやり取りだったわい、村芝居と変わんない、といったという話がありますが、それほどにシェークスピアは人口に膾炙しているのですね。(福原麟太郎、中野好夫、木下順二、吉田健一といった偉い先生たちのシエイピクピア読本がたくさんあります。上の話も福原先生の受け売りです。)
そのシェークスピアの言葉ですが、トロロープが何気なく引用しているのです。「これはシェークスピアだ」と断っていてくれるといいのですが、シェークスピアだけではない、聖書の言葉も、彼らは(断りもなく)使うんですね。翻訳者はそうした引用にぶち当たって立ち往生です。知らぬが仏を通していられればいいのですが、鋭い読者がいて、「この無学者めが!」とお叱りを受けるかも。そして、それがシェークスピアであるか聖書であるかが分かったとしても、今度は翻訳で悩みます。「聖書」のことは別の機会に書きますが、まずはシェークスピア。Googleで検索すると、この言葉がかの有名な『オセロ』の終曲、第5幕、に現れると分かります。そして、その意味も分かります。
でも……?!
と、翻訳者は考えます。畏れおおくもシェークスピアだ、迂闊な訳は許されない、ここは逍遥の翻訳を使って敬意を表そうか、福田恒存か、それとも、小田島訳か松岡訳か、わざわざ『オテルロ』と表記している菅康男訳か。まずは、ここまで考えた方がいい。考えなかったら英文学をやる資格なんてない。普通の言葉でいえば、教養のひとかけらもない、と罵倒されるところですが、それではと、たとえば小田島雄志訳を使って、末尾に(小田島雄志訳)と括弧で補っておくのがいいのか。いや、これでは注記ばかりが目立つ古くさい学術翻訳書だし、第一、小田島さんの日本語の格がトロロープに似合わない。
愛妻デスデモアを誤って殺害したオセロが、ああなんと愚かだったのか、と悔いて縛につくのだが、ここで設問のI will set down naught in malice.の名台詞が出てくる。これがシェークスピアで、有り難いことにAnthony Trollope, “An Autobiography”のPenguin Classics版だと、注がある。言葉の典拠を無視するような翻訳はできない。
桜井さんの訳を引いておこう。トロロープ『自伝』の冒頭だ。
この本を書くにあたり、なかなか良い題名が浮かんでこない。仕方がないのでさしたる大仕事もしていない男の「自伝」としておく。ここでは私の今までの生活を細々書こうとは思っていない。私の失敗や成功がどう繰り広げられ、どうしてそうなったのか。作家という職業で生計を立てていくにはどうすればよいのか。こういったことは、私自身が、そしてたぶん私の周りの人間が、作品の中ですでに紹介しているのだから。
そうはいっても、年寄りの話し好きのせいか、人生をつい振り返ってしまう人の性のせいなのか、自分のことをつい話したくなってしまう。またそうでもしなければ、どうやって自分の人生を他人に知ってもらい、分かってもらえるのだろう。私だけでなく誰もが、自分のすべてをさらけだすのは無理にちがいない。こんなひどい事をしました、と自ら言える人がいるだろうか?まったく潔白な人がどこにいるのか?だが、あえて私はこれに挑もう。そう、ここに嘘はいっさい書かないつもりだ。意地悪く話を曲げるようなこともしない。正々堂々とつかみ取ったと心から思える敬意を、自分にも他人にも払いたいからだ。
桜井さんの名訳だ。ここで、名文句だぞ、有り難や、有り難や、としゃっちょこばって訳しては鼻もちならない。引用の頭で、「オセロのセリフではないが、ここでは嘘を……」とさりげなく補っておくのがシェークスピアとトロロープの顔を立てることになるかな
念のため、シェークスピアはこうだ。
――Speak of me as I am; nothing extenuate, / Nor set down naught in malice.
――ありのままにわたしのことをお伝えください、いささかの斟酌もなく。また、いわれのない謗りを加えずに
翻訳者ならシエイピクピアの全訳ものを手元に
ところで、シェークスピアの翻訳は山ほどある。手元に「全集」を置いておくのがいい。それも「読者に読みやすく、上演可能な」という新訳ではなく、英文学の専門家が互いを気にしながら学問業績として翻訳した昔の翻訳がいい。個人訳の全集もいいが、シェークスピア翻訳者に惚れ込むならそれもいいけど、あなたが翻訳修行中なら、まだ避けておいた方がいい。『世界古典文学全集、第41~46巻(全6冊)』(筑摩書房、1964年)がお勧め。中野好夫をはじめとする大先生たちの翻訳に、引きずられることがなく(影響されないで)、しかも訳注つきで正確な解釈が得られる。古書で揃い5千円、安いな。
さて、だれにご褒美を上げようか? もう一度読み直してください。桜井訳だと「意地悪く話を曲げるようなこともしない」ですが、これを普遍的にだれもが引用できる語句に訳したいですね。
――Nor set down naught in malice
asukabさん:
――恨みは抱かぬ。
藤岡コメント:maliceがたんに「恨み」になったのは残念。腹心に裏切られたオセロの気持ちでいえばどうかな、誹謗を加えずに、ありのままに、という発想だな。
nessさん:
――邪まな心は一切持つまいぞ。
藤岡コメント:なるほど、「一切持たない」はよかった。
くろさん:
――私は悪意の中で死ぬだろう。
藤岡コメント:オセロが「死ぬだろう」はたしかなのだけど、引用句として使いたいんだな。がんばって。
kiyonさん:
――わたしは悪意の中に価値を見ることはないだろう。
藤岡コメント:「価値をみることはない」という日本語の言い回しはよくない。考えすぎだな。
残念だな。ご褒美は出せない。引用句となると、やはり前出の「いわれのない謗りを加えずに」がいいのだけど、「謗り」を云々(うんぬん)するような状況は現代にはないのかもしれませんね、これは家主さんの訳でした。
(「謗る」は「人を悪く言っておとしめる。非難する」という語義で、もう死語でしょうが、文章の中では使えますね。でも、若い編集者だと、もう読めないかな。だったら、TVの「Qさま」で勉強してもらいたいな。)
藤岡啓介記
次回に、桜井さんのepisode twoを掲げます。それと、下記のトロロープの文章の翻訳も課題にしていました。「もくせい」さん、「asukab」さんから訳文が届いています。この講評もしなければ。
課題:
Dr. Butler, the head master, stopping me in the street, and asking me, with all the clouds of Jove upon his brow, and all the thunder in his voice, whether it was possible that Harrow school was disgraced by so disreputably dirty a little boy as I !
もくせいさん:
――バトラー校長は通りで私をひきとめ、ローマ神の様なもうもうとした顔つきで、雷の様な怒鳴り声をあげ、みっともないほど汚い私のような子供のおかげで、ハロウ校の名が汚されるではないか!と言いました。
asukabさん:
――バトラー校長が通りでわたしを止め、怒り狂う天空神ユピテルの嵐を呼ぶ顔つき、雷鳴を轟かせた声で問うてきた。おまえのようなとてつもなくうす汚い生徒のせいで、ハロー校の名誉毀損があり得るのだろうか、と!
まだ時間があります。3月31日まで受け付けます、あなたの訳文を送ってください。
【この質問に答える】
(第4巻148号)




























